歌舞伎が題材の春日八郎の代表曲を徹底解釈!
『お富さん』は1954年に発売された春日八郎の歌謡曲です。
作詞を山崎正、作曲を渡久地政信が務め、当初キングレコードのスター歌手であった岡晴夫が歌唱する予定でしたが、岡がフリー宣言をしたことで急遽まだ若手だった春日が歌唱することに。
その結果リリースから4ヶ月で40万枚、累計125万枚を売り上げるヒット曲となり「死んだ筈だよ お富さん」という歌詞が流行語にもなりました。
この楽曲は当時宴会で歌われていた猥褻なお座敷ソングに代わる、いくらか軽い調子で替え歌のしやすいものを狙ったそうです。
ブルースやジャズなどによく使われるスイングのリズムをベースに、渡久地の地元である沖縄音楽の要素を取り入れたメロディが癖になります。
歌詞は戦前や戦中の日本芸能の世界で定番だった江戸時代末期の歌舞伎『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』を題材としています。
通称「切られ与三(よさ)」、「お富与三郎(おとみよさぶろう)」、「源氏店(げんやだな)」と呼ばれ、世話物の名作のひとつに数えられる演目です。
どのような世界が描かれているのか『与話情浮名横櫛』の物語を追いながら、歌詞の意味を考察していきましょう。
「死んだ筈だよ」「玄治店(げんやだな)」…どういう意味がある?
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粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エッサオー 源冶店
≪お富さん 歌詞より抜粋≫
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舞台は鎌倉。
主人公の与三郎は全身に34箇所の刀傷を負っている姿から「向疵の与三(むこうきずのよさ)」の悪名で知られたごろつきです。
与三郎はある日、相棒の蝙蝠安(こうもりやす)に連れられ、金をせびるためにある金持ちの妾だという女性の住む屋敷に押し入ります。
冒頭の「粋な黒塀 見越しの松」の歌詞は、その屋敷の洒落た渋墨塗りの黒い塀を越えて敷地内の松の木が覗いているのが見えたことを表しています。
屋敷に入った彼らに家主の女性が対応します。
「仇な姿」は「婀娜姿」の当て字で、美しく艶めかしい姿であることを指す言葉です。
そして「洗い髪」ともあるので、女性はお風呂帰りでまだ髪を結わえていない状態であり、より惹きつけられる美しさをかもし出していたのでしょう。
与三郎は女性の顔をしっかりと見て「死んだ筈だよ お富さん」と驚きます。
その人は与三郎が死んでいると思っていた“お富”という女性だったのです。
与三郎という人物は元武士の息子で、跡取りのいなかった小間物問屋・伊豆屋の養子になります。
しかし、のちに養子先に実子が生まれたため、与三郎は家督を実子に譲るためにわざと放蕩に走り勘当されます。
その後木更津の親戚に預けられていた頃に、浜でこのお富と知り合って深い仲に。
ところがお富はヤクザの親分・赤間源左衛門(あかまげんざえもん)の妾でした。
2人の関係を知った源左衛門とその子分により、与三郎は滅多切りにされた上に簀巻きにされてしまいます。
一方、お富は逃げ出したものの、子分の1人に追い詰められて海に身を投じました。
そのため与三郎はお富を死んだものと思っていましたが、実はそこに江戸の質屋・和泉屋の大番頭である多左衛門(たざえもん)の船が通りかかって助けられ、現在は多左衛門のもとに身を寄せていたのです。
そうして偶然与三郎が押し入った屋敷があるのが、1番の最後に出てくる「玄治店(げんやだな)」と呼ばれる地域でした。
「玄治店」は現在の東京都中央区日本橋人形町3丁目あたりの地名で、今でいう高級住宅街。
徳川家光に仕えた医師の岡本玄冶の敷地跡から、その一帯が玄治店と呼ばれるようになりました。
ちなみに歌舞伎で「源氏店」と表記されているのは、当時実際の地名を用いることが幕府から禁じられていたために当て字を用いたからです。
壮絶な別れから3年、もう二度と会うことはないと思っていた2人が驚きの再会を果たす姿が描かれています。
すれ違う2人の気持ち
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過ぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の痕
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エッサオー すまされめえ
≪お富さん 歌詞より抜粋≫
