プロボクサー井岡一翔とのコラボ曲
2022年2月25日に配信リリースされたsyudou『たりねぇ』。
社会現象を巻き起こしたAdo『うっせぇわ』の作詞作曲で一躍有名になったsyudouですが、ボカロPのみならずシンガーソングライターとしても人気急上昇中です。
なかでも『爆笑』はお笑いコンビ、マヂカルラブリーを連想させるフレーズが入っていることで話題になりました。
syudouの楽曲はアップテンポで攻撃的な歌詞が持ち味。
今回考察する『たりねぇ』は特に荒々しく、言葉遊びに富んだ楽曲となっています。
というのも、この曲はプロボクサーの井岡一翔をイメージして書かれたもので、2021年の大晦日に開催された『WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ 井岡一翔vs福永亮次』で使用されました。
試合前にはコラボ動画も公開され、「上に上に上に」という気概あふれる歌詞には井岡選手もこれまでの試合経験を重ねて共感しているようです。
また、イラストレーターのsakiyamaが手がけたMVでもボクサーが主人公として描かれています。
ダークながら力強い、syudouらしい世界観は必見です。
以下では、そんな荒々しくも熱い楽曲『たりねぇ』の歌詞の意味を考察していきます。
ボクシングとリンクする胸熱の1番
歌い出しは「上に上に上に上がるだけ」。
冒頭からエンジン全開で、燃え上がる野心が感じられます。
リスナーのテンションも一気に上がりそうです。
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上に上に上に上がるだけ
あっと言うまに鬼も笑う時期
そして流れるゆく年くる年
何だかんだで今年は良かったなぁ
でもでも
ちょっと待ってそれアタシのじゃないし
ハッキリ言って安堵の影無し
全く腹も預金も満ちていない
≪たりねぇ 歌詞より抜粋≫
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「鬼も笑う時期」「ゆく年くる年」「今年は良かった」といった歌詞から、どうやら歌っているのは年末の心境のようです。
「来年のことを言うと鬼が笑う」という言葉もあるので、来年のことを考えなしに話している年末の情景も思い浮かびますね。
次の「それアタシのじゃないし」と「安堵の影無し」については、ボクシングとリンクする部分がありそうです。
ボクシングの王者といえばチャンピオンベルトを連想する人が多いでしょう。
もしかしたら「それアタシのじゃないし」の「それ」はベルトのことで、過去の栄光と今の自分を切り離すような潔さを表現しているのかもしれません。
そして「安堵の影無し」は、一度王座に就いたら避けられない「防衛戦に対する油断禁物の感」を表している可能性があります。
実際、井岡選手にとって大晦日ボクシングは4度目の防衛戦でした(結果、見事防衛を果たしています)。
そう考えると、過去の栄光にすがって油断することなく、常に今の自分で勝負するプロボクサーの気概が感じられる歌詞ですね。
一方、これらの歌詞はsyudou自身の一年の振り返りとも解釈できます。
冒頭で述べた通り、2021年はAdoの『うっせぇわ』が社会現象となり、作者syudouにとって大きな転換期になったことが想像できます。
作詞作曲こそsyudouですが、ご存知の通り『うっせぇわ』は「Adoの歌」としてヒットしました。
「それアタシのじゃないし」という歌詞には、自分の作った曲が歌い手の名前で流行したことへの複雑な心境が込められていそうです。
何より、歌い方に注目すると「安堵の影無し」は「Adoのおかげだし」と聞こえるようにも感じます。
意図的に掛けているとすれば、非常にユーモアに富んだ言葉遊びですね。
では、続きを見ていきましょう。
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数年前の稼ぎすらザッと
越えちゃうくらいの税金払って
実際全く幸せだ
とかなんとかかんとかどうとか言ったって
まだまだ足りないアタシは足りない
舐めた心で犯行声明
傷付き空いた胸の隙間が
まだ埋まんないだけだよ
正しい言葉などが役に立つ訳ないじゃろがい
だから狼煙を上げて
上に上に上に上がるだけ
だからやってんだ
≪たりねぇ 歌詞より抜粋≫
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稼ぎが増えて「実際全く幸せだ」と感じながらも「まだまだ足りない」ようです。
「この程度では満足できないぜ!」といったニュアンスでしょうか。
アップテンポな曲調も相まって、燃えたぎるハングリー精神が伝わってきますね。
特に「正しい言葉などが役に立つ訳ないじゃろがい」は、攻撃的な歌詞が持ち味であるsyudouの本音や、言葉でなく拳で勝負するボクサーの生き様を思い起こさせます。
「胸の隙間」を埋めるべく、舐められないよう強い心で「上に上に上に」駆け上がろう!という熱い意志がストレートに伝わるサビです。
この点についても、リングに上がるボクサーの勇姿が想像できて胸が熱くなりますね。
syudouの実体験?怒りが見える言葉遊び
2番では、syudouの実体験ではと感じられるほど具体的な描写が見られます。
ユーモアに富んだ言葉遊びも健在です。
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嫉妬しながら普通の美学に
ペッと唾吐きここまで来たんだ
