福山雅治主演・映画ガリレオ「沈黙のパレード」主題歌
変人物理学者・湯川学が不可解な事件を科学的に解き明かす大人気ミステリーシリーズ『ガリレオ』。2022年9月16日、映画第3弾となる『沈黙のパレード』が公開されました。
そして同日にリリースされた映画主題歌はKOH+が歌う『ヒトツボシ』。
KOH+は、主演を務める福山雅治と柴咲コウの2人のアーティストで構成されるユニットです。
作詞・作曲・プロデュースは福山雅治が、ボーカルは柴咲コウが担当しています。
KOH+の結成は、ドラマ『ガリレオ』第2シーズンの主題歌『恋の魔力』以来の9年ぶり。
シリーズ初の映画『容疑者Xの献身』の『最愛』が印象に残っている方も多いかもしれません。
新たにリリースされた楽曲『ヒトツボシ』は、『最愛』と同様、劇中の登場人物の鎮魂歌になるよう制作されたとのこと。
果たして、その歌詞にはどのような意味が込められているのでしょうか。
星になった「わたし」から遺された「君」へ
まずは1番の歌詞から考察していきましょう。
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愛さずにいられたなら
こんなにも苦しくはない
出逢わずにいられたなら
この旅は幸せだったの?
舟は かなしみの海を漕ぐ
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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『沈黙のパレード』では、歌手を夢見ていた女子学生が不慮の死を遂げます。
ここでは『ヒトツボシ』の主人公を、その女子学生と想定して考察を進めていきましょう。
突然の死を迎えた人にとって、大切な人との別れはあまりに孤独で心苦しいものだと推察できます。
それが高じて「愛さなければよかった」や「出逢わなければよかった」という後悔が生まれることも想像に難くありません。
特に「出逢わずにいられたなら この旅は幸せだったの?」という歌詞からは「今と違う世界や人の中で生きていたら、死ぬこともなく幸せになれたのか」という、自分の死への歯がゆさが伝わってきます。
そして次の歌詞は「舟は かなしみの海を漕ぐ」。
これは遺された人たちの人生が、悲しみにあふれたまま進んでいくさまを表していると解釈できそうです。
続いてサビの歌詞を見ていきましょう。
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ごめんなさい
君にサヨナラも言えずに
わたしひとり星になったね
いつか いつの日にか
君がわたしのこと
泣かずに思い出せるように
君の物語の邪魔しないように
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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どうやら亡くなった主人公は「君」にお別れを言えなかったことを申し訳なく思っているようですね。
ここでは「君」を主人公の恋人と仮定してみます。
その恋人に対して「いつの日にか 君がわたしのこと 泣かずに思い出せるように」と願う主人公。
思い出して涙する状態というのは、彼女の死に対して気持ちの整理がつかず、前に進めない状態のことでしょう。
なのでこの歌詞は「わたし」の死を乗り越えて前に進んでほしいという願いだと解釈できます。
そして締めは「君の物語の邪魔しないように」。
「旅」ではなく「物語」という言葉を使っているのは、気休めや上辺だけであっても自分なりに納得できるストーリーで気持ちの整理をつけてほしいという思いの表れなのかもしれません。
「ヒトツボシ」として「君」を見守る
ここからは2番の歌詞を見ていきます。
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夢は脆く壊れて
現実のカケラたちを
何度かき集めても
元通りの夢にならなくて
君と ただ君といたかった
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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「夢は脆く壊れて」というのは、突然の死によって叶わなくなった夢(歌手になること)だと考えられます。
周囲に愛されていた主人公にとって、その大きな夢は自分のものだけではなかったはずです。
応援してくれていた周りの人たちは、今では彼女の死に直面して悲しみに暮れています。
「現実のカケラ」が一緒に夢を見ていた周囲の仲間たちだと仮定すると、その中心であった自分というピースがない以上「元通りの夢」にならないのは仕方のないことです。
