星野源が「喜劇」で表現する「SPY×FAMILY」という家族の形
星野源の新曲『喜劇』は、現在放送中のアニメ『SPY×FAMILY』のエンディングテーマソングです。
2022年4月8日に配信リリースされ、YouTubeでは『SPY×FAMILY』のアニメーション映像付きの動画も公開されています。
『SPY×FAMILY』は、タイトルの通り、とある一家を中心に描かれるコメディ作品。
話の舞台は東西の国同士が緊迫した状態にあり、スパイが暗躍している時代です。
主人公の黄昏は、西国「ウェスタリス」随一の凄腕スパイ。
両国の戦争を回避するため、偽の家族を作り任務に励みます。
メインとなる登場人物は黄昏(父親役)、ヨル(母親役)、アーニャ(娘役)の3人。
黄昏はロイド・フォージャーと名乗り、表向きは精神科医として働いています。
ヨルは表向き市役所職員ですが、裏家業は殺し屋。
黄昏と同様、人に言えない仕事をしている女性です。
そして娘のアーニャは、表向き小学生ということになっていますが、人の心が読める超能力者。
三者それぞれが自分の目的のために素性を隠して同居するという、摩訶不思議な家族の誕生です。
『喜劇』の歌詞は、そんなフォージャー家とリンクした歌詞が印象的。
一体何を以て『喜劇』なのか、考察を進めています。
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争い合って 壊れかかった
このお茶目な星で
生まれ落ちた日から よそ者
涙枯れ果てた
帰りゆく場所は夢の中
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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争いによって荒廃した星は地球。
表向きだけ平和で、水面下ではいつ戦争が起きてもおかしくない不安定な状況が、作品世界と重なります。
この世に産み落とされた日からよそ者として世間から切り離された境遇は、アーニャの生い立ちとリンクしていますね。
アーニャはそもそも、普通の子供ではありません。
とある実験の際に生まれた特殊な子供であるがゆえ、両親は不明。
人の心が読めるという特殊能力故に、人間らしい扱いはきっとされてこなかったことでしょう。
アーニャは作中で、黄昏に引き取られて疑似家族となります。
過去に4度、里子に出されては戻されたアーニャにとって、再び「ちち」が現れたことは大きな幸せだったでしょう。
超能力が使えても、子供は子供。
アーニャはずっと、迎えに来てくれる家族を探していたように思えます。
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零れ落ちた 先で出会った
ただ秘密を抱え
普通のふりをした あなたと
探し諦めた
私の居場所は作るものだった
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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涙も枯れ果て、夢の中にしか居場所がなかった彼女が、黄昏によって新しい居場所を与えられ、偽物とはいえ父親を手に入れます。
「秘密を抱え普通のふりをしたあなた」とはまさに、黄昏。
黄昏はスパイであることを隠し、ロイド・フォージャーという精神科医としてアーニャの前に現れました。
心が読めるアーニャは黄昏がスパイであることを一瞬で見抜きますが、たとえスパイであろうと、任務のための偽家族であろうと「ちち」ができたことにはしゃぎます。
アーニャにとって、居場所があるということは、本物の家族かどうかより何倍も重要なことだったのでしょう。
互いの存在が支えになる「疑似家族」という存在
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あの日交わした
血に勝るもの
心たちの契約を
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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任務のためにアーニャを引き取った黄昏は、母親役として殺し屋のヨルと契約結婚をします。
すべては任務遂行のため、殺し屋稼業を続けていくため。
スパイも殺し屋も一見すると汚れ仕事ですが、よりよい世界を作り出すために自らを犠牲にしているのです。
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手を繋ぎ帰ろうか
今日は何食べようか
「こんなことがあった」って
君と話したかったんだ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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フォージャー家はどこにでもいる仲のよさそうな家族に見えて、互いの素性を隠し、探り合いをしているような家族です。
しかし、仮初めの笑顔であったとしても、一緒に出かけたり、食事をしたり、勉強を教えたり。
そこには本物の家族と何ら変わらない会話があるのでしょう。
家に誰かがいる、その日あったことを話せる相手がいることのありがたさを噛みしめるような歌詞が印象的です。
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いつの日も
君となら喜劇よ
踊る軋むベッドで
笑い転げたままで
ふざけた生活はつづくさ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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人生はよいことばかりではありません。
理不尽な仕打ちに心折れそうな日も、自分の惨めさに嫌気が差す日もあるでしょう。
そんな日でも、大切な「君」さえいれば人生は喜劇だと笑っていられる。
黄昏もまた、仮初めの家族を貫くことが心の支えとなったり、アーニャやヨルの存在が救いになっていたりします。
1人では耐えられないことも一緒に乗り越えて行けるという意味で、フォージャー家は立派な家族だといえますね。
「ふざけた生活」が結ぶ家族の絆
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劣ってると 言われ育った
このいかれた星で
普通のふりをして 気づいた
誰が決めつけた
