「メビウス」の主人公は神様のような存在?
MV動画では、『メビウス』の主人公とも言える黒髪の男性のようなキャラクターが魅力的ですよね。キャラデザインを務めるのは「オートファジー」も担当したWOOMA。
自身のTwitterでメビウスのキャラデザイン情報を公開しています。
そこにある情報から彼の名前は、リネンと分かります。
では、リネンとは一体どんな存在なのでしょうか。
まず『メビウス』のイメージカラーから解釈してみましょう。
『メビウス』のイメージカラー緑は自然や植物に使われることから生命、繁殖、安らぎといった意味を持っています。
また緑は暖色でも寒色でもない中性色に区別されており、男性のような外見で自分のことを「あたし」と呼ぶリネンに通じるところがありますね。
そして、動画内でも多く使われている「✖」印。
これはキリストの十二使徒である聖アンデレに由来する「斜め十字」なのではないでしょうか。
シンボリスム的解釈では、斜め十字は月の象徴であると言われています。
それを象徴するかのように、彼の首元には月のマークが描かれていますね。
聖アンデレの斜め十字からインスピレーションを受けたとすれば、おそらく彼は人々を導く存在であると解釈できます。
彼は所謂神様のような存在なのではないでしょうか。
----------------
あたし あたし つまらなくていいわ
腹立ち 苛立ち 俯瞰してるねじれから
飽くなき 悪無き 無垢を演じるような
それこそ それこそ 勤めであるとするのなら
ねぇ溶かして
今すぐここから連れ出してよね
≪メビウス 歌詞より抜粋≫
----------------
題名である『メビウス』とは、「メビウスの輪」をモチーフにしていると考えられます。
「メビウスの輪」は、長方形状の紙や布の端をくっつける前に一度その状態のまま180度捻り、両端をくっつけた状態を指す言葉。
一見、∞の形に見えることから文学作品においての「メビウスの輪」は、ループする意味として使われています。
MV動画の冒頭でも∞を描くように緑色の光が飛ぶシーンがありますね。
さらに「俯瞰してるねじれから」という歌詞の「ねじれ」はまさに「メビウスの輪」をイメージしているのではないでしょうか。
また「俯瞰」とは上から見ることを意味します。
リネンは、苛立ちなどの負の感情を主観では感じずどこか他人事として捉えてしまう性格のようです。
それでも飽きることなく無垢を演じます。
次第に自分を隠して誰かのために演じ続けることが神様の勤めであるとするのなら、そんなことは終わりにしたいと思うようになります。
「今すぐここから連れ出してよね」という歌詞からも、彼は今の状態から脱したいと考えているのがわかります。
リネンの苦悩
----------------
あたしのせいじゃないからって
裏目に 裏目に 出てんでしょう
(wow wow)受け止めるのは
(wow wow)あたしでしょう
口付けを 交わしたら 次第に心は治るのでしょう
「嫌になるなら なあなあ に済ませて」
無い 無い 無い
≪メビウス 歌詞より抜粋≫
----------------
サビの歌詞では、リネンが畳みかけるように不満を漏らしていますね。
「裏目に出る」とはいい結果を予想していたが、悪い結果になってしまうことを意味します。
しかし裏表のない「メビウスの輪」では、裏目はいいことと悪いことどちらを指すのでしょうか。
どちらにせよその願いや欲望を受け止めるのは、リネンです。
現代の日本では、神様は昔ほど信仰されていないのも事実。
どちらかというと神頼みする時のみ、神社に出向くことの方が一般的のように思えます。
自分の都合のいい時だけきて不満や欲望をさらけ出す人々。
その思いを否応なく受け止め続けなくてはならない彼の苦しみが伝わります。
アダムとイブとの関連性
----------------
裸足のせいで泣いて 泣いて
フラつく フラつく ばかりでしょう
(wow wow)あたしもそれが
(wow wow)痛むでしょう
打ち捨てて しまえない 契りを結んだことの代償
「ここから動けない」を仕舞うの
タイト タイト タイト
≪メビウス 歌詞より抜粋≫
----------------
