まふまふ、活動休止前最後の楽曲
まふまふは、高低差のある歌声と独特な歌詞世界によって、絶大な支持を集めている人気アーティストです。2021年には『紅白歌合戦』へ初出場を果たしました。
そんなまふまふが、2022年6月11日・12日の東京ドーム公演をもって、活動を休止することを発表。
活動休止前最後の楽曲として発表したのが、今回考察する『エグゼキューション』です。
YouTubeで公開された神秘的なアートワークは再生回数100万回超え(6月26日現在)。
すでに多くのファンを魅了しているようです。
そしてその概要欄には「心の中の表裏 隔絶される二面性」という言葉が添えられています。
そんな「表裏、二面性」というテーマを念頭に、以下『エグゼキューション』の歌詞の意味を考察していきましょう。
おとぎ話の「二面性」
まずは1番から見ていきます。
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白黒並ぶ ここは誰かの 盤上が夢の噺
青白く空に羽ばたいて嗤うのでしょう
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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白と黒が並ぶ誰かの盤上。
これは自身の人生や所属社会を俯瞰して、オセロに例えたものだと解釈できそうです。
そこで繰り出される「夢の噺(はなし)」は、夢いっぱいの「お伽噺(おとぎばなし)」のことだと思われます。
そして「青白く羽ばたいて嗤(わら)う」は、おとぎ話の主人公たちが現実にあえぐ私たちを嘲笑っているようなイメージではないでしょうか。
次の歌詞に入ります。
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鏡よ鏡 この世で一番 なんて灰被りの仕業
血の跡までが染みついた虚構の姿見
"悲劇"になりました
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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「鏡よ鏡 この世で一番」といえばグリム童話の『白雪姫』ですね。
そして「灰被り(はいかぶり)」という言葉は、『シンデレラ』の和名として知られています。
鏡に美しさを問う王妃のように「自分が一番」だと思ってしまうのは、自分の人生においては誰よりも自分がシンデレラのような苦労人に見えるからかもしれません。
ただ、欲のない人が報われて終わる童話には、強欲な人が残酷な仕打ちを受けるという一面もあります。
『白雪姫』の王妃や『シンデレラ』の義姉などに待ち受ける結末がその例です。
夢いっぱいのおとぎ話に自分を重ねるものの、その話の残酷な一面を知ってショックを受けたというのが「悲劇になりました」の意味するところなのではないでしょうか。
次の歌詞です。
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有声で成り代わり
Q製 病み可愛い 曖昧ミー
君はmurder 知らない?
虚言&妄想 書き起こせラブゲームで
それじゃ一生化膿しちゃいないかい?
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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「有声で成り代わり」は、元々は本だった童話が映像作品として代替されている現代を表したフレーズだと考えられます。
続く「Q製の病み可愛い」は、旧製作品(原作本など)における「程よく病んでいて程よく可愛い」世界観のことではないでしょうか。
そして「現代の童話の夢いっぱい感」と、「原典に見られるどんより感」との間で戸惑う自分が「曖昧ミー」で表されているのかもしれません。
次に続く歌詞は「君はmurder 知らない?」。
後述しますが、曲中の「君」は自分の「本心」であると解釈できます。
そう考えると、これまでの人生の中で「murder(殺人)」のような常識外れの経験があるかという自問や、回顧のように聞こえる歌詞です。
おそらく『エグゼキューション』の主人公にはそれがなく、嘘や妄想を書き立てて何でも経験済みのふりをしているのではと考えられます。
また、「ラブゲーム」とは相手に1点も譲らないで勝利することです。
よって「書き起こせラブゲームで」は、「誰にも反論する暇を与えずに虚偽の経験で武装していけ」といった強迫観念のようなものを表していると解釈できます。
ただ、続く歌詞は「それじゃ一生化膿しちゃいないかい?」。
「いつまでも経験を偽っていては、ずっと膿(うみ)が溜まってもやもやしたままではないか?」という不安や焦りが読み取れます。
続いて、サビの歌詞を見ていきましょう。
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裏返した夢の夢のドレスで
悲しみを患うフリをしても
そこには確かな白ひとつないから
言葉もないよ
裏 表 鳥籠に
囚われたままの真実は
誰も解き明かそうとしない
過ぎたことなの?