私の光はただ此処にあった
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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『喜劇』のエンディング映像は、アーニャ目線で描かれています。
楽曲の歌詞もまた、アーニャの生い立ちや想いに寄り添うような言葉がちりばめられています。
人と違うことを突きつけられ、自分のダメさと向き合いながら生きてきた「私」。
アーニャは決して劣っているわけではありませんが、人の心を読むという超能力を持って生まれたことで、他人と相容れない存在となり、辛い思いをたくさんしてきたのかもしれません。
黄昏に出会うまで、アーニャにとって世界は冷たいものだったのではないでしょうか。
能力を隠して普通のふりをしながら、まったく普通ではない「ちち」と暮らす中で、アーニャの心は満たされているように見えます。
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あの日ほどけた
淡い呪いに
心からのさよならを
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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人前で能力を出せない、本当の自分をさらけ出せないことはずっと、アーニャにとって大きなストレスだったはずです。
しかし、普通ではない者同士が身を寄せ合うフォージャー家に迎えられて、そんな呪いから開放されたのです。
偽りだらけの家族に本当の愛があり、普通ではない人たちに囲まれることで心がほぐされる、不思議な関係。
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顔上げて帰ろうか
咲き誇る花々
「こんな綺麗なんだ」って
君と話したかったんだ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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いつもの帰り道、ふと見つけた花を愛でたり、きれいだねと笑い合ったり。
そんな何気ない瞬間にこそ、幸せはあるのかもしれません。
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どんな日も
君といる奇跡を
命繋ぐキッチンで
伝えきれないままで
ふざけた生活はつづく
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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キッチンは命を繋ぐ、大切な食べ物を扱う場所です。
テーブルを囲んで家族みんなで料理を味わう。
当たり前の光景が、当たり前ではない家族によって、ごく自然に繰り広げられる奇跡。
「ふざけた生活」という歌詞には揶揄するような響きはなく、フォージャー家を愛おしむような優しい温もりを感じます。
スパイの父と殺し屋の母親と超能力者の娘。
そんな3人が作り出す家族なんて、傍から見ればふざけたものです。
吹けば飛ぶような仮初めの家族に見えて、簡単には壊れない家族。
このふざけた生活は、一人一人が懸命に守っているものでもあるのです。
アーニャ目線で描かれる「喜劇」エンディング映像に込められた想い
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仕事明けに
歩む共に
朝陽が登るわ ああ
ありがとうでは
足りないから
手を繋ぎ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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黄昏はスパイとして、ヨルは殺し屋として、どちらも気の抜けない仕事をしています。
それでいて、誰かに打ち明けることも賞賛されることも叶わない。
ふとした瞬間に心が揺らいでしまうこともあるでしょう。
仕事のために命をかけているからこそ、仮初めであったとしても家に帰って家族と過ごす時間が日々の癒やしになっているのかもしれません。
「ありがとう」という言葉だけでは伝えきれないほどの感謝を、手を繋ぐことで伝えようとする歌詞がとても優しく、温かいですね。
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永遠を探そうか
できるだけ暮らそうか
どんなことがあったって
君と話したかったんだ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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フォージャー家は黄昏が任務のために作った寄せ集めの家族。
そんな彼らにとって「永遠」は最も縁遠い言葉です。
それでもこの歌詞が皮肉に聞こえないのは、フォージャー家にはすでに、本物の温かい感情が芽生え始めているからでしょう。
「できるだけ暮らそうか」という歌詞には、今の生活が少しでも長く続くようにという祈りが込められているような気がします。
少なくともアーニャは、「ちち」と「はは」と少しでも長く居られるよう「一緒」が終わらないように、小さな身体で懸命に考え、行動しています。
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いつまでも
君となら喜劇よ
分かち合えた日々に
笑い転げた先に
ふざけた生活はつづくさ
≪喜劇 歌詞より抜粋≫
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どんな辛いことも喜劇だと笑っていられる「君」と、いつまでも暮らせるように。
『喜劇』の歌詞には、奇跡のような出会いを愛おしみ、大切に守っていこうとする決意と願いが込められているのではないでしょうか。
他人から見ればハリボテの即席家族。
そんな家族に与えられた束の間の平穏が永遠に続くように願わずにはいられません。
では最後に『喜劇』のエンディング映像をご紹介します。
アーニャ目線で描かれた柔らかいタッチのイラストが、心をほっと癒やしてくれますよ。
アーニャにとって「ちち」と「はは」がどんな存在なのか、フォージャー家という居場所がどれだけ大切なのかが分かる、心温まるアニメーションにも注目です。