ヘミングウェイの小説「老人と海」
ヨルシカの新曲『老人と海』は小説家ヘミングウェイの文学作品『老人と海』がモチーフです。
原作は英語ですがノーベル文学賞を受賞した小説作品でもあるため、日本語にも翻訳されて親しまれています。
小説『老人と海』の内容に沿って歌詞を考察するために、最初に小説のあらすじをご紹介します。
主人公は漁師の老人で、弟子の少年と漁をしていましたが、数か月にわたり一匹も釣れない不漁が続き、少年は両親から別の船に乗るよう命令されます。
弟子なしで一人で海に出た老人は3日にわたる孤独な死闘の末に巨大なカジキを仕留めますが、漁港にたどり着く前にサメにカジキを食いつくされてしまいます。
舟とカジキの残骸を見た弟子の少年が老人の家に行くと、老人は古新聞を敷いたベッドで眠っており、老人はライオンの夢を見ていました。
以上があらすじです。
最終的に仕留めたカジキをサメに食いつくされるというバッドエンドの物語ですが、不漁が続いても諦めずに漁を続ける老人の姿や、絶望的な出来事があった後も強さの象徴であるライオンの夢を見ていることに心打たれる作品です。
小説の解釈はさまざまですが、今回は小説『老人と海』が強さをテーマにした物語だという解釈を前提にして歌詞を考察していきます。
歌詞の「貴方」「僕ら」「僕」は誰?
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靴紐が解けてる 木漏れ日は足を舐む
息を吸う音だけ聞こえてる
貴方は今立ち上がる 古びた椅子の上から
柔らかい麻の匂いがする
≪老人と海 歌詞より抜粋≫
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冒頭の歌詞で「貴方」という表現が出てきますが、これは誰を指すのでしょうか。
「古びた椅子の上から」という言葉が続いていますね。
「古びた椅子」が老いを表現していると捉えれば、「貴方」は小説の主人公である老人を指しているのだと考察できます。
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遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
≪老人と海 歌詞より抜粋≫
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続きの歌詞では「僕ら」という表現が出てきます。
この「僕ら」には作詞作曲をしたn-bunaをはじめ、小説の読者や楽曲『老人と海』の聴き手が含まれているのではないでしょうか。
サビの「遥か遠くへ まだ遠くへ」というフレーズからは前に突き進むような印象を受けます。
小説から老人の強さに力をもらった「僕ら」はどこまでも前に進めるのだというメッセージなのかもしれません。
小説に登場する弟子の少年も老人から学びや勇気を得たのだとすれば、歌詞の「僕ら」には弟子の少年も含められるでしょう。
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風に乗って
僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ
≪老人と海 歌詞より抜粋≫
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歌詞には「僕」という表現も出てきます。
「僕ら」が小説の読者や楽曲の聴き手を含んだ表現だとすれば、「僕」は作詞作曲をしたn-buna自身を指すのだと考察できそうです。
「僕の想像力という重力の向こうへ」という歌詞は、自分が想像している目標を超えていきたいというn-bunaの前向きな気持ちが表現されているのではないでしょうか。
n-bunaが音楽を創る人だということを踏まえれば、「僕の想像力」という歌詞には「僕の創造力」という言葉もかけられているのかもしれませんね。
また、楽曲が発表されると聴き手はさまざまな解釈をして楽曲を楽しみます。
n-bunaの想像力を超えて楽曲の解釈が広がっていくことを「重力の向こうへ」と表現した可能性もあります。
「想像力」が何を表しているのかを考えると解釈が広がりますね。
歌詞と小説を両方味わってみよう
今回は小説『老人と海』を強さをテーマにした物語だと捉えた上で、歌詞の考察をしましたが、小説の解釈が変われば歌詞の解釈も変わるでしょう。
例えば、小説『老人と海』は強さに固執して弟子の少年に助けを求められなかった哀しい老人の物語であるという捉え方もあるでしょう。
この捉え方をした上で楽曲『老人と海』を聴くと、以下の歌詞に心惹かれます。
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靴紐が解けてる 僕はついにしゃがみ込む
鳥の鳴く声だけ聞こえてる
肩をそっと叩かれてようやく僕は気が付く
海がもう目の先にある
≪老人と海 歌詞より抜粋≫
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「肩をそっと叩かれて」という部分に優しさが感じられますよね。
強さに固執して独りで戦おうとするのではなく、心配してくれていた弟子の少年の優しさに気がつければ、また違った景色が見えたのでないか、というメッセージだという解釈もできるでしょう。
小説『老人と海』を読めば、楽曲『老人と海』の解釈が広がり、最初に聴いたときの想像力を超えてさらに楽しめるかもしれません。