そんな大きな夢と同じくらい大切だった「君」。
主人公は、夢が壊れたことで一層「君」の存在が恋しくなっているのかもしれません。
「ただ君といたかった」という歌詞は、そんな切なさがストレートに感じられるフレーズですね。
次に、サビの歌詞を見ていきましょう。
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いちばん好きな君と
笑い合った日々の
あのわたしがいちばん好き
人を赦せなくて
自分も赦さずに
そんな嵐の旅を行く
君のヒトツボシになれますように
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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恋人と笑い合っているときの自分が一番好きだったと語る主人公。
その恋人が「人を赦(ゆる)せず、自分も赦さない」というのは、一体どのような状況なのでしょうか。
これはおそらく、主人公の死に関わった人物を赦せず、何もできなかった自分自身のことも赦さないというニュアンスではないかと考えられます。
続く歌詞「嵐の旅」とは、そんな十字架を背負った「君」の過酷な未来のことなのではないでしょうか。
また「ヒトツボシ(一つ星)」とは、航海の際に方位の基準にする北極星のことです。
主人公からすれば、恋人の未来は嵐の中の船旅のようなもの。
「君のヒトツボシになれますように」というフレーズは、後悔や憎悪に駆られて道を踏み外してしまわないよう「君」を見守っていたいという願いを表しているのかもしれません。
「君よ幸せに(本当は寂しい)」
最後に、終盤の歌詞を見ていきます。
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星の生命もやがては終わる
だけど出逢えた歓びは
ほら 終わらないよ
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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人の一生はもちろん「星の生命もやがては終わる」もの。
これは「ヒトツボシ」としての主人公の役割が終わることを想っての言葉だと解釈できそうです。
1番の歌詞では、出逢ったことを後悔するような雰囲気が漂っていました。
しかし、ここでは「出逢えた歓びは ほら 終わらないよ」と、大切な人に出逢ったことを前向きに捉えています。
曲の中で、主人公自身が自分の死を受容して成長しているかのようですね。
そんな成長が垣間見えたところで、最後のサビに入ります。
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「君が 誰か愛し 愛されますように」
本当は少し寂しいけれど…
いつか いつの日にか
わたしが君のこと
泣かずに思い出せるように
君の旅が幸せであるように
≪ヒトツボシ 歌詞より抜粋≫
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最初の2行は自分を抜きにした恋人の幸せを願いながら、心のどこかに残っている寂しさが本音としてポロッと出ているように聴こえます。
「空から見守る必要がないくらい幸せでいてほしい」という願いと「私のことを思い出さなくなるのは寂しい」という思い。
そんな相反する心境が、同居しているような描写です。
そして「いつの日にか わたしが君のこと 泣かずに思い出せるように」と切望する主人公。
自分自身、気持ちを整えなければと思い至ったのでしょうか。
そんな主人公の最後の言葉は「君の旅が幸せであるように」。
嵐のような苦難の向こうで「君」が幸せをつかめるよう祈っているようです。
1番と2番では別れのつらさや寄り添いたい気持ちが、そして終盤では「君」が幸せになってほしいという切望が読み取れました。
『ヒトツボシ』が亡くなった女子学生の鎮魂歌だとするなら、曲の進展に伴って利他的になっていく主人公視点の歌詞は、まさしく魂の安らぎに近づいているかのようですね。
「沈黙のパレード」も必見!
今回はKOH+『ヒトツボシ』の歌詞の意味を考察しました。不慮の死を迎えた後の複雑な感情が、亡くなった側の視点で表現される非常に切ない歌詞でしたね。
曲が進むにつれ、段々と主人公の心が静まっていくような歌詞表現も印象的でした。
なお、今回は『沈黙のパレード』のあらすじをもとに考察を展開しています。
より深く歌詞の世界を味わうためにも、ぜひ本編を鑑賞し、詳細なストーリーと照らし合わせて各々の考察を膨らませてみてはいかがでしょうか。
きっと新しい発見がありますよ。