「打ち捨ててしまえない 契りを結んだことの代償」という歌詞には、アダムとイブを連想させるフレーズが盛り込まれていると思われます。
柊キライの8作目のボカロ曲である「エバ」は、その名前から最初の人類と言われるアダムとイブに関係しているのではないかと考察されています。
「エバ」や「オートファジー」との関連性も囁かれる「メビウス」にも、同じようにアダムとイブのお話は関係しているのではないでしょうか。
人類の始まりであるアダムとイブは、神様の言いつけを守らず罪を犯します。
そして2人は神様から罰を与えられることに。
アダムには「食べていくには汗を流さなくてはならない」罰を、イブには「子どもを産むためには苦しまなくてはならない」罰をそれぞれ与えられました。
現代を生きる人間にも繋がる大きな罪を背負ったアダムとイブ。
それが「契りを結んだことの代償」なのではないでしょうか。
「裸足のせいで泣いて 泣いて」という歌詞は、罰を受けているアダムとイブの様子を表していると解釈できます。
それでも神様は、アダムとイブを愛していました。つまり、神様は悪いことをした人間に罰を与えますが、基本的には愛を持って接しているのです。
リネンは自分を頼る人々に情けをかけながらも、自身を利用されていることに苦しみ、いつしか無気力になってしまったのではないでしょうか。
----------------
あたしのせいじゃないからって
裏目に 裏目に 出てんでしょう
悲しいの彼の態度 態度
狂え 狂えど 世間のショー
嫌になるから なあなあ に済ませて
バイ バイ バイ
≪メビウス 歌詞より抜粋≫
----------------
「悲しいの彼の態度 態度」という歌詞は、リネンに相談しにやってきた人のことでしょうか。
そして、相談者が悩むほど、世間ではいい見世物として扱われてしまう状況にもはや救う手立てがないようです。
そんな状況に疲れ果ててしまった様子の彼。すべて話半分に聞き流し「なあなあに済ませて」しまうことが一番だと考えます。
そして「バイ バイ バイ」とさよならを告げ、静かに心のシャッターをおろしてしまいます。
----------------
ユーモアなんて 必要ないの
そうだから 嗚呼 嗚呼
擦られた思いだけ 軽薄の種
ならあなたの話は
「さぁ?」
で済ますのさ
≪メビウス 歌詞より抜粋≫
----------------
リネンは「ユーモア」という言葉をよく使うことから、最初は一生懸命誰かの役に立とうと努力していたようです。
しかしなかなかうまくいかないことから、次第にユーモアはいらないと諦めたのかもしれません。
人々のために努力していたのに、人々は安価で頼ろうと寄ってきます。
そんな見返りのない人々には「さぁ?」という一言のみで対処。
それがリネンなりの人々へ対する反抗なのかもしれません。
柊キライが歌詞の中に隠した想い
ここまでリネンは神様のような存在として考察してきましたが、もう一つ考えられることがあります。
それは『メビウス』が歌い手であるめいちゃんのアルバム曲として書き下ろした楽曲だということ。
アーティストや作曲家などのサービスを提供する側の苦しみや悩みも盛り込まれているのではないでしょうか。
心が震えるような楽曲を生み出すアーティストたちは、まさに神様のような存在。
ですが、人気が上がれば上がるほどさまざまな人から注目され、時には酷い仕打ちを受けることもあります。
そんな混沌とした世界で彼らは、さまざまなエンターテインメントを提供しようと力を尽くしているのではないでしょうか。
しかし誰かのために頑張ることと、誰かの言いなりになることは別です。
リネンが「さぁ?」と言ってはぐらかすのは、自分を大切に扱ってくれない相手から自分を守るための手段のようにも思えますね。
つまらなくていい、ユーモアがなくてもいい。
他人にとって自分がどんな存在でも、自分の思うように生きていけばいいとリネンの生き様から伝わってくるようです。
彼のその信念は、アーティストだけでなく生きていくうえで大切なことかもしれません。
作詞を担当した柊キライが綴る歌詞の中には、現代の生きづらさを抱えた人々へのアドバイスが隠れていました。
リネンの裏に潜む、繊細な心の物語をぜひ聴いてみてください。