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かつて愛し合った2人でしたが、感動の再会とはなりません。
「久しぶりだな お富さん」と声をかけた与三郎には、お富をあざけるような態度が見られます。
未だに風がしみるような瀕死の傷を負い散々な目に遭った与三郎と、別の金持ちの男の妾になっているらしいお富。
与三郎からすれば、自分は「切られの与三」と不名誉な名で呼ばれて大変な生活を送っていたのに、死んでしまったと悲しんでいた女性はぬけぬけと生きていて、さらにはまたしても妾暮らしをしているだなんて、ひどい裏切りです。
「過ぎた昔を恨むじゃないが」と言いつつも、恨み言を言いたくなる気持ちも分からないでもないですね。
「一分」は江戸時代のお金の単位として一両の4分の1にあたる銀貨で、現代で2万円ほどの金額です。
相当な金額だったもののごろつきとの押し問答が面倒になっていたお富は、その大金を投げて帰らせようとしていました。
しかし、相手がお富であることに気づいた与三郎は正体を明かし、一分どころでは済まない、この家のもの全てはお富の亭主である自分のものだと息巻きます。
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かけちゃいけない 他人の花に
情かけたが 身の運命
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エッサオー 茶わん酒
≪お富さん 歌詞より抜粋≫
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「かけちゃいけない他人の花に情けかけたが身のさだめ」という歌詞は、言い換えれば「他人の女に手を出したのが運の尽き」となりそうです。
与三郎はそんな愚痴は言わないから、今夜は茶碗に酒をついで「飲んで明かそよ」と話します。
結局はこれも何不自由なく生活するお富へのあてつけなのでしょう。
お富の方は実際には妾とは名ばかりで肉体関係はなく、これまで与三郎を忘れたことはないと弁解しますが聞き入れられず、むしろ与三郎をさらにいきり立たせてしまいます。
与三郎とお富の物語の結末は?
混乱の中、その場に多左衛門が帰宅します。
多左衛門は落ち着き払った様子で与三郎が誰なのか尋ね、それにお富は兄弟だと答えてその場を収めようとしました。
しかし、与三郎の勢いは止まらず、多左衛門にお富との関係について問い質そうと詰め寄ります。
それに対して多左衛門は本当に男女の仲でないことを釈明し、まとまったお金を渡し商売でもして堅気になるよう言って帰らせました。
店に戻る予定があった多左衛門は行きがけにお富に守り袋を渡して戻ります。
その中には臍の緒書きが入っており、多左衛門とお富が生き別れた兄妹であったこと、多左衛門が妹の恋のために一芝居打ってくれたことが明らかになります。
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逢えばなつかし 語るも夢さ
だれが弾くやら 明烏
ついて来る気か お富さん
命短く 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エッサオー 地獄雨
≪お富さん 歌詞より抜粋≫
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おそらく4番の歌詞は、真実を知ったお富が与三郎を追って行った後の2人を描いていると解釈できるでしょう。
改めて3年振りの再会に互いを懐かしく感じ、こうして話していることが夢のように思えると語ります。
「明烏」とは当時作曲された心中物の浄瑠璃『明烏 夢阿波雪(あけがらす ゆめのあわゆき)』のことを表しています。
これは江戸三河屋であった情死事件を、吉原の遊女・浦里と春日屋・時次郎の情話として脚色した作品。
この作品名を出すことにより、2人の恋の結末が決して明るくないことを暗示しているのでしょう。
短い人生の中、何も持っていない自分のような男について来ても苦労するだけ。
「地獄雨」と言い表すほど世間は厳しいのに、それでもいいのかとお富を諭します。
それでも消えない想いを確かめ合った2人は、今度こそ生涯離れないことを誓うのでした。
モチーフを知ると曲の世界が広がる!
春日八郎の『お富さん』は当時の日本人になじみ深い歌舞伎の演目を歌でコミカルに表現した楽曲です。明るい曲調とは裏腹に、壮絶な背景を持つ熱烈な愛の物語が歌われていたことを知ると曲のイメージも変わりますよね。
ぜひ与三郎とお富のやり取りを想像しながら聴いてみてくださいね。