全タイトルを歌詞に入れる挑戦
──7月31日発売のオールシングルベストアルバム『Lead the Best “導標”』に収録されている新曲『導標』にはシングルの全タイトルが歌詞に入っている、という試みをされたそうですね。鍵本輝:これはかなり無謀ですよね(笑)。でもベストアルバムに収録される曲ということで、ちゃんと意味のある楽曲を作りたかったんです。最初は全楽曲でみんなの印象に残っているフレーズを入れられたら、と思ったんですけれど、それは難しすぎて。僕たちはいろいろなテーマの楽曲を歌ってきたので、テーマ性が見えてこないという壁にぶち当たったんですよ。それでタイトルにしよう、と決めました。
谷内伸也:それも果たしていけるのかなという心配がありましたけれども、第一稿で上がってきた時点で、「なるほどな」と。輝の中で明確なイメージがあったうえで提案して、形にしたことが分かったので。僕はそれを受けてのっていって、輝から「こういうワードを入れて」と何個かワードを上げてもらったから、それを受けて仕上げていきました。
古屋敬多:最初はみんなで書く予定ではあったんですけれど、これがもうでき上がっていて、入る隙がなかったんです。僕はすごくいいなと思いましたね。タイトルでラップみたいに韻を踏んでいたりといったギミックもしっかり踏まえているから、すごく感動しました。
──この曲の歌詞にはLeadの歴史が入っていますが、どんな曲にしたいという思いから作られたのでしょうか?
鍵本輝:僕の中では、Leadを大きく3つに分割して書けたら、と思っていました。デビューのキラキラした時期、真ん中あたりの葛藤した時期、そして3期というか、(中土居)宏宜が卒業してからの俺たちの思いと、これからの気持ちという、3パートですね。
自分たちのシングルのタイトルを入れていくのは、思いのほか難しいかなと思ってたんですけれど、意外とその時その時の自分たちの思いがシングルのタイトルになっているな、と感じて。後付け理由かもしれないんですけれど、今回歌詞を書いていて、改めて感じました。
特に宏宜の卒業前後あたりは、自分たちの心情が強く出ている楽曲もあったので。ここはもう、本当にすんなり書けていった部分ではありました。もちろん難しいワードはたくさんありましたけどね。『ギラギラRomantic』(2009年8月リリース16枚目のシングル)とかは、どうしようとか(笑)。でもうまいこと比喩っぽいところを使いつつ、落とし込めたと思いました。
──他に苦労したフレーズは?
鍵本輝:最後の最後、『Bumblebee』(2018年4月リリース29枚目のシングル)から『Sonic Boom』(2021年8月リリース34枚目のシングル)までの下りで、ここは完全に伸ちゃんに歌ってもらおうとは思っていたんですけれど、僕の方でも書いてみて。でも全然はまらなかったので、ある程度土台みたいなものは書いていたんですけれど、「伸ちゃん、ここ全部書いて!」と丸投げしました(笑)。
谷内伸也:でもその前ががっちりできていたので。結果的に3パターンくらい作って、ここに落ち着いたという形で、わりとすぐにできましたね。
それからこの16小節の中に、“こだま”というワードは入れて、という指定があって。この曲には新幹線の“のぞみ”と“ひかり”と、“こだま”が全部入っているんです。
──いわれてみれば、確かに! 最初のパートに<待ち合わせの新大阪 片道分の乗車券で今旅立つ列車は「望み」>、中盤で<行き交う人 東京の街 笑い声に涙の音 ビルに馴染む影と光>、そして<夢をなぞり未だなお木霊する大志>にこだまが入っているんですね。気づかなかったです。
谷内伸也:タイトルを入れつつ、こだまをどうやって入れようかな、というのが難しかったです。漢字になっているので、なかなか気づきにくいですよね。そういう遊び心も入っているんです。
鍵本輝:今回は結構、遊びましたね。
