amazarashiと中島美嘉がコラボした名曲
2021年11月17日にTHE FIRST TAKEで『僕が死のうと思ったのは』が披露され、話題を集めています。『僕が死のうと思ったのは』は、amazarashiの秋田ひろむが作詞作曲した楽曲。
THE FIRST TAKEに臨んだ中島美嘉の歌い方や表情からは、提供された楽曲をただ歌っているのではなく、自分なりの解釈で感情を表現をしていることが伝わります。
特に動画の5分30秒あたりに注目してみてください。
歌詞でいうと「死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから」という部分では、目の前にいる我が子に訴えかける母親のような表情・仕草・歌い方をしています。
秋田ひろむが詞と曲によって生み出した世界観を、彼女なりに解釈し想いを乗せて表現したのでしょう。
秋田ひろむと中島美嘉のそれぞれの表現が共鳴し、強い光を放つ『僕が死のうと思ったのは』の歌詞の意味を考察していきます。
僕が死のうと思ったのは何故なのか
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僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄ばんで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな
≪僕が死のうと思ったのは 歌詞より抜粋≫
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冒頭の歌詞から「僕が死のうと思ったのは」という言葉が使われ、続く言葉は「ウミネコが桟橋で鳴いたから」「誕生日に杏の花が咲いたから」。
「死のう」と思う要因としてはささやかすぎるようにも思えますね。
しかし、なんでもないように思える出来事で死を選びたくなるほど、追い詰められている様子を表現しているとも考えられます。
「死にたい」という気持ちが常に頭と心を支配しているからこそ、日常の些細な出来事に「死のう」と思う理由を探してしまうのかもしれません。
秋田ひろむが描きたいのは闇か希望か
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僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから
≪僕が死のうと思ったのは 歌詞より抜粋≫
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この歌詞では「満たされないと泣いている」という闇と「満たされたいと願う」という光が対のように表現されています。
心が闇に覆われて、この先に光があるようには思えない状況になり、死のうと思った。
そんな「僕」や「あなた」の中にも「満たされたいと願う」気持ちが実はずっとあるのだと、その光をすくいあげるような表現です。
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僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
≪僕が死のうと思ったのは 歌詞より抜粋≫
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この歌詞では「愛されたいと泣いている」という闇と「人の温もりを知ってしまった」という光が対のように表現されています。
人の温もりを知っているからこそ、その温もりがないことが痛みになるのでしょう。
自分が誰からも愛されていないように思えても、その感覚自体が人の温もりの記憶から生じていることに気づかせてくれる歌詞です。
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死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
≪僕が死のうと思ったのは 歌詞より抜粋≫
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冒頭でも紹介した歌詞ですが、この歌詞も「死ぬことばかり考えてしまう」という闇と「生きる事に真面目」という光が対のように表現されています。
苦しい状況にあったからこそ、生きる事を真面目に考えなければならなかった人に対して、生に向き合ってきたことを称えてくれるような歌詞だと感じます。
死のうと思うのは、誰よりも生きる事に向き合っている証拠なのかもしれませんね。
『僕が死のうと思ったのは』は、単に闇を描くのではなく、希望を描くために闇を描いた曲だといえます。
いつか世界を少し好きになる日が訪れるかもしれない
『僕が死のうと思ったのは』という楽曲は以下の歌詞で締めくくられます。----------------
僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ
あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ
≪僕が死のうと思ったのは 歌詞より抜粋≫
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今、死にたくなるような暗闇にいるとしても、死ぬことを先延ばしにすればいつか「あなた」のような人に出会えるかもしれません。
そして、自分も誰かにとっての「あなた」になれる日が来ます。