南こうせつ・喜多條忠制作のアルバム曲が大ヒット
フォークソングの代表曲として長年愛され続けるかぐや姫の『神田川』は、リーダーの南こうせつがラジオ局の放送作家をしていた喜多條忠に作詞を依頼し制作されました。
喜多條が早稲田大学に通っていた学生時代に同棲していた彼女との思い出をモチーフに30分ほどで書き上げた歌詞を電話で聞き、南がその場で作曲したのだそう。
当初は1973年発売のアルバム『かぐや姫さあど』の収録曲でしたが、南がDJを担当していた深夜のラジオ番組で放送したところ大きな反響を呼び、シングル曲としてリカットされミリオンセラーを記録する大ヒットとなりました。
哀愁の漂う切ない歌詞とメロディは、時代を越えた今も日本人の心を掴みますよね。
恋人同士の貧しい暮らしを描く“四畳半フォーク”の真骨頂とも言える歌詞の意味を考察していきましょう。
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貴方は もう
忘れたかしら赤い手拭
マフラーにして
二人で行った
横町の風呂屋
一緒に出ようねって
言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が
芯まで冷えて
小さな石鹸
カタカタ鳴った
貴方は私の
身体を抱いて
冷たいねって
言ったのよ
≪神田川 歌詞より抜粋≫
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1番冒頭の「貴方はもう忘れたかしら」というフレーズから惹きつけられます。
主人公はかつて同棲していた恋人との生活を追憶しながら、自分はまだ鮮明に覚えているあの日々を貴方はもう忘れただろうかと考えています。
若い男女の暮らしは貧しく、タオルではなく安価な「赤い手ぬぐい」をマフラー代わりにして寒さをしのぎながら、2人で肩を寄せ合い銭湯に出かけていたようです。
毎回「一緒に出ようね」と約束するのに、なかなか出てこない恋人にいつも待ちぼうけの「私」。
外で待っている間に冷たい風にさらされて「洗い髪が芯まで冷えて」しまいます。
「小さな石鹸 カタカタ鳴った」という表現は、主人公が寒さに震えている様子を示しています。
やっと出てきた恋人はそんな主人公に謝るでもなく、抱きしめて「冷たいね」と言うだけ。
寂しさや切なさは大きいはずですが、冷え切った体に恋人の温もりを感じる度に許してしまうのかもしれません。
「神田川」は男目線の曲でもあった?
歌詞の言葉遣いから女性目線の歌と思われる『神田川』ですが、サビの歌詞と制作当時の時代背景に注目すると男性目線の歌でもあることが見えてきます。
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若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ貴方の
やさしさが怖かった
≪神田川 歌詞より抜粋≫
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サビで特に印象的なのは、若さゆえに「何も恐くなかった」ことと「貴方のやさしさが恐かった」ことです。
これには作詞者の喜多條の想いがはっきりと込められていました。
恋人と同棲していた当時は学生運動が活発な時代で、喜多條自身も機動隊と衝突する激しいデモ活動に明け暮れていたそうです。
疲れて家に帰ると、彼女は社会の喧騒とは無縁でカレーライスを作って彼の帰りを待っていました。
その穏やかな光景につい平穏な暮らしを望みたくなる一方で、それが活動家としての信念を揺るがせるものだという確信もあります。
彼女の示してくれる純粋な「やさしさ」が自分の信念を変えてしまいそうで、最も恐ろしく感じるものとなってしまったようです。
こうした背景に加え、当時は男性も髪を長く伸ばすことが流行っていたため、銭湯の外で待っていたのは女性とも男性とも捉えられます。
喜多條もこの楽曲の語り手が男性か女性かよく分からないと語っています。
どちらとして聴いても違和感がないからこそ、聴く人の心に寄り添ってくれる歌になっているのでしょう。
幸せな2人に訪れる別れ
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貴方はもう
捨てたのかしら
二十四色の
クレパス買って
貴方が描いた
私の似顔絵
巧く描いてねって
言ったのに
いつもちっとも
似てないの
窓の下には 神田川
三畳一間の
小さな下宿
貴方は私の
指先見つめ
悲しいかいって
きいたのよ
≪神田川 歌詞より抜粋≫
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2番では「貴方はもう捨てたのかしら」と何かの行方を案じています。
それは似顔絵を描くために買った「二十四色のクレパス」のこと。
貧乏学生たちにとっては高価な買い物だったはずなので、せめて2人で楽しめるものがほしいと思って奮発したと考えられます。
「うまく描いてね」と言っても出来上がった絵は全く似ていません。
そんな不出来な似顔絵もその絵を描いたクレパスも、きっと2人の幸せな時間の象徴です。
「三畳一間の小さな下宿」で似ていない似顔絵に不貞腐れたり笑ったりする何気ない時間は、愛おしいものだったことでしょう。
これと言った娯楽や贅沢をするお金がなくても、心を満たしてくれる時間だったはずです。
しかし、恋人は主人公の指先を見つめて「悲しいか」と問いかけます。
ここで初めて男性的な言い回しが出てくるので、この言葉は男性が女性にかけた言葉だと解釈できます。
学生運動に心血を注いでいたということは、お金を満足に稼ぐこともできていなかったでしょう。
それなのに彼女は文句も言わず自分に寄り添ってくれています。
学生運動で傷ついた自分の手とは違って彼女の手は綺麗で、その手に互いの生き方の違いを感じたのかもしれません。
自分は彼女を幸せにできるのだろうか、このまま一緒にいて彼女を巻き込んでいいのだろうか。
そんな風に葛藤した末に、彼女の気持ちを知りたくて「悲しいか」と尋ねたように感じました。
最後のサビで繰り返される彼女の「やさしさ」とは、彼女の方から別れを切り出してくれたことなのではないでしょうか。
自身の信念と恋人への想いとの板挟みで苦しむ彼を解放するため、最後まで彼を尊重して行動した彼女の姿が想像できます。
時が経ってこの恋を振り返り、時代や自身の変化を懐かしむ主人公の気持ちが伝わってくるようです。
昭和の若者の心情に思いを馳せて
昭和時代の背景ゆえに不器用な生き方しかできなかった当時を振り返った『神田川』は、切なさの中にも幸せだった時間を懐かしむ温かさが込められていました。美しいメロディと語りかけるような歌声により、歌詞に綴られた世界観が心に沁みてきます。
時代が変わっても日本の歴史と当時の若者たちの心情を大切にしていきたいですね。