「赤とんぼ」は三木露風の実話だった?
日本には四季折々の風景を描いた美しい童謡が数多くあります。
特に秋になると、温かみと共に独特の哀愁や切なさを感じる曲が季節の雰囲気にぴったりで、思わず胸がいっぱいになる人も少なくないのではないでしょうか。
童謡『赤とんぼ』はそんな日本の秋の風景を情感豊かに切り取っています。
詩人・三木露風が作詞をし、音楽家の山田耕筰が作曲を務めて大正10年に発表されました。
この楽曲は三木露風自身が故郷の兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)で過ごした幼少期の情景を描いています。
彼の子供時代のエピソードと共に歌詞の意味を考察していきましょう。
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夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
≪赤とんぼ 歌詞より抜粋≫
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夕焼けに赤く染まっていく空を飛んでいく赤とんぼ。
誰かの背に「負われて見たのはいつの日か」とあるので、これはそんな幼少期の記憶を思い返している場面であることが窺えます。
三木露風をおぶってくれていたのは両親ではありません。
両親は彼が5歳の頃に離婚し、母親とは生き別れて三木家の祖父の元で育てられたのだそうです。
そこで子守り娘として奉公していた女中が世話をしてくれていたようなので、その女中におんぶされて赤とんぼを見た思い出が描かれていると解釈できます。
ちなみに「夕やけ小やけ(夕焼け小焼け)」の「小やけ」は語調を整えるために添えられた語なので、それ自体には特別な意味はありません。
姐やとの別れから見える歌詞の解釈とは
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山の畑の 桑の実を
小篭に摘んだは まぼろしか
≪赤とんぼ 歌詞より抜粋≫
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2番でも女中と一緒に過ごした楽しい時間を振り返っています。
家の山の畑になっている桑の実を小籠いっぱいに拾い集めようと頑張る幼い少年の姿が想像できますね。
そんな何気なく思える記憶を「まぼろしか」とさえ感じるのは、その記憶が彼にとってあまりに美しいものだからだと考察できそうです。
いつも身近にいて大切にしてくれる女中への淡い恋心もあったのでしょう。
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十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた
≪赤とんぼ 歌詞より抜粋≫
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この部分で歌われている「姐や」が世話をしていた女中のことです。
当時は15歳で嫁に行くことも珍しくはありませんでした。
女中も嫁に行くことになり、仕事を辞めて少年のもとから去って行きます。
「お里のたより」とはどこからの便りのことでしょうか。
文脈からすると女中の故郷と解釈できますが、「絶えはてた」という強いフレーズから三木露風の故郷でもあったのではないかと考えられます。
女中が働いている間は、彼女へ送られる手紙で故郷の様子を知ることができました。
しかし、おそらく密かに想いを寄せていた女中がいなくなっただけでも悲しいのに、故郷のことを知る唯一の手段さえ失ってしまったことを憂いているのかもしれません。
そして同時に、女中に母親を重ねて、もう会えない母親を恋しく思う気持ちも隠されているように思えます。
大人になって振り返る懐かしいあの頃
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夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先
≪赤とんぼ 歌詞より抜粋≫
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ここまで過去形で綴られた歌詞が4番になって現在形に変化しているため、これは大人になってからの様子を描いているようです。
いつか女中に背負われて見た、夕焼けの空を赤とんぼが飛んでいく鮮烈な風景を、今は一人で眺めています。
ふと竿の先に止まった赤とんぼは子どもの頃見た記憶と同じ姿をしていて、それをきっかけに子供時代のいくつもの思い出や当時抱いた感情が思い出されたのでしょう。
姐やは元気でいるだろうか、今頃母親は何をしているだろうか。
そんなことを考えながら、懐かしさとかすかに残る寂しさを胸にぼんやりと景色を眺めている様子が想像できます。
美しい童謡で秋を感じよう
『赤とんぼ』は大切な人との別れやほのかな恋心、はっきりと心に残る鮮やかな情景という誰にでも覚えのある心象風景をシンプルに描いているからこそ、現代の日本人の心にも響くのでしょう。時を経ても変わらず残っている、日本の風景とわびさびの心の美しさを改めて感じることができますね。
懐かしい思い出を振り返る唱歌としていつまでも残していきたい童謡です。