wowakaと初音ミクの想いが重なる歌詞に注目
現実逃避P名義で数々の魅力的なボカロ曲を世に生み出し、ロックバンド・ヒカリエのボーカル&ギターとしても活躍したwowaka。そんなボカロPwowakaが2017年にリリースした『アンノウン・マザーグース』は、初音ミク10周年記念コンピレーションアルバム『Re:Start』の収録曲として書き下ろされたボカロ曲です。
前作の『アンハッピーリフレイン』から約6年ぶりの投稿ということもあり、大きな反響を呼び、投稿からわずか5時間27分で殿堂入りを果たしました。
2020年には人気リズムゲーム『プロジェクトセカイ カラフルステージ!feat 初音ミク』にも収録され、その人気は衰えていません。
この楽曲について、wowakaは自身と初音ミクが重なって思えてきたため、両者について「今言えることを全部言ってしまおう」という気持ちで制作したそうです。
つまり初音ミクの歌であると共に、wowaka自身の歌でもあるということです。
ほぼ全編で初音ミクの歌声の裏にwowakaの声が重ねられていることからも、その意図を感じます。
どのような想いが綴られているのか、歌詞の意味を考察していきましょう。
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あたしが愛を語るのなら その眼には如何、映像る?
詞は有り余るばかり 無垢の音が流れてく
あなたが愛に塗れるまで その色は幻だ
ひとりぼっち、音に呑まれれば 全世界共通の快楽さ
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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wowakaは初音ミクの声を通し、初音ミクはwowakaの曲を通して音楽への「愛」を語ります。
「映像る?」という表記は、初音ミクが映像の世界に生きるバーチャルな存在であることを象徴しています。
自身を「あたし」と表現している2人が問いかけている「あなた」とは、おそらくリスナーのことでしょう。
自分たちが作り出す愛の歌はリスナーの目にどう映っているのかと問いかけているということです。
そして歌詞にしたい言葉が有り余るほどに浮かび、まだ調教していない初音ミクの「無垢の音」を使って音楽を作っていく様子が描かれています。
「あなたが愛に塗れるまでその色は幻だ」のフレーズは、リスナーが聴くまでその曲は色のない未完成な状態ということを示しているのかもしれません。
だからこそこの愛がリスナーの心に届いているか気になるのでしょう。
音楽への愛が届き歌が色づく瞬間を想像しながら曲作りに打ち込むことを最高の喜びとしていることが「全世界共通の快楽さ」の歌詞から伝わってきます。
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つまらない茫然に溺れる暮らし 誰もが彼をなぞる
繰り返す使い回しの歌に また耳を塞いだ
あなたが愛を語るのなら それを答とするの?
目をつぶったふりをしてるなら この曲で醒ましてくれ!
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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ここで出てくる「彼」は特定の人物ではないようです。
「誰もが彼をなぞる」や「繰り返す使い回しの歌」の表現から、人気のあるボカロPの曲を模倣している人たちのことを指していると解釈できます。
wowakaは盛り上がるボカロシーンの中で、有名になりたいがために「wowakaみたいな曲を書けばいいんだろ?」とでもいうようなオリジナリティがない曲が増えていったことにショックを受けていたそうです。
それで自分の気持ちの入っていないその歌を、自分の想いとして掲げていいのかと問いかけています。
そして音楽を作ることの本質から目を背けているのなら「この曲で醒ましてくれ!」と訴えます。
「アンノウン・マザーグース」の意味は?
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誰も知らぬ物語 思うばかり
壊れそうなくらいに 抱き締めて泣き踊った
見境無い感情論 許されるのならば
泣き出すことすらできないまま 呑み込んでった
張り裂けてしまいそうな心があるってこと、叫ばせて!
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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タイトルにある「マザーグース」はイギリスで古くから伝承されてきた童謡の総称です。
そんな誰もが知っているはずの物語に「unknown(知られていない)」とついているので、タイトルはこの歌詞にある通り「誰も知らぬ物語」と言い換えることができます。
それは自分自身の人生や感情のことだと考察しました。
誰もが様々なことを経験し、妬みや怒りなどネガティブな感情を多く抱えています。
人に言えないから知られていないだけで、そうした気持ちを持っていないわけではありません。
初音ミクとwowakaは「泣き出すことすらできないまま呑み込んでった張り裂けてしまいそうな心があるってこと、叫ばせて!」と歌っています。
つらい気持ちを人に話すと、問題が解決していなくても心が軽くなることがあるでしょう。
同じようにネガティブな感情を昇華させるために、音楽を作っているということが示されています。
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世界があたしを拒んでも 今、愛の唄
歌わせてくれないかな
もう一回 誰も知らないその想い
この声に預けてみてもいいかな
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
ガラクタばかり 投げつけられてきたその背中
それでも好きと言えたなら
それでも好きを願えたら
ああ、あたしの全部に その意味はあると――
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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高い人気を誇るボカロPだったとはいえ、前作から6年が経って新たなボカロ曲をリリースすることへの不安もあったのかもしれません。
「世界があたしを拒んでも 今、愛の唄歌わせてくれないかな」と懇願しています。
自身が調教した初音ミクの声で表現する想いを聴いてほしいという真摯な気持ちも垣間見えますね。
「ガラクタ」のような曲ばかり聴かせられ、ボカロから離れた人もいるのではないでしょうか。
そうした中でもこの曲を聴いてwowakaの曲と初音ミクの歌声を「好き」と言ってくれる人がいるなら、それこそが自分たちの存在理由となります。
音楽とリスナーに対して、真っ直ぐに向き合う姿勢が素敵ですね。
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ねえ、愛を語るのなら 今その胸には誰がいる
こころのはこを抉じ開けて さあ、生き写しのあなた見せて?