言っちゃ何だが元すら取れちゃいない
高校時代に俺をからかった
奴から「元気?」未読でブロック
不悪 要するに復讐だ
とかやっても結局何にもなんないが
≪たりねぇ 歌詞より抜粋≫
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最初の「嫉妬しながら」では、おそらく「嫉妬」と「shit」を掛けているのでしょう。
MVでは主人公が落書きだらけの便器に座っており、歌い方も「Shit!(くそっ!)」に聞こえます。
この「くそっ!」という怒りの感情は嫉妬心には付き物なので、人間らしい感覚を絶妙に表現した言葉遊びですね。
ちなみにsyudouは会社員として働きながら音楽活動を続け、独立を果たしました。
そんな彼にとって安定した「普通」の生活やそれを良しとする「美学」に複雑な感情を抱いていたのかもしれません。
また「不悪 要するに復讐だ」の「不悪 要」の部分は「Fu*k you!(くたばれ!)」のように発音されています。
2012年に音楽活動を始めたsyudou。
歌詞に登場する「奴」は、高校時代にsyudouの音楽を馬鹿にしたのだろうと想像できます。
そんな人から調子よく「元気?」と有名になった後で絡んでこられたら、誰でもムカッとすることでしょう。
なお、「不悪」は「ふあく」と歌われていますが、熟語としての読みは「あしからず」です。
単に「くたばれ!」と吐き捨てるだけでなく「悪く思うな」と若干のフォローのニュアンスを込めているあたり、syudouの技巧が光っていますね。
そして最後は「とかやっても結局何にもなんないが」です。
過去を振り切ってサビに入ります。
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まだまだ足りないアタシは足りない
上手く行かせろ感情制限
本音で歌いダメなら
テメェを変える方が先だろ
やるかやられるかとなればやるしかないやろがい
だから人目も避けず
無礼に華麗にステージに上がるだけ
≪たりねぇ 歌詞より抜粋≫
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最初は1番と同様です。
ただ、文脈を考えるとここでの「足りない」は「満足できない」ではなく「修行が足りない」という意味合いであるとも解釈できます。
嫉妬や憎悪に駆られている今の自分に、自ら発破をかけているのかもしれません。
また、syudouはハチ(米津玄師のボカロPとしての名前)の大ファンだそう。
そして「上手く行かせろ感情制限」は、ハチ feat. GUMI『パンダヒーロー』に登場する「上手く行かない感情制限」とリンクする表現です。
音楽で食べていくことを実現しながら、それでも自制できない嫉妬や憎悪。
一足先にスターダムへ駆け上がったハチの表現を借りて、それらに打ち勝とうとするsyudouの意気込みが感じられます。
必要とあらば「テメェ」(自分)さえ変える覚悟で、まだ見ぬステージへ上がっていく気のようです。
「行くぜオンライン」の真意は?
いよいよ終盤です。一気に見ていきましょう。
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とかなんとかかんとかどうとか言ったって
過去も未来も思っちゃいけない
今を生きるさ 一所懸命
飢えを埋めるにゃ上に上がるさ
行くぜオンライン
まだまだ足りないアタシは足りない
舐めた心で犯行声明
傷付き空いた胸の隙間が
まだ埋まんないだけだよ
正しい言葉などが役に立つ訳ないじゃろがい
だから狼煙を上げて
上に上に上に上がるだけ
だからやってんだ
≪たりねぇ 歌詞より抜粋≫
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色々と歌詞を連ねた結果、「過去のことも未来のことも考えず今に集中しよう!」という決意が垣間見えます。
まさに「一所懸命」ですね。
とはいえ、野心に燃える者の性なのか、「飢えを埋めるにゃ上に上がるさ 行くぜオンライン」と、すでに未来に目が向いているようです。
この「行くぜオンライン」は、syudouの主戦場がインターネット上であることから「これからも精力的に活動していくぜ」という意思表明であると文字通りに受け取れます。
ただ、syudouは2022年5月3日に自身初のライブ『syudou Online Live 2022「狼煙」』を開催する予定です。
なので歌詞の「行くぜオンライン」は「オンラインライブやるぜ!」という告知であるとも解釈できます。
これこそがsyudouの「犯行声明」なのかもしれません。
最後のサビは1番と同様ですが、オンラインライブの件を考慮に入れると「狼煙という名のオンラインライブで、新たなステージに上がるぜ!」のように聞こえ方が変わってきます。
井岡選手へ向けた曲ではありますが、自身にとってのライブステージをボクサーにとってのリングに重ねて歌っていることは想像に難くありません。
syudouとともに熱い未来を
以上、syudou『たりねぇ』の歌詞考察でした。前半はボクシングと結び付くような表現が多かったですが、最終的にはsyudouならではの荒々しさや攻撃性、言葉遊びが光りまくった楽曲でした。
井岡選手もsyudou自身も、今後それぞれの業界で着々と「上に上に上に」レベルアップしていくことでしょう。
この『たりねぇ』を起点に、彼ら2人の、そして私たちリスナーの未来が一層熱い方向に進んでいくといいですね。