かつての友の死を歌った『ひこうき雲』
荒井由実の『ひこうき雲』は、1973年に発売された楽曲です。のちに松任谷由実、ユーミンとして活躍する彼女が、荒井由実時代にリリースした貴重な楽曲。
シングルとしては2枚目(『きっと言える』B面曲)、アルバムとしては1枚目として、同タイトルで発売されました。
2013年7月に公開された宮崎駿監督作品・ジブリ映画『風立ちぬ』の主題歌となったことで再び注目を集め、松任谷由実名義で配信シングルもリリースされています。
『ひこうき雲』の元ネタは本人の実体験で、小学校の同級生が病気で亡くなったことに影響され、生み出されたといわれています。
同級生という存在はとても懐かしい存在でありながら、卒業してしまえば互いに別々の人生を歩むもの。
時が経てば成長するのは当たり前のことなのに、記憶の中の姿と成長した現実の姿がリンクしないこともよくあるでしょう。
人知れず人生を終えた同級生との再会が、彼女に大きな衝撃を与え、楽曲の誕生にまでつながったのかもしれません。
『ひこうき雲』はデビューのきっかけにもなった楽曲のため、ユーミン自身にとっても特別な曲なのではないでしょうか。
誰に知られることもなく散っていった命を歌った『ひこうき雲』の歌詞は、1920年代の日本を舞台とした『風立ちぬ』の世界にもぴったりとマッチ。
その日を生きていくのがやっとだった時代の「命」に思いを馳せるような歌詞が印象的です。
優しく包み込むようなメロディと、悲しさの滲んだ歌詞。
『風立ちぬ』の時代と重なる『ひこうき雲』の世界を読み解いていきましょう。
「死」を受け入れた先にある穏やかな最期
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白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇ってゆく
≪ひこうき雲 歌詞より抜粋≫
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かげろうは夏に見られる現象の1つですが、実際にはそこに存在しないものという意味では、儚さの象徴にも見えます。
ゆらゆらと揺れて実態のないもの。
それは魂にもつながるからです。
その魂は誰に気づかれることでもなく、天へと昇ってゆく。
かつての友が、自分の知らない人生を歩み、そして死んでいった衝撃。
同級生の死は、よく知っている人なのに、何も知らないような、不思議な喪失感を伴います。
一方で、人知れず死んでいく姿は、空の上で若き命を散らせた特攻隊員の姿にも重なります。
多くの人に看取られることもなく、誰も知らない瞬間に、そっと命の終わりを迎えた人たち。
見上げた空の上で、まさに今この瞬間、誰かの命が散っている時代が、確かにあったのです。
特攻隊員の死を歌っているという解釈も
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何もおそれない そして舞い上がる
≪ひこうき雲 歌詞より抜粋≫
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『ひこうき雲』は、太平洋戦争で国のために懸命に戦い若くして散っていた、特攻隊員の死について歌っているという説もあります。
死ぬことは、一般的には怖いことです。
しかし日本が戦争をしていた頃、誰もが命の危険にさらされていました。
覚悟を決めた人にとって、死は怖いものではなく、ただ受け入れるもの。
特攻隊員たちは国を、家族を守るため「何もおそれない」と覚悟を決め、空に舞い上がっていったのでしょう。
「ほかの人にはわからない」という歌詞が意味するもの
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空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空をみていたの 今はわからない
≪ひこうき雲 歌詞より抜粋≫
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今は空に憧れてパイロットになる人がいても、死に直結しません。
少なくとも、死にに行くわけではないのです。
しかし特攻隊員は、死ぬことが目的でした。
捨て身の特攻で敵船にダメージを与える。
今では考えられない方法で、多くの若者が命を落としていったのです。
ひこうき雲が空に白い線を描き、やがて消えてゆくように、「あの子」の命もふわりと空へ消えていきました。
「あの子」がこの物語の主人公にとって、子供なのか弟なのかは分かりません。
ただ、そこには愛情が流れています。
大切な人たちが空で散っていったという過去に思いを馳せ、最後の瞬間も空を見ていたのだろうかとふと考える。
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ほかの人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
≪ひこうき雲 歌詞より抜粋≫
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「あの子」の最期に思いを馳せるのは、その人を知っていて、大切に思っている人だけです。
見ず知らずの人にとっては関係のない、今となっては何も分からないこと。
知りようのないことです。
「ほかの人にはわからない」という短い歌詞には、誰も知らなくても、自分にとってかけがえのない人が死んだという事実への、深い悲しみを感じます。
理解を求めるわけでも、分かろうとしないことを批判するでもなく、ただ悲しみ、最期の姿に思いを馳せる。
それが、死んでいった人にできる精一杯のことなのかもしれません。
「あまりにも若すぎた」という歌詞が胸に刺さります。
二十歳そこそこの青年たちが、こぞって国のために命を差し出した時代。
遙か遠い時代のように感じますが、まだ一世紀も経っていません。
若すぎる命を無闇に捨てずに済む時代。
それがどれほど尊くかけがえのないものであるか、改めて噛みしめたくなるような歌詞です。
松任谷正隆を唸らせた荒井由実の音楽性
夫である松任谷正隆は、『ひこうき雲』のコード進行に衝撃を受けています。1人の女性としてだけでなく、音楽家としてのセンスが垣間見えるエピソードですね。
『ひこうき雲』が生み出されたのは彼女が高校生の頃ですから、当時から音楽の才能を発揮していたのです。
デビューから50年近く経ってもなお、音楽の世界で輝き続け、存在感を示し続けるユーミン。
数々の名曲を生み出し続ける彼女の圧倒的な強さは、若い頃から育まれてきた音楽家としての才能と、独自の音楽センスにあるのでしょう。
同級生の死をきっかけに誕生した名曲『ひこうき雲』。
今回の考察はほんの一例に過ぎません。
弔う気持ちに溢れた慈悲溢れる楽曲を、自分なりに解釈してみてくださいね。