衝撃的な歌詞から始まる「ハッピーエンドへの期待は」
4人組ロックバンド『マカロニえんぴつ』が、2022年1月12日にメジャー1stフルアルバム『ハッピーエンドへの期待は』をリリース。
映画クレヨンしんちゃんの主題歌『はしりがき』、アルバム発売に先駆けて配信された新曲『なんでもないよ、』など、合計14曲が収録されています。
アルバムの1曲目に収録されている楽曲が、アルバム名にもなっている『ハッピーエンドへの期待は』です。
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「残酷だったなぁ人生は」思っていたより
いま君に会って思いきり泣いてみたい
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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曲冒頭にアカペラで歌われるのは、人生に絶望しているようにもとれる歌詞。
「泣いてみたい」の歌詞には、「泣いてみたい(けれど泣けない)」という主人公の虚しい気持ちが隠れているようにも聞こえるでしょう。
そんな衝撃的な表現で始まる、『ハッピーエンドへの期待は』の歌詞の意味を考察していきます。
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終わりは何も告げず始まった
朝が来ない部屋で燃やした恋も
このプライドや劣等じゃ闘えないと知る
どのくらいの無鉄砲が僕らには似合う?
また君のいない季節へ
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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続く歌詞からは、1つの恋が終わりを迎えたことが想像できるでしょう。
主人公が絶望的な気分に陥っている理由も、「君」と離れてしまったからだと解釈できそうです。
そして、今の君にはもう、僕ではない「大切な人」が既にいるのかもしれません。
「このプライドや劣等じゃ闘えないと知る」からは、その人と自分自身を比べて「もうどうにもならない」と僕が感じているように思えます。
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「残酷だったなぁ人生は」思っていたより
いま君に会って思いきり泣いてみたい
どうにかなるはずさ どうにかなるはずさ
どうにもならなかった僕らの日々に名前は付けないで
思い出になるほど綺麗じゃないから
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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思い出に限らずですが、「名前をつけると愛着がわく」という考え方がありますよね。
2人の思い出に名前をつけてしまえば、愛着がわいて永遠に手放せなくなってしまうかもしれません。
別れてしまった恋人のことを、ずっと想い続けていても苦しいだけ。
そんな風に考えた僕が、君と過ごした日々を忘れようとしているように感じられそうです。
「ハッピーエンドへの期待は」が北村匠海主演映画の主題歌に
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背広が似合わないと肩叩き笑い合った
あいつの猫背が急に恋しいぜ
「散々なんだよな人生は」わかっちゃいたけど
いまお前に会って話したいな 話したいよ
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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2番では「あいつ」や「お前」など、1番の「君」とは異なる二人称が登場します。
「いまお前に会って」は、1番の「いま君に会って」と同じメロディーライン。
しかし、わざわざ歌詞を変更しているので「君」とは別の人物を指していると解釈できるでしょう。
そもそも『ハッピーエンドへの期待は』は、2021年12月公開の映画『明け方の若者たち』の主題歌として書き下ろされた楽曲。
映画の原作は2020年に出版された同名小説です。
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井の頭の夕陽は僕らの影を掴む
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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原作の内容に少し触れると、物語は大手企業の内定を獲得した主人公が、明大前駅で開催された飲み会に参加するところから始まります。
「井の頭」は、明大前駅を通る井の頭線を連想させますね。
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大人になりそびれた哀れな影たちを
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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社会人になった主人公は職場で希望でない部署に配属され、「こんなハズじゃなかった」と思うようになっていきます。
「大人になりそびれた」は、子どもの頃に思い描いていた理想とかけ離れた人生を送っている自分自身を表しているのかもしれません。
悲観的になっている主人公を支えていたのが、同じ職場で働く友人「尚人」と、恋人である「彼女」の存在でした。
つまり、原作になぞって考えるなら、『ハッピーエンドへの期待は』の歌詞の人物は、
「君」=「彼女」、「お前」「あいつ」=「尚人」を表しているのかもしれませんね。
ハッピーエンドへの期待は「している」のか「していない」のか
『明け方の若者たち』では、小説・映画ともに「いくら好きでも、ハッピーエンドは望めねえよ」というセリフが登場します。
楽曲タイトルの『ハッピーエンドへの期待は』も、このセリフからとられているのでしょう。
気になるのは、『ハッピーエンドへの期待は』で切られている点。
ハッピーエンドへの期待は「している」のか、「していない」のか、どちらの意味にもとれそうですね。
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終わりは何も告げず始まった
もう君のいない季節も選んでよかったとおもう
愛してるよ、ぜんぶ足りなかった毎日
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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「終わり」「君のいない季節」から考察できるように、歌詞中の僕と君の関係は終わってしまったのでしょう。
もしかしたら、最初からハッピーエンドへの期待は「できない」恋だと主人公は悟っていたのかもしれません。
それでも、主人公が君を真剣に愛していたことが「愛しているよ、ぜんぶ足りなかった毎日」の歌詞から感じられるのではないでしょうか。
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どの夜のことを思い出してしまってもね
悲しくはないのだ
ハッピーエンドへの期待は捨てるなよ?どうか元気でね
≪ハッピーエンドへの期待は 歌詞より抜粋≫
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1番では「残酷だったなぁ人生は」と嘆いていた主人公が、ラストでは「悲しくはない」と告げているのが印象的ですね。
主題歌となった『明け方の若者たち』では、ある日を始まりとした主人公の5年間が描かれています。
もしかすると、ラストの歌詞も2人が別れてから何年後かの僕の心情なのかもしれません。
そして、ここでの「ハッピーエンド」は恋の行方ではなく、今後の人生の行方を意味しているように解釈できそうです。
当時は真剣に悩んでいたことも、時間が経ってしまえばいい思い出に変わることもあるでしょう。
乗り越えていけばいつか生きていてよかったと思える日が来るはずだから、ハッピーエンドへの期待は「捨てない」。
ラストの歌詞には、そんな希望が込められているように感じられます。
マカロニえんぴつのあの曲とも繋がる?
マカロニえんぴつのメジャー1stフルアルバム収録曲『ハッピーエンドへの期待は』の歌詞を考察しました。
生きていると、恋愛も仕事も...すべてが上手くいくことばかりではないでしょう。
しかし、「絶望を受け入れながらも前に進んでいけば必ずいい未来がやってくる」といったメッセージが、『ハッピーエンドへの期待は』には込められているように思えます。
ちなみに、『明け方の若者たち』には"こんなハズじゃなかった人生"というワードが頻繁に登場します。
そして、マカロニえんぴつの楽曲『ヤングアダルト』には、偶然にも「こんなはずじゃなかったかい?」の歌詞があるのが印象的。
タイトルの『ヤングアダルト』も、『明け方の若者たち』に繋がる部分がありますね。
『明け方の若者たち』の原作者・カツセマサヒコも以前に「(ヤングアダルトは)10万文字が4分半に凝縮されてる」とTwitterでコメントしています。
小説・映画『明け方の若者たち』と『ハッピーエンドへの期待は』、そして『ヤングアダルト』も聴くと、歌詞や小説の世界観をより楽しめるかもしれません。