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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「裏返した夢の夢のドレス」は、ドレスを裏返すように心の内側を露呈させるようなイメージでしょうか。
そんな悲しみに暮れた内側を見せる「フリ」をするのは、悲劇のヒロインへの憧れかもしれません。
しかしそんなことをしても「確かな白ひとつないから 言葉もない」とのこと。
「白」は純粋を象徴するような色なので、「確かな白ひとつない」というのは不純で嘘まみれな状態だと考えられます。
「言葉もない」は、そんな不幸ぶった自分自身に対して閉口している、もう一人の自分の心境なのではないでしょうか。
次の「裏 表 鳥籠に 囚(とら)われたままの真実」というのは、ドレスの裏地や表地、オセロの黒と白のような「曖昧さを許してくれない世界」における真実だと考えられます。
そしてその真実とは、「自分の本心は何なのか」や「自分本来の色は何色なのか」といった問いへの答えのことなのではないでしょうか。
主人公は周囲の人間がそれをスルーしているように感じ、そんな周りの無関心が信じられなくて「過ぎたことなの?」と嘆いているのかもしれません。
生きづらい社会の「二面性」
続いて2番の歌詞に入ります。
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青い羽の噓吐き烏 誰も知らない君
ありふれた日常は 何処へ消えたのだろう
如何様 リベロ 寝返るオセロ
勝ち方すらまだ知らない
仕組まれたシナリオに
どれだけ泣こうとも 喜劇は許されない
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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「青い羽の嘘吐き烏(からす)」は、童話『おしゃれなカラス』と関連がありそうです。
童話では、あるカラスが自分を美しく見せようと他の鳥のきれいな羽をまといます。
そのように自分を偽っていると、本当の自分は「誰も知らない」状態になってしまうことでしょう。
よって「誰も知らない君」とは、偽ったり着飾ったりといった上辺に隠されている「本当の自分の姿、本心」であると解釈できます。
また「青」は「青二才」や「まだまだ青い」のように、未熟さを象徴する色です。
なので「青い羽」は「下手くそな嘘」を意味していると思われます。
続く「ありふれた日常は 何処(どこ)へ消えたのだろう」は、本来の姿でいられた日々(子供時代など)を惜しんでいる様子だと読み取れそうです。
なぜそのような日々を惜しんでいるのか。
それはおそらく今の現実が偽装に満ちているから。
「如何様 リベロ 裏返るオセロ」は、はびこる欺瞞(ぎまん)や見せかけの自由(=リベロ)、周囲からの裏切りなどの「非情な現実」を表していると考えられます。
また「仕組まれたシナリオ」とは、非情な社会が用意している試練(受験や就活、仕事上の困難など)のことかもしれません。
そしてそこでの「勝ち方を知らない」未熟な自分が「どれだけ泣こうとも」、ハッピーエンドの兆しは見られないようです。
続いてサビの歌詞に入ります。
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不都合なこれって したっけ誰のせい
それじゃこぞって閉ざして口封じ
こんな他愛もない世界の卑しさに
息が詰まるよ
黙って 騙し合いの奴隷
ボクら皆 断頭台で踊る定め
幕引けないままに
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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「不都合なこれ」は「生きづらい社会」のことでしょうか。
そしてそんな社会を選んでしまったのは、誰のせいなのかと疑問を投げかけているようです。
お互いに騙し合い、裏切り合うような世界では、誰もが口も心も閉ざしてしまうことでしょう。
続く「こんな他愛もない世界の卑しさに 息が詰まるよ」からは、誰も本心を見せない世界への閉塞感や嫌悪感が伝わってきます。
