『SPY×FAMILY』2クールエンディング主題歌にyamaの『色彩』
yamaの『色彩』は、2022年10月2日デジタルリリースされた新曲です。作詞作曲を手がけたアーティスト・くじらとのタッグに加え、現在放送中のアニメ『SPY×FAMILY』のエンディングに起用されたことでも話題を集めました。
テンポが速くリズミカルな曲調と、色鮮やかに作品の世界を描き出したエンディング映像ともマッチし、見事に『SPY×FAMILY』を彩る楽曲になっています。
『SPY×FAMILY』は1クールからオープニング曲やエンディング曲が作品と共に話題になっていましたが、2クールに入っても同様。
作品のファンにも愛される楽曲の秘訣は、やはり『SPY×FAMILY』というアニメ作品にぴたりとハマる歌詞ではないでしょうか。
『色彩』も楽曲の世界観をしっかりと主張しつつ『SPY×FAMILY』という物語にリンクした歌詞が印象的です。
それでは『SPY×FAMILY』と重ね合わせながら『色彩』の歌詞の意味を考察していきましょう。
「奇跡」の連続で成り立っている日常
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じっと機微を見逃さないで
きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ
関心はまだ僕ら
真珠の欠片だって無価値、そこに物語がなければ
からくりのなかで廻る僕ら命だ
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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「機微」とは、心や物事の細やかな動きを意味します。
何気なく生きているとつい見逃してしまいがちな微細な変化に目を向けろという歌詞は『SPY×FAMILY』のストーリーを彷彿させます。
そこにしっかりとした物語がなければ、高価な真珠さえも無価値になり、人の命さえも意味を失ってしまう。
「僕」が感じている危機感はまるで、安易に生きる人たちへの警告のようにも見えます。
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実は奇跡のような毎日を、当たり前に手を差し伸べあって過ごしている
心あたたかであること、笑うほど寂しいことはないでしょう?
落ち込む夜でさえ多彩で気まぐれなように
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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『SPY×FAMILY』の主人公である黄昏は世界の平和を保つため、スパイとして敵国に潜入するという、危険な状況に身を置いています。
些細な気の緩みが即、命の危険に繋がる、緊張感溢れる毎日。
黄昏には世界平和という使命、妻役のヨルには人を殺してでも害をなす人間を排除し、国を守るという使命感があります。
娘役のアーニャはまだ幼いながらも、大好きな「ちち」を手伝い、世界を平和にしようという思いがあり、そこには「家族」というものへの強い憧れが見えます。
任務のために作られた仮初めの家族・フォージャー家は、他人同士の寄せ集めだからこそ、家族として成り立っていること自体が奇跡です。
スパイと殺し屋とエスパーという突拍子もないメンバーが、フォージャー家を成立させるために努力し、互いを思いやっている姿は、本物の家族以上に家族です。
家族だからこそ、時に相手への思いやりを忘れてしまったり、分かり合えて当然と思い込んですれ違ってしまったり。
フォージャー家は偽物の家族だからこそ、互いを尊重し、支え合わなければ上手くいきません。
それ故に、時には本当の家族よりも家族らしくなっているところが不思議で、微笑ましいのでしょう。
他の家族が当たり前に享受している楽しい時間や安心して帰れる場所は、黄昏、ヨル、アーニャの努力によって築き上げられているのです。
家族というものの尊さを体現している『SPY×FAMILY』らしさが顕著に表れる歌詞ですね。
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どの人生も悪くはないだろう
強がる事を知れど今までの
足跡や産まれたことは消えやしない
軽い冗談で傷がついてしまう
柔らかなままでいい、そのままでいい
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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多くは語られませんが、黄昏にもヨルにもアーニャにも、フォージャー家となる以前の人生があります。
抱えてきた痛みも辛さも、幸せな記憶もすべて消えることなく、それぞれの心の中に息づいている。
それは、現実を生きるわたしたちにもいえることです。
人は皆「今」を生きていますが、歩んで来た過去が消えることはありません。
冷静沈着な心を持ち、いかなる時も冷徹に仕事をこなしてきた黄昏にも、弱い部分はきっとあります。
偽物ながら「家族」というものができたことで、黄昏の心は日を追うごとに人間らしく、言い換えればスパイらしからぬ方向へと変化していきます。
スパイとして生きていく上では好ましいことではありませんが、人間的には魅力的。
それこそが「柔らかなままでいい、そのままでいい」なのです。
人の心は弱いままでいい。
その方が人間らしいよと言われているような気がしますね。
辛い過去を乗り越えた先の「喜劇」
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じっと日々を見逃さないで
きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ
関心はまだ僕ら
真珠の欠片だって無価値、そこに物語がなければ
からくりの中で廻る僕ら命だ
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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平穏な日常の中では、その大切さを忘れがちです。
目の前にある当たり前の平穏は、誰かの努力の上に成り立っていること。
それを忘れることなく、しっかりと噛みしめることが、幸せを長続きさせる秘訣なのでしょう。
フォージャー家はそれを体現しているといえます。
「ちち」「はは」「娘」という役をそれぞれが全力で演じるからこそ、あの一家は温かく、見る人の心を惹きつけるのです。
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あぁ間違っていないね
喜劇ばかりじゃここには立っていないってこと!