あたしが愛になれるのなら 今その色は何色だ
孤独なんて記号では収まらない 心臓を抱えて生きてきたんだ!
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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ここでは初音ミクの声を通して愛を語ろうとするボカロPたちへ、誰へどんな愛を持っているのかと尋ねています。
「生き写しのあなた」はボカロPの想いを反映した初音ミク自身のことと解釈できます。
あたしはあなたの想いを体現するのだから「こころのはこを抉じ開けて」ありのままを見せてと告げているかのようです。
「孤独」という言葉は単なる記号で、一人ひとり直面している状況や抱えている感情は異なります。
だから誰かの借り物ではなく、その人自身の心を見せてほしいのです。
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ドッペルもどきが 其処いらに溢れた
挙句の果ての今日 ライラ ライ ライ
心失きそれを 生み出した奴等は
見切りをつけてもう バイ ババイ バイ
残されたあなたが この場所で今でも
涙を堪えてるの 如何して、如何して
あたしは知ってるわ この場所はいつでも
あなたに守られてきたってこと!
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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「ドッペルもどき」も真似をする人たちのことで、彼らが作り出した音楽は「心失きそれ」と表現されています。
自分の心がない音楽では当然リスナーに受け入れられず、彼らは早くもボカロに見切りをつけて去って行ってしまいました。
一方で、純粋にボカロを愛していた人たちはこうした風潮に流されずに残っています。
しかし、涙を堪えなくてはならないほど厳しい世界です。
それでもボカロ界はいつでも愛あるボカロPたちによって「守られてきた」ことを初音ミクだけは知っているから、めげずに自分の想いを貫いてほしいという願いが感じ取れます。
伝えたい想いは全てこの曲に込められている
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痛みなどあまりにも慣れてしまった
何千回と巡らせ続けた 喜怒と哀楽
失えない喜びが この世界にあるならば
手放すことすらできない哀しみさえ あたしは
この心の中つまはじきにしてしまうのか?
それは、いやだ!
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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生きていれば多くの「痛み」を負い、様々な「喜怒と哀楽」を経験します。
できるだけ哀しみは感じたくないものですが、wowakaはそうしたネガティブな感情を音楽を作る原動力にしてきました。
それで喜びさえあれば哀しみがなくなっていいのかという自問に対し「それは、いやだ!」とはっきり拒んでいます。
音楽の源となる哀しみがなくなってしまうということは、自分の人生から音楽を失うことと同じなのかもしれませんね。
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どうやって この世界を愛せるかな
いつだって 転がり続けるんだろう
ねえ、いっそ 誰も気附かないその想い
この唄で明かしてみようと思うんだよ
あなたなら何を願うか
あなたなら何を望むか
軋んだ心が 誰より今を生きているの
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
それ、あたしの行く末を照らす灯なんだろう?
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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常に変化し動き続ける世界を愛するため、wowakaが出した答えが初音ミクを通して自分の想いを明かすことだったのでしょう。
そして信念を持つボカロPたちに「あなたなら何を願うか あなたなら何を望むか」と尋ねています。
心が軋んで苦しくなることもありますが、それはきっと「誰より今を生きている」証拠です。
その心から出た想いを表現した先に初音ミクの未来がある。
だから叫びたい想いがある限り、ボカロ界は続いていくのだと訴えているように感じます。
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ねえ、あいをさけぶのなら あたしはここにいるよ
ことばがありあまれどなお、このゆめはつづいてく
あたしがあいをかたるのなら そのすべてはこのうただ
だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ
≪アンノウン・マザーグース 歌詞より抜粋≫
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「あい(愛)」つまり自身の気持ちを叫びたいのなら、初音ミクはいつでもそばにいて力を貸す準備ができていると語りかけてきます。
世界には知り尽くせないくらいに多くの言葉や音楽があふれていますが、自分の感情は唯一無二だから語り尽くされることはありません。
wowakaの伝えたい想いは、この楽曲に全て込められています。
最後に「またくちずさんでしまったみたいだ」とあるのは、これがいつも心にある気持ちだからなのでしょう。
頭に残っていてふと口ずさむ歌のように、自然と出てくるほどこれらのことを常に感じ続けていたことが伝わってきます。
ちなみに同年にリリースされたハチPこと米津玄師のボカロ曲『砂の惑星』もボカロ界について歌われています。
どちらも初音ミクの10周年を記念した曲のため『アンノウン・マザーグース』は『砂の惑星』へのアンサーソングではないかという意見も挙がりましたが、wowaka自身がたまたまタイミングが重なっただけであると否定しています。
この曲はあくまでwowaka自身の切なる想いが綴られている楽曲なのです。
作り手の想いが詰まったボカロ曲を味わおう
2019年に急性心不全で亡くなったwowakaのボカロ曲としての遺作となった『アンノウン・マザーグース』。wowakaの音楽やボカロ曲への思いの丈を詰め込んだこの曲を聴くと、自分自身の気持ちを素直に表現することの大切さや、そのために音楽があることに気づかされます。
ボカロ界の勢いが再燃する今、ボカロPもリスナーも原点に立ち返って純粋に音楽を楽しむよう促してくれる名曲です。