一方、そんな掴みどころのない社会の中で、主人公自身も「黙って 騙し合いの奴隷」となっているのも事実のようです。
「断頭台で踊る定め 幕引けないままに」は、「自分を偽る演技に終わりがないまま社会に殺されるのを待つしかない」という主人公の悲観なのではないでしょうか。
「ボク」と「君」の統合を目指して
ここからは終盤の歌詞を見ていきます。
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それでもボクら ねえ ボクら
信じあえずに求めていたのだろう
後悔はいつも すぐそこにある
ボクは誰 わからない
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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嘘や裏切りに満ちた社会で、他人を信じられない主人公。
それでも心のどこかで信頼できる人を「求めていた」自覚があるようです。
しかし続く歌詞は「後悔はいつも すぐそこにある」。
結局は裏切られてしまうという経験則が邪魔をして、先立つはずのない「人を信じることへの後悔」が、すぐそこに見えているかのようなフレーズです。
そして人間不信が極限まで高まった結果、「ボクは誰 わからない」と言うほど自分さえも信じられなくなってしまったと考えられます。
自分を見失ってしまった主人公。
果たしてその末路はどうなるのでしょうか。
最後のサビ以降の歌詞を見ていきましょう。
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手招きで響く鐘の音を
ただ君と辿り愛を誓っている
悲劇になってしまえ
もうたくさんなんだ 逃げるのは
ボクを 君を 知らない世界へ
≪エグゼキューション 歌詞より抜粋≫
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サビの冒頭は「手招きで響く鐘の音」。
「手招き」するように鳴らす鐘といえば、ハンドベルが思い浮かびます。
ハンドベルは複数(人)あって初めてメロディを生み出せる楽器です。
外側を繕った「ボク」と内側の本心である「君」が、これから一生を添い遂げなければならないという状況を、一人では成立しがたいハンドベル演奏に例えているのかもしれません。
しかし今の主人公は自分さえ信じられなくなっている状態です。
そんな信じられない自分と歩む未来を悲観してか、主人公は「悲劇になってしまえ」と叫びます。
続く歌詞は「もうたくさんなんだ 逃げるのは」。
「逃げる」は、「自分は何者なのか」といった問いからの逃避を意味すると思われます。
言い換えると、1番で歌われた「鳥籠に囚われたままの真実」からの逃避です。
そんな逃避が「もうたくさん」というのは、主人公が真実に目を向ける決意をしたことの表れなのではないでしょうか。
そして最後の1行は「ボクを 君を 知らない世界へ」。
表と裏、上辺と本心、おとぎ話と現実社会。
ここまでの歌詞から、主人公が認識している「世界」は、オセロの白と黒のように二極化できるようなものでした。
自分の上辺「ボク」と本心「君」。
これらをまとめて「知らない世界へ」という結びは、白黒はっきり二極化されない、隔絶された二面性を統合できる場所へ自分自身を連れていこうという意味だと推測できます。
きっとその場所は「盤上」の外であり「鳥籠」の外なのでしょう。
果たして「ボク」と「君」の統合がうまくいくのか、「自分は何者か」に対する答えは見つかるのか。
少なくとも主人公の未来が「悲劇」になるのか「喜劇」になるのかというような価値判断は、もはや意味をなすことはないのでしょう。
「エグゼキューション」の解釈
今回は、まふまふ『エグゼキューション』の歌詞の意味を考察しました。「表裏、二面性」という意味深なテーマ、残酷な童話との関連付けなど、考察が膨らむ要素が盛りだくさんの歌詞でしたね。
ちなみに曲のタイトルになっている「エグゼキューション(execution)」には「遂行」や「処刑」といった意味があります。
断頭台で踊っていた自分に自ら終止符を打ち、新しい世界で「ボク」と「君」の統合を試みるということが、この曲における「エグゼキューション」なのかもしれません。
そしてその遂行結果がどうなるのかという考察については、まふまふが活動を再開したタイミングに譲ることといたしましょう。