気晴らしに今ならどこへだって
僕ら光のように気がつかない
間違ってる涙なんてない
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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「喜劇ばかりじゃここには立っていない」という歌詞は、人生にもいえることです。
生きていれば辛いことも嬉しいこともあり、奇跡を噛みしめた直後に全貌を味わうこともあるかもしれません。
数歩先の未来も見えない暗闇を、手探りで必死に進むようなものです。
『SPY×FAMILY』はコメディ作品ではありますが、舞台は冷戦中の国。
黄昏はスパイとして日夜平和を維持するために走り回っています。
そしてヨルも天真爛漫な性格とは裏腹に、国家に仇をなすものを闇に葬っています。
どちらも日の当たる場所を堂々とは歩けない立場。
そしてアーニャも、誰にも正体を明かせないという闇を抱えています。
フォージャー家もまた、見えない努力の上に成り立っているのです。
「間違ってる涙なんてない」という歌詞には、今を精一杯生きる人が零した涙すべてを肯定する優しさがあります。
立場が違えば正義も変わる。
そんな曖昧な世界で、黄昏もヨルも戦っているのでしょう。
そんな中で流された涙は誰のものであっても、間違っているということはないのです。
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じっと意味を見逃さないで
きっと大人はそれらしくするのでかかりきりになるんだ
関心はまだ僕ら
真珠の欠片だって無価値、そこに物語がなければ
からくりの中で廻る僕ら命だ
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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何気なく流れていく日常、立場によって簡単に揺らいでしまう正義だからこそ、意味を見逃さないよう、しっかりと現実を見据えなくてはなりません。
日々の小さな出来事からも、自分の言動からも目を逸らしてはならない。
祈りのような、覚悟のような強さを感じます。
『色彩』というタイトルに込められた意味
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なりそこないで溢れた!
挿絵のような幸せを求めている
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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この世に求めるものは完璧さではなく、ささやかな幸せ。
「なりそこないで溢れた」「挿絵のような幸せ」という歌詞からは、ありきたりで見落としてしまいそうな日常の中にこそ幸せを見出そうとする姿が見て取れます。
本の表紙を飾るような立派な絵ではなく、本の隅を彩る挿絵でいい。
『SPY×FAMILY』の世界では東西の国が冷戦状態にあり、戦争一歩手前の危うさも描かれています。
そんな中で黄昏が目指すのは子供が泣かない、平和な世界。
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感性は絵の具、混ざり合える
この街で当たり前に今、輝いている!
≪色彩 歌詞より抜粋≫
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それぞれの正義で、互いに大切なものを守ろうと戦う不毛さではなく、絵具のように様々な感性が混ざり合える世界。
黄昏が求める世界も「僕」が求める世界も、きっと一色では染まらない、互いの色を尊重し合える、カラフルな世界なのでしょう。
「落ち込む夜でさえ多彩で気まぐれなように」と歌われているように、わたしたちの心は様々な色に満ちています。
悲しい時も嬉しい時も、ただそれだけの感情では居られないほど多彩で複雑。
めまぐるしく変わっていく日々と同じくらい、人の心もカラフルな色彩に満ちています。
『色彩』のMVでは、タイトルにリンクするように、画面がクルクルと回転するごとに場面が切り替わり、様々な人物が色とりどりの表情を見せます。
弟のユーリとヨルが楽しそうに話す場面は、姉弟らしいくだけた空気感。
黄昏が仕事の同僚と会話するシーンでは、ロイドとしての顔。
何かと手助けをしてくれるフランキーと話すアーニャは、友達と悪巧みをしているような顔。
とてもリラックスした空気感が印象的です。
人は誰と過ごしているかによって、表情ががらりと変わります。
黄昏、ヨル、アーニャで料理を作るシーンでは、家族の空気。
それぞれが違う立場で、違う目的で家族を作っていても、まとう空気は同じです。
楽しそうにはしゃぐアーニャと、それを見守る黄昏とヨルを見ていると、「家族」の温かさに心が満たされます。
寄せ集めの家族なのに、そこにあるのは理想的な家族像。
互いを必要とし、思いやることの大切さが詰まった映像作品になっているところはさすがです。
どうせ多彩な人生なら、その色が少しでも明るく、美しいものであるように。
そんな人で、家族でありたいと思わせてくれます。
フルバージョンのMVではダンスに合わせて場面が切り替わったり、クルクルと回転したりする映像が印象的です。
タイトルの通り、色彩に富んだ美しい映像作品になっているので、アニメ版との違いを楽しむのもよいでしょう。
『色彩』に登場する「僕」の言葉は、現実を生きるわたしたち一人ひとりが意識しなければならない、大切なことです。
世界の動きも心の動きも、細やかに感じ取る心と、多彩さを受け入れる寛容さ。
そんな心を持つことができれば、この世界は今よりさらに美しく、優しい色で満たされるのではないでしょうか。