──あと<腰ばきジーンズいつかのTuxedo>というのも、大人になったLeadを表しているなと。
谷内伸也:これはいい感じにつなげることができたと思いますね。『GET WILD LIFE』(2003年12月リリース5枚目シングル)というシングル曲のラップのフレーズに<腰ばきジーンズ 俺らのタキシード>というのがあるので、Tuxedoはそれで使えると思って。歴史を振り返りつつ、さらに行くぞという、20周年にはまるな、と。
──皆さんそれぞれ『導標』の中で、好きな歌詞を教えてください。
鍵本輝:僕は<奏でた4本のstringsの和音>です。ストリングスは弦が4本で、ちょうど自分たちに当てはまると思いましたし。ただそれは弦が一本なくなったというわけではなく、ちゃんとその弦の信念は残しつつ、また自分たちで奏でていくということで、自分の中ですごくフィットしました。
古屋敬多:僕は最後の<引くわけにはいかない絶対に>に、すべての思いがこもっているというか、これで曲が終わっていくのがいいなと思いました。この間MVを公開して、それもやはり最後の部分で、涙を流した方がいっぱいいらしたみたいで。僕も響くものがありますね。
谷内伸也:僕は冒頭の<待ち合わせの新大阪 片道分の乗車券で>という、このへんの流れですね。自分たちの原点の大阪から新幹線に乗って東京に来る、という、その情景がフラッシュバックされるみたいで。映像もそうですし、その時の心情も昨日のように蘇ってくるようで感慨深いな、と。ここに20年が詰まっていると考えています。
──直近でファンになった方、これからファンになる方も、ある意味、『導標』でLeadの20年が分かるようになっていますね。
古屋敬多:最近Leadを知ってくれた人も多くいて。そういう人たちはこの曲を聴いて、「直接、体験したわけではないけれど、Leadの20年が分かったような気がしました」といった感想を言ってくれていて、伝わってよかったと思います。
鍵本輝:あと『導標』は6分を超えていて少し長いんですけれど、Leadの20年を伝えるのにこのくらいの時間は必要だったので。これは絶対に譲れなかったですね。
ファンの力で乗り越えたLeadの危機
──デビュー当時は14、15歳だったということで、一番人格が形作られるような時ですから、人生の中でも変化が大きいですよね。谷内伸也:当時は声もまだ変わっていなかったですからね。
──Disc1からDisc2まで聴いて、人の声はこんなにも深みが出るいうか、熟成されるんだなと改めて知りました。
古屋敬多:Disc1で変声期を終えて。そういうふうに声も変わっていく過程も、このベストアルバムでは楽しめるかなと思います。
──ちなみに皆さん、変声期の影響は?
古屋敬多:やっぱり歌いづらかったです。全然のどが言うことを聞いてくれなくて。宏宜なんかはたぶん、変声期は終わっていたと思うんですけれど。特に自分はすごく子どもの声で、さらに歌もそんなにやってきていなかったから、結構、当時は苦労していました。
デビュー曲の『真夏のMagic』の時はレコーディングも初めてですし、自分はもっと歌がうまいと思っていたのに、いざ自分の声を聴くとだいぶ違って聴こえたりとか。電話の声が違って聴こえるのに近くて、その違和感がすごかったですね。
──今振り返ってみると、すごく初々しい話ですね。
古屋敬多:『真夏のMagic』は何日も何回も分けてレコーディングをして、たぶん一番回数を重ねたんじゃないかと思います。その時は歌割もよかった人を残していこう、という感じだったので、争奪戦みたいでした。今はわりと決まっているけれど、当時はそんな感じだから悔しくて。トイレで泣いたりしたことも、よくありましたよね。
──かつてはそんなことがあったんですね。
古屋敬多:いやー、昔の話は恥ずかしいですね(笑)。でもせっかく20周年なので、できるだけしていこうかなとは思っています。
