映画「キネマの神様」の主題歌は映画のストーリーそのもの
松竹映画100周年記念として制作された映画『キネマの神様』。
その主題歌に起用されている楽曲が、作中で主人公・ゴウを演じる菅田将暉とその盟友・テラシンを演じるRADWIMPSの野田洋次郎がコラボした『うたかた歌』です。
元々は主題歌として制作されたわけではなく、野田洋次郎が映画に参加できたお礼として制作し監督に贈ったのだそう。
そのため、映画で描かれるストーリーや登場人物たちの関係性が色濃く反映された楽曲になっています。
歌詞の冒頭からそのことがよく表れています。
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夢中になってのめり込んだ ものがそういやあったよな
眠るのも飯を食うのも忘れ 明けても暮れても
ただ追いかけた 先なんか見えずとも
むしろ見えなくて 余計に追いかけていった
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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若かりし頃のゴウとテラシンが「夢中になってのめり込んだ」のは映画製作の世界。
”映画の神様”の存在を信じ、寝食も忘れて夢を追いかけていた時間は二人にとってかけがえのないものだったことでしょう。
先が見えないからこそ「余計に追いかけていった」という言葉に、夢を追う情熱やひたむきさ、若さゆえの青臭さが描かれているように感じます。
実際にその役を演じた菅田将暉と野田洋次郎の二人も『キネマの神様』という作品に没頭したと語っているので、映画と向き合う俳優としての目線も含まれているようです。
一方で「そういやあったよな」と振り返っていることから、歳を重ねそうした夢中になれるものを失ってしまった現在の自分への寂しさも感じ取れるのではないでしょうか。
今夢を追っている人とかつて夢を追っていた人の気持ちが重なるような歌詞の内容に、さらに迫っていきましょう。
長くて短い「命」に込められた意味とは
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そんな道のど真ん中で 君は僕にぶつかった
それが君の運の尽き そして僕の運のすべてで
一度も眼を見て 言えたことないけど
僕の何分の一でも 君は幸せでいたのかい
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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夢を追いかける最中に出会った「君」とは、のちにゴウの妻になる淑子のことです。
ギャンブルと借金でどん底を歩んでいる現在のゴウとそれまでのつらい日々を思うと、確かにこの出会いは淑子にとって「運の尽き」のように思えます。
しかし、ゴウも彼女につらい思いをさせたかったわけではありませんでした。
彼女と出会えたことを「僕の運のすべて」だと言えるほど、大切に思っています。
本当は「僕の何分の一でも君は幸せでいたのかい」と聞いてみたいとも思っていますが、不器用な彼は「一度も眼を見て」言えません。
自分が彼女を不幸にしたと感じつつも、直接聞くのを怖がる臆病な一面がとても人間らしいですね。
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走るにはどうやら命は長すぎて
悔やむにはどうやら命は短すぎて
諦めるにはどうやら命は長すぎて
分かるにはどうやら命は短すぎる
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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この「命」というフレーズが繰り返される部分は、当初未来のゴウ役を演じる予定だった志村けんが急逝したという衝撃的なニュースを思い起こさせます。
突然の死に多くの人が驚愕し、命や人生について考えたのではないでしょうか。
諦めることなく夢を追って走り続けるには、人生は「長すぎて」途中で疲れ切ってしまいます。
反対に、自分の生き方を悔んだりどう生きるべきかを理解したりするには人生は「短すぎて」まだまだ足りないようにも思えます。
長いようで短く、短いようで長い自分の命をどう生きるべきなのか考えさせられますね。
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ねぇやりきれない夜だけ 君を思い出してもいいかい
君の手垢だらけのこの記憶だけど ねぇ僕のものでしょう?
うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
お前さんなんて情けない 顔してんだよ
笑うどころか 危うく涙しそうで うつむくんだ
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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サビの「ねぇやりきれない夜だけ君を思い出してもいいかい」という歌詞は、もしかしたら過去の自分へ投げかけた言葉なのかもしれません。
今の人生があまりにもつらくてやりきれない気持ちになった時は、夢を追いかけて輝いていた自分を思い出してみる。そうすればきっと前向きな気持ちを取り戻せるのではないでしょうか。
また、この「君」を失った大切な人として考えることもできます。
友人でも夫婦でも、大切な人との思い出は「手垢だらけ」のように決して綺麗なことばかりではないでしょう。しかし、それは大切にされてきた証拠です。
残された人はその人が大切にしてきた記憶をバトンとして受け取り、その人に代わって何度も思い返して大切にしていくことが、一番の供養になるのかもしれません。
後半ではゴウが現在の自分と向き合う様子が描かれています。
「お前さんなんて情けない顔してんだよ」と鏡の中の自分に語りかけると、自分の不甲斐なさや悔しさなどの様々な感情が心に迫り、思わず泣いてしまいそうになります。
自分を見つめ直すことは時に怖いものですが、自分自身の弱さを知ることで人は前へ進んで行けると思わせてくれる歌詞です。
次の人生でもまた巡り合いたい大切な人
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夢も歌も賽の目も いつも僕には冷たくて
まるで暖をとるかの ようにから笑いを繰り返す
そんな日々だけど 君のその笑顔は
僕を温めた 身体の芯から優しく
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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「夢も歌も賽の目も」思い通りにならないものばかりです。
その冷たい現実から少しでも逃れようとから笑いで誤魔化す日々の中、愛する人や大切な仲間の笑顔に救われた場面が何度もあったのでしょう。
だからこそ、彼らは夢を追うことを諦めずにいられたのです。
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何回か先の世でまた逢うかな
その時ぶきっちょな顔はよしてよ
僕はまた一から君に恋を
どう逆らってもしてしまうだろう
そしたら人生またぎで特大の
いつもの憎まれ口を聞かせて
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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またいつか来世で巡り合えるとしたら。もう長くはない自分たちの命を思い、そんな想像を冗談交じりに語ります。
ゴウは何度も傷つけてしまった妻のことを考えながら、再会してもきっと「また一から君に恋を」してしまう自分の姿が容易に想像できるようです。
「どう逆らっても」というフレーズに、愛の深さが垣間見えます。
ゴウとテラシンとしての人生は終わっても、次の人生でも再会できるなら「いつもの憎まれ口」を聞きたいと思える友情関係もとても尊いものですね。
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うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
「お前さん 顔をあげなよ 無理してでもさ
似合わないだろう お前に涙なんかは」
どこからともなくあの 人懐っこい声が
聞こえるだろう
≪うたかた歌 feat. 菅田将暉 歌詞より抜粋≫
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最後のサビで鏡に向かうのはおそらくテラシンです。
彼がうまく笑えない時、ゴウの「人懐っこい声」が「お前さん 顔をあげなよ」と語りかけてきます。
そこにいなくてもふと思い出される大切な人の存在。
たとえ命が尽きても、その存在は出会った全ての人の心の中に刻まれています。
夢も人も、誰かの人生という物語を輝かせるかけがえのないものだと感じられる言葉が詰まった温かい楽曲です。
「うたかた歌」で儚いものの尊さを味わおう
『うたかた歌』のタイトルにつけられている「うたかた」は水面に浮かぶ泡のことで、儚く消えやすいものを意味します。
夢や命はいつかは消えてしまう儚いもの。それでも、儚いからこそ大切にしたいと思えるのかもしれません。
そして、見つけた夢や出会った人々を大切にして生きていくことが本当に豊かな生き方と言えるのではないでしょうか。
映画のストーリーとリンクさせながら人生観を問いかける深い歌詞に触れて、ぜひ自分の人生について考えてみてください。