不朽の名作「昴」はプレアデス星団の宇宙人から授けられた?
1980年4月1日にリリースされた楽曲『昴(すばる)』。
フォークグループ「アリス」のボーカル&ギターとしても知られるシンガーソングライター・谷村新司が作詞作曲を手がけた日本屈指の名曲です。
NHK『紅白歌合戦』では通算5回歌唱され、美空ひばりや五木ひろし、天童よしみといった名だたる歌手たちにカバーされています。
また『昴』は、日本のみならず上海万博の開幕式や日中国交正常化記念イベントでも歌われ、日中の文化交流に貢献していることでも有名です。
言語の壁をも超えて人々の心を動かす『昴』。
今回は、そんな日本が誇る不朽の名作の歌詞を考察していきます。
まず、曲名となっている「昴」は、冬の星座・おうし座の構成要素である1星団(多くの恒星が集まったもの)のことです。「昴」のほか「プレアデス星団」とも呼ばれます。
谷村新司いわく、『昴』を生み出すきっかけとなったのは引っ越し中の「プレアデス星団からのメッセージ」だったのだとか。
そんな「宇宙人との交信」のような出来事の中で最初に受信したのが、サビの最後のフレーズ「さらば昴よ」だったみたいです。
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我は行く さらば昴よ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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この「さらば昴よ」については、谷村自身が「物質文明にサヨナラを告げようという意味」であると自著『谷村新司の不思議すぎる話』で述べています。
というのも「昴」は「王者や農耕の象徴」とされ、とりわけ古代中国においては「財の星」とも呼ばれる「物質の豊かさのシンボル」なのだそう。
そんな「昴」に別れを告げることは「お金や物への執着を捨てて精神的な豊かさを追求すること」を意味すると本人は解釈しているようです。
以降、この「精神的な豊かさの追求」を念頭に置いて歌詞を見ていきましょう。
夢追い人の破壊と創造
まずは1番の歌詞を見ていきます。
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目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
≪昴 歌詞より抜粋≫
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歌い出しは「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ」。
これは石川啄木『悲しき玩具』の「眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。」という一節が谷村新司の中で消化され、再形成された歌詞のようです。
「目を閉じて 何も見えず」は「過去を振り返っても目立った足跡がない」というようなニュアンスでしょうか。
続く「哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」には「何も成し遂げていない過去を振り切って前を見ても、未来にさえ荒涼たる寂しい道があるばかり」といった物悲しさが感じられます。
誰も歩かない道を前にする夢追い人の孤影が目に浮かんでくるようです。
そして次の歌詞に続きます。
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ああ 砕け散る 宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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「砕け散る 宿命(さだめ)の星たち」に「密(ひそ)やかに この身を照らせよ」と願っている様子。
私たち人間に寿命があるように、一見いつまでも輝いていそうな星々にも終わりがあります。
特に「昴(プレアデス星団)」の青白い星々は寿命が短い星として知られているそうです。
そんな「昴」を構成する薄命の星たちに「静かに私を照らしてくれ」と懇願しているように読み取れますね。
続いてサビの歌詞を見ていきましょう。
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我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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「蒼白き頬のままで」については、谷村新司本人が「ヒンドゥー教における破壊と創造の神・シヴァの精神を体現している」といった旨を述べています。
「さらば昴よ」に込められた「精神的な豊かさの追求」と合わせて「目に見える物しか信じない価値観を破壊し、目に見えない精神的な豊かさを大事にする価値観を創造しよう」というのがサビの趣旨のようです。
「精神的な豊かさ」の極致とは
続いて、2番の歌詞を見ていきます。
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呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
≪昴 歌詞より抜粋≫
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1番と同様、初めの「呼吸(いき)をすれば胸の中 凩(こがらし)は吠(な)き続ける」は石川啄木『悲しき玩具』の「呼吸すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音!」に着想があるようです。
「凩」は、秋の終わりから冬にかけて吹く冷たい風のこと。
初冬に吸い込んだ息の冷たさ、そしてそれが心をも枯らしてしまうような何とも言えない寂しさが感じられます。
しかし、続く歌詞は「されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり」。
凩の冷たさとの対比も相まって、夢を追い続ける者の情熱が強く静かに伝わってきますね。
次の歌詞です。
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ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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1番では「いずれ砕け散る星たちよ、この身を照らしてくれ」と願っていました。
一方、2番では「浮かれ騒ぐ星たちよ、鮮やかにその身を燃やし尽くしてくれ」といった解釈ができそうです。
1番では自分本位の願いだったものが、2番では星々に寄り添うような表現に変わっています。
もしかしたら『昴』には「夢を追う若者(1番)から、夢を追い続ける成熟した大人(2番)へ」という時間経過が隠されているのかもしれません。
次のサビの歌詞には、それを支持するような表現も見られます。
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我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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1番では「我は行く」でしたが、2番では「我も行く」です。
これが「その身を終わらせようとする星々」に対する声かけだとすると「私も終わり(=死)に向かっていく」といったニュアンスが読み取れます。
そして「心の命ずるままに」は「夢への情熱の赴くままに」といった解釈ができそうです。
そう考えると、死が近づいてなお「精神的な豊かさ」を追求しようとする成熟した夢追い人の姿が想像できますね。
もしかしたら「精神的な豊かさ」の極致は「肉体が朽ち果て、魂だけの存在になること」なのかもしれません。
夢追い人の最期の雄叫び「さらば昴よ」
最後に、終盤の歌詞を考察します。
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ああ いつの日か 誰かがこの道を
ああ いつの日か 誰かがこの道を
≪昴 歌詞より抜粋≫
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繰り返される「ああ いつの日か 誰かがこの道を」。
1番では「荒野に向かう道より他に見えるものはなし」とありました。
2番以降の視点が成熟した大人であると仮定すると「この道」とは「自身が荒野に向かってがむしゃらに歩いてきた道」だと解釈できそうです。
そう考えると、誰も歩かない道を選んだ夢追い人が、晩年になって「自分の足跡を頼りに、いつか誰かがこの道を歩いてくれたらいい」と切望しているように聴こえます。
そして最後のサビです。
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我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ
≪昴 歌詞より抜粋≫
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青白く光る「昴」の星たちのように命を燃やし、物質に執着しない「精神の豊かさ」を追求するという決意。
締めの「さらば昴よ」は、その極致たる「肉体からの解放」を前にした夢追い人の最期の雄叫びだったのではないでしょうか。
「昴」のテーマは時代を超えて
今回は谷村新司「昴」の歌詞の意味を考察しました。1曲の中で数十年の時が経っていると考えると、歌えば歌うほど深みが増していきそうな歌詞でしたね。
そして「物質文明を捨てて精神的な豊かさを追求しよう」という主張は、物があふれる現代社会においても深く突き刺さるメッセージでしょう。
もしかしたら人間の尽きない物欲それ自体も『昴』を不朽の名作たらしめているのかもしれません。
一生の終わりに「さらば昴よ」と言い放てる人生を、果たして現代社会を生きる私たちの何人がまっとうできるでしょうか。