──あと『導標』の歌詞の中にある<ただの友達同士が仲間に>という感覚は、たぶん皆さんだから語れることだと思うんですよね。仲間と友だちは、どういうところが違うなと思いますか。
鍵本輝:共通の目的を持っているかどうか、だと思います。友だちは楽しければいいかもしれないけれど、仲間となると、同じ目的に向かって歩んでいくパートナーになってくるので。だからこそ、歌詞でも書いていますけれど、友だち同士が同じグループになって、豪華なステージに囲まれたりとか、いろいろなメディアに出て、活躍していきたいよね、という共通の目的を持つようになって、仲間になったと思います。
──Disc1は友だち同士の楽しさを感じ、Disc2になって共通の同志感が強調されていくように受け取りました。
谷内伸也:確かに。Disc2の『HURRICANE』(2011年8月リリース18枚目シングル)とか『Wanna Be With You』(2012年3月リリース19枚目シングル)のあたりで「苦しいな。いい状況って、続くものではないな」ということを、身をもって実感して。それを乗り越えようともがいて、自分たちの気持ちを歌詞に反映させることが多くなって。そういった状況が表れていると思います。
──『導標』の歌詞の中に、<がむしゃらな時代とは違い 広い世界を斜めに見る狭い視界>とありますが、まさにこの箇所が表していることですよね。
鍵本輝:当時は、まだ大人になり切れていない部分がありました。経験値もないから、自分たちの視野が狭くて。だからこそ大人は良かれと思って言ってくれていることを、全然理解できずに突っ走ってた時期を、こういう風に表現できたらなと思って書いていますけれど。まさに反抗期ですね。かわいくいうと(笑)。
古屋敬多:世間を知らないので、大人の意見が分からなくて突っぱねてね。がむしゃらに頑張ろう、みたいな感じでした。
鍵本輝:それこそ自分たちはダンスをずっとやってきたから洋楽もたくさん聴いてきたし、ブラックミュージックも大好きだったので、「『バージンブルー』(2006年3月リリース10枚目シングル)を歌いなさい」と言われた時に、「いやあ、いい曲だけれど、俺たちはこれじゃない」みたいに当時は思って。未だに事務所からはネタにされますけど(笑)。そういったことが増えていき、自分たちのやりたい方向性って何なんだろう、と考えるようになって。さらに経験値が少ないという部分も加わって、不協和音みたいなものが、ここでどんどん強くなっていったのかなと思います。
──もっとも危機だったのは?
鍵本輝:やはり先ほど言った『HURRICANE』の時期ですね。
──なぜ乗り越えられたのでしょうか?
谷内伸也:それはもう、「救ってもらった」としか言いようがないと思います。ファンの皆が、熱く応援してくれたからですね。僕らはリリースイベントをいろいろ回らせてもらって、そこでCDを手に取ってくれたファンの子、イベントにかけつけてくれたファンの力のおかげです。
鍵本輝:この辺の時期から、年にリリースする作品の数が圧倒的に減ったんです。それでちょっと腫物扱いみたいな空気感を勝手に感じていて。CDを出しても結果が出ない中で、宏宜を含めたメンバー全員で「もう1回、ちゃんとやってみよう」と話し合いました。
谷内伸也:この時からクリエイティブに熱くなっていったというのも強いですね。自分たちの思いを反映させることによって、ファンもそれを強く受け取ってくれた、というのはすごく感じました。リアクションもたくさんいただいて、それに背中を押された、というのもありますし。それでより自分たちの色を出していこう、といった気持ちが強くなっていった気がします。
鍵本輝:『HURRICANE』ではMVがなかったりとか結果が出てないからこそ、削るところは削られた部分はあるんですけど、その中でも頑張る、という気持ちに対して、ファンの方も応えてくれて。
古屋敬多:あの頃は、グループの危機感が前面に出ていたと思います。『HURRICANE』も正直に“配信で何位にならないと、次は僕たちないです”と表明して、ファンの皆さんが応援してくれたんです。
