名曲誕生の陰には名コンビあり
『朧月夜』は、日本で多くの人に長年愛されている唱歌です。
文部省唱歌にも認定されており、子供たちに歌い継がれてきた楽曲でもあります。
この楽曲が初めて教材として採用されたのは、1914年(大正3年)の「尋常小学唱歌 第六学年用」でした。
戦後、1947年(昭和22年)に学校教育法が制定され、検定教科書が採用されるようになると『朧月夜』は小学6年生の音楽の教科書に掲載されるようになりました。
作詞は高野辰之、そして作曲は岡野貞一が務めました。
高野辰之は長野県出身の作詞家で、現在の長野県中野市にあたる豊田村で生まれ育ちました。
高野は豊かな自然にはぐくまれた感性を活かし、日本人の心に響く名作を残しました。
彼は長野で教師として勤めた後に上京し、教科書の編纂委員を務めています。
その後、東京音楽学校(現東京藝術大学)をはじめとした大学で教鞭をとり、日本の歌謡や演劇史、民俗芸能などの研究に専念しました。
一方、岡野貞一は鳥取県出身の作曲家。
東京音楽学校を経て最終的には同校の教授まで昇任しています。
彼も高野同様、文部省唱歌の編集や作曲を担当し、多くの人に親しまれる作品を残してきました。
まさに日本を代表する名コンビによって生み出された楽曲が『朧月夜』なのです。
彼らは、本作以外にも『ふるさと』『春が来た』『春の小川』『もみじ』など、誰もが1度は歌ったことのある唱歌を多数生み出してきました。
『朧月夜』に登場する「朧月」とは、霧やもやなどに包まれてかすんで見える春の夜の月を指します。
今回は、『朧月夜』で表現された美しい日本の情景を、歌詞の意味から読み解いていきましょう。
遠近感のある歌詞描写
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菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し
≪朧月夜 歌詞より抜粋≫
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時刻は夕方。
辺り一面には、菜の花畑の海が広がっています。
「入り日薄れ」とは、夕日の光が薄くなっていく様を表しています。
つまり1番の歌詞は、日が落ちつつある瞬間を切り取っていることが分かります。
「山の端」とは、山と空とが接して見える境のこと。
その部分には、霞が深くかかっています。
春らしいあたたかい風を感じてふと空を見上げると、遠くに夕方の月が掛かっているのが見えます。
「夕月」は、夕方の月という意味の他に、三日月という意味もあるそう。
確かに、『朧月夜』では、満月のように堂々とした風格よりも、三日月のわびさびとした雰囲気が似合いますね。
そして、「にほひ」は古典の言葉で「目立つ色合い」を意味します。
つまり「にほひ淡し」とは、色合いが淡くなっている状態。
月の色合いが、霞によって淡くなっている様子を表していることになります。
1番の大きな特徴は、視点の移り変わりが歌詞の中で丁寧に表現されていることでしょう。
主人公の目線は、眼下に広がる菜の花畑から山の端、そして空に浮かぶ月へと少しずつ遠くへ移動していることが分かります。
高野は、端的な言葉で情景の遠近感を見事に表現し、より繊細な描写を可能にしました。
生物の気配を加え「趣深い楽曲」に
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里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
≪朧月夜 歌詞より抜粋≫
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「里わ」とは、人里のあるあたりを指します。
つまり「里わの火影」とは、民家からもれて見える灯の光を意味しています。
「田中の小路」とは、水田の中にある細い道のこと。
その道を通って帰路に就く人の姿が見えます。
豊かな自然の中、聞こえてくるのはカエルの声や遠くで響く鐘の音。
「さながら」とは「すべて」という意味です。
つまり、最後のフレーズはすべてがぼんやりと霞がかっていく様子を表しています。
2番の歌詞で1番と決定的に異なるのは、景色の中に「生物の気配」が感じられる点です。
歌詞の中に人の動きや「音」の情報を入れることで、聞き手はそこに住む人の生活や環境をより鮮明に想像することができます。
つまり『朧月夜』で描かれた内容は「美しい風景画」にとどまらず、哀愁や懐かしさのような趣深さを感じさせることができるのです。
最後には、ここまで並べてきた情報を「さながら霞める」でまとめ、楽曲の主役である「朧月夜」にフォーカスするという美しいラインが敷かれています。
作詞家の愛情が詰まった楽曲
今回は、日本を代表する名コンビが生んだ『朧月夜』をご紹介しました。シンプルな歌詞の中に、味わい深い表現が凝縮されていることがわかりました。
何よりも、故郷を愛する作詞家・高野辰之の想いが感じられる楽曲でした。
これを機に、日本の美しい歌曲を楽しんでいただけたら幸いです。