「翼をください」は怖い曲なのか
音楽の教科書に掲載され、日本中で合唱曲として広く親しまれてきた楽曲『翼をください(つばさをください)』。
学校の唱歌のイメージが強い人も多いかもしれませんが、実は1970年代前半に活躍したフォークグループ・赤い鳥がシングル『竹田の子守唄』のカップリング曲として発売した楽曲です。
ヤマハ音楽振興会が主催する音楽コンテスト「合歓ポピュラーフェスティバル」のために、作詞家の山上路夫と作曲家の村井邦彦によって制作されました。
聴く人によって「怖い歌」や「希望がある曲」とイメージが分かれる『翼をください』ですが、実際はどんな意味を持つ楽曲なのでしょうか?
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今、私の 願いごとが
叶うならば翼がほしい
この背中に 鳥のように
白い翼 つけて下さい
≪翼をください 歌詞より抜粋≫
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1番で、主人公は自身の「願いごと」を明かしています。
それは「翼がほしい」というものです。
誰でも空を自由に飛び回る鳥を見て、一度は「自分にも翼があれば」と想像したことがあるでしょう。
ここでは、ほしいのは「白い翼」だと具体的に表現されているのが印象的です。
白い翼が平和の象徴のイメージが強いモチーフであることや、安保闘争や学園紛争で揺れる1970年当時の社会情勢を踏まえると、平和への願いも込められているように思えます。
一方、天使の翼を連想した人の中には自殺をほのめかしているのではないかと考える人も少なくないようです。
続く歌詞からさらに詳しく考察していきましょう。
自由への願いは作者の病気も関係している?
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この大空に 翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせ行きたい
≪翼をください 歌詞より抜粋≫
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サビの歌詞を見てみると、この「翼」は自由を手にするための手段であることが見えてきます。
目の前に広々と広がる雄大な「この大空」は、自分を取り巻く環境とは全く違う「悲しみのない 自由な」場所。
どうあがいても逃れられない苦しい現実から抜け出したいと願っているのです。
作詞家・山上路夫は小児ぜんそくのために満足に小学校に通えなかったそうで、のちに「その時の苦しい思いも含められていたのかもしれない」とコメントしています。
きっと外を自由に走り回る同世代の子供たちと空を羽ばたく鳥が重なって見えたのでしょう。
ある意味現実逃避を歌っている曲ですが、苦しい現実に正面から向き合い続けていると心が折れてしまうこともあります。
そうなる前に明るい未来を想像して心を軽くすることも間違っていないのではないでしょうか。
さらに最後の「翼はためかせ行きたい」というフレーズから、自分でその場所へ向かいたい気持ちがあることも分かります。
今の状況が劇的に変わることをただ願っているのではないようです。
自分が幸せになれる世界はこことは違う場所にあって、今は力も手段もなくてたどり着けないけれどチャンスがあるならそこへ何としてでも行きたいという思いがあると解釈できます。
好奇心とやる気に満ちた子供たちの歌声とマッチするのは、そんな心の底から湧き出るような情熱的な気持ちが垣間見えるからなのかもしれません。
未来への希望が見えてくる
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子供の時 夢見たこと
今も同じ 夢に見ている
この大空に 翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ
≪翼をください 歌詞より抜粋≫
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2番にある通り、大人になった主人公は「子供の時 夢見たこと」を今も変わらず純粋な気持ちで願っています。
人がどれほど願っても翼を手に入れられないのと同じように、自由や平和も一人の願いで実現するほど簡単なものではありません。
そのことを理解しているからこそ、1番で「私の願いごとがかなうならば」と前置きしているのでしょう。
これがもし自殺を示す楽曲だとしたら「子供の時 夢見たこと」と今の願いは明らかに意味の違うものになってしまいます。
いっそ死んで楽になりたいという考えは、夢と呼ぶにはネガティブすぎる感情です。
そのため主人公の心には、幼心に空を飛んでみたいと思ったのと同じポジディブな気持ちがあると考察できます。
そう仮定すると『翼をください』は誰もが笑顔で生きられる未来への希望を伝える歌だと感じられますね。
日本の名曲を見つめ直そう
『翼をください』は悲しげな音楽のために暗い歌という印象を持たれやすい楽曲ですが、歌詞をじっくり考察すると前向きに平和と自由を願う思いを感じ取ることができます。そして、次の世代の子供たちへと受け継ぎ続けるべき歌と言えるでしょう。
改めて『翼をください』の歌詞に込められたメッセージを自分なりに考えてみてくださいね。