谷内伸也:『Wanna Be With You』とかも、もともとは配信曲だったんです。このあたりはシングルが出せずに配信でやってみたというのが結構ありました。それでもファンが配信で聴いてくれてLeadを押しだしてくれて。それでやっとCDになる、という時期でしたね。
鍵本輝:“自分たちにとって、何が一番大事なのか”ということを改めて気づかされた瞬間ではありました。やっぱり応援してくれる人がいるからこそ、自分たちの音楽を聴いてくれる人がいるからこそ、自分たちが存在できている。
古屋敬多:ここら辺は厳しかったね。踏みとどまって頑張るのって、すごく大変なことなんだなと、その期間で気づかされました。ある意味、人生ってこういうことなのかな、と感じたり。
鍵本輝:結果が出ないことを、誰かのせいにしていたんです。環境だったり、ひとごとというか。それが違っていました。
自分たちの表現したいものを全面に
──その後、2013年3月にメンバーの中土居宏宜さんがグループを卒業されました。鍵本輝:覚悟して抜けることを決めているわけじゃないですか。だからこそ、自分が決めたそのリミットまでは一切、手を抜かない。それを宏宜がやってのけた。そこまで甘えていた自分が、すごく恥ずかしくなったんです。卒業していく宏宜が、一番体現してくれたんですよね。
──歌詞の<確かにもらったよ君からのバトン>というところですね。
鍵本輝:そういう気持ちを歌詞にも反映させました。
──また、この『導標』には、10年前の約束が入っているというお話も伺ったのですが。
鍵本輝:これは僕が出演させてもらった舞台のセリフをいつか絶対宏宜にぶつけてやる、という約束なんですけど。まだちょっと叶えられてなくて。それはいつか言いたいですね。確か「タンブリング」の作品だったと思うんですけれど、最後、本当は一緒に試合に出るはずだったメンバーに向かって放つセリフがあるんです。
それをまさにLeadに落とし込んで、俺たちがとてつもなくでかいステージに立って宏宜がそれを見に来た時に、言いたいなと。でも、それ以外にもいろいろな約束を僕はここにいっぱい込めていて。一度、あそこでやりたいとか、もう1回あのステージに立ちたい、と言ったからには、やらなきゃな、と。
──そして“今とこれから”。『導標』最初はしんみり入って、感動で締めくくるのかと思いきや、前へ進むという強い意志が込められた終わり方になっています。
鍵本輝:『導標』の終わり方は、絶対にこうしたいという思いがありました。一周回って、これからは自分たちの表現するエンターテインメントだったり、音楽の形を、合法的にわがままを言っていいのかな、と(笑)。それは子どもの「こうやりたいんだ」というただの願望じゃなくて、「いや、自分たちはこう見せたいんです」と、自分たちで作れるところまできたので。もちろんいろいろな人の力を借りてはいたいんですけれど、そういうのは、普通にわがまま言っていいのかな、と。自分たちの表現したいダンスだったり音楽というものを、全面的に出していきたいな、と思っています。
谷内伸也:僕はコロナ禍に入ってから、より自分自身のことやLeadのことを見つめる部分があって。そういう期間の中で、パソコンをいじってクリエイトすることに時間をかけました。その中で吸収したものだったりとか、まだ中途半端ないものとかも、どんどん形にして、出していきたいですね。
古屋敬多:Leadは毎年ライブを継続的に20年やらせてもらっていたのですが、この2,3年はできていなくて。でももう一度、ファンの方と絶対切れない絆を結びたい、という思いが強いので。これからいろいろ皆さんを楽しませることを考えています。
やはり同じ空間で時間を共有して、近くで目を見て話したりとか、そういう機会が少しでもこれから増えていけると理想の世界かな、と思います。
TEXT キャベトンコ
PHOTO Kei Sakuhara