歌詞に登場する2人の男性の関係性
「春が来て裸足になってしまいたい僕ら」という歌詞が印象的ですね。
「裸足になってしまいたい」という表現を、靴を脱いだときのような解放感を味わいたいという意味だと捉えると、いま「僕ら」は窮屈な思いをしているのかもしれません。
MVには、学生服から男性だと推測できる人物が2人登場し、手を繋ぐシーンがあります。
歌詞に登場する「僕ら」は、MVに登場する2人の男性を指しているのでしょう。
「手を握り」という歌詞や、MVでの手を繋ぐシーンから、2人は恋愛対象としてお互いを想い合っているという関係性なのだと推測できそうです。
ところが、「別々の匂いを一人きり置き去りに」という歌詞があるので、2人は共に歩んでいく人生ではなく、別々に歩んでいく人生を選んだのではないでしょうか。
春は出会いと別れの季節ですが、彼らの場合は別れの季節となってしまったのかもしれませんね。
彼らが抱えていた窮屈さは、お互いが一緒に居ること、あるいは、一緒に居ることを周囲から受け入れてもらえないことだったのではないでしょうか。
消したくない想いと遠い日への願い
冒頭の歌詞ですが、「間に合わない」という言葉は、相手が離れていくのをもう止められないという想いを表現しているのかもしれません。
2人が同性であることによって、最初から離れる運命だったのだと自分に言い聞かせているようにも聞こえる歌詞です。
ところが、「褪せるまではここで待っている」という歌詞があり、2人の関係性を諦めていないという意志も感じられます。
相手への想いが褪せないうちは、別々の人生を歩むことを選んだとしても、いつか再び結ばれることは諦めたくないという気持ちが表現されているのかもしれませんね。
相手を嫌いになったわけでないと考えると、2人が抱えていた窮屈さは、お互いが一緒に居ることというよりも、一緒に居ることを周囲から受け入れてもらえないことだったのだと捉えられそうです。
MVでは、教室で男友達に話しかけられ、困ったように笑う姿や、女性からプレゼントをもらって物憂げな表情を浮かべるシーンがあります。
同性の恋愛が少数派であるという環境が窮屈で、それに耐えられず、お互いのことを想い合ったまま別々の人生を歩むことを選んだのかもしれません。
「宇宙の季節」に込められた問題提起
「ここじゃない何処か」というのは、同性の恋愛が受け入れられる場所を指すのだと捉えられそうです。
受け入れられない場所で過ごすのは耐えられないのだという悲痛な思いが感じられます。
しかし、「ただこの場を(この場だけを)望むため生きている」という歌詞もあり、ここから逃れたいと言いながら、この場を望むというのは矛盾しているような気もしますね。
同性の恋愛が受け入れられない「ここ」からは逃れたいと思いながらも、2人が一緒にいれる「この場」は生きる意味を見出せるほど幸せな場所なのだという意味なのかもしれません。幸せだけど苦しい、という気持ちが伝わってくるようです。
最後の一文である「ここじゃない何処かを失うだけ」という歌詞は、2人が別々の人生を歩む選択をしたことで、同性の恋愛が受け入れられる場所で一緒に幸せに暮らせる未来を失ったのだという意味だと解釈できるのではないでしょうか。
想い合う2人が窮屈な思いをせずに笑って暮らせる世界を願いたくなります。
この楽曲は、音楽で日本の社会やわたしたちに対して問題提起をしているのかもしれません。