創作者が抱える苦しい想い
2018年より活動を開始したボカロP・煮ル果実が、毎年恒例となっている2月10日に2023年第1弾シングル『命辛辛(いのちからがら)』をリリースしました。煮ル果実の楽曲といえば、唯一無二のダークな世界観で人間の泥臭さを表現しているのが特徴と言えるでしょう。
今作は特にアーティストとしての煮ル果実自身の想いが込められているように見受けられます。
きっと多くの人が共感できる歌詞の意味をじっくり考察していきましょう。
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晩 晩 晩 四苦八苦 煮詰まるハックルベリー
ふと異形に成りたいと想う夜
グミ・チョコレート・パイン
贋 贋 贋作三昧
熱冷まし札 貼り
用法用量守らないせいで
ぼっちの錠剤とMe
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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今作の歌詞で印象的に登場するイメージフルーツ「ハックルベリー」は北米の小粒なベリーです。
その実の小粒さから小さいものを指し示す古いアメリカ英語のスラングとして使われており、その中には「取るに足らない人物」という意味合いもあるようです。
ここでは前後に「四苦八苦」や「ふと異形に成りたいと想う夜」といったネガティブなフレーズが出てくるため、主人公は自分のことを取るに足りない小物のように感じて現実逃避したがっていると解釈できるでしょう。
「グミ・チョコレート・パイン」はじゃんけんから派生した遊びのことなので、頑張るのをやめて遊びに意識を逸らしていることや運任せにして楽に生きたいという気持ちを表しているのかもしれません。
本当は自分だけの作品を作りたいのにできるものは「贋作三昧」。
用法用量を守らず飲んだせいで中途半端に1粒だけ残った錠剤に、社会の常識から外れて独り取り残されている自分自身を重ねて落胆していることがうかがえます。
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万 万 万策尽きても
線を乞うケント紙
『百面相だ』って自分で課して
重責のファッションモデル
ワンウェイは冗長で
無観客は飽き飽き
もう全人類ROMっても
石油まで掘り当てたい
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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「ケント紙」は創作によく使われる用紙なので、この部分ではアイディアは尽きても描きたい欲求や承認欲求に駆られて創作をやめられないアーティストの姿が表現されていると思われます。
百面相を描くように常に違う作品を作るよう自分に課したことで、そのプレッシャーに苦しんでいるようです。
何とかつくりあげても変化がなく面白みに欠ける作品は見てももらえず、焦りばかり募っていきます。
「ROMる」という表現は投稿せず閲覧のみを行うことを指すスラングです。
自分が苦労しているようにアーティストの世界は厳しく、いずれほかの誰も作品を投稿しなくなる可能性もあります。
それでも石油を掘り当てるかのように、自分だけは大きな夢を実現するまで苦しくても続けていきたいという熱い想いが伝わってきます。
苦しいけれど辞められない
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ラランランラランララ
聖人君子成り損ねた
夢の残骸
老廃物
命辛辛で
もう大衆的善人
大衆的善人って拝まれても
裏を返せば 骨ん髄まで凡人
染まりきって踊ってんだ
命辛辛で
そう磐石な精神
来世はもう完全なアヤカシ成って
跳梁跋扈して 跳梁跋扈して
僕は変幻自在に生き延びたい
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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タイトルでもある「命辛辛」とは命を守るのが精いっぱいのさまのこと。
主人公がほかのことは気に留める余裕もなく、アーティストとして生きるために必死に行動している様子を表しているのでしょう。
周囲は主人公を「大衆的善人」と呼んで万人受けする人物と評価しているものの、その評価は「裏を返せば骨ん髄まで凡人」ということでもあります。
自分は「聖人君子成り損ねた夢の残骸」で社会に不要な「老廃物」なのだと自虐的にこぼしてもいます。
だから来世は絶対に「完全なアヤカシ」になると思い定めているようです。
「跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)」は色々な妖怪が夜中にうろつき回ることを意味し、転じて思うままにのさばることを指す四字熟語です。
つまり今経験している苦労とは無縁に思うまま自由に生きていく人生を来世に託そうとしています。
これは見方を変えれば今世の苦労は受け入れているとも取れるので、自分に能力はないと感じながらも諦めきれない創作への情熱が隠されている気がします。
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らんらんらん
歌えや そう我らはハックルベリー
ふと偉業を成したいと想う夜
グミ・チョコレート・パイン
勝負しよう 戯笑 偽証しよう
苦楽ごった煮の喜の感情表現
ピンクの象が見えるまで
Jitter,Butter,Step you
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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2番で出てくる「ハックルベリー」は、1番とは違いポジティブなイメージです。
このスラングの意味する範囲は19世紀頃からかなり広範になり、重要な人物や優れた人物のことを指すようにもなりました。
そのため、ここでは「偉業を成したい」と願い励む自分たちを誇り高い重要な存在と称える表現として用いていると思われます。
夢を追うことは「苦楽ごった煮」で複雑な感情が伴いますが、そこに確かに喜びがあるから続けていられるものです。
時には自分の感情さえ誤魔化しながら夢を追う様子が見えてくるでしょう。
「ピンクの象」というフレーズは、アルコールや麻薬によって起きる幻覚症状を表す英語の表現から取られています。
そして「Jitter,Butter,Step you」はそれぞれの単語で見るとまとまりのない言葉ですが、繋げると「ジタバタしよう」と聞こえてきます。
つまり幻覚が見えるくらいまで創作に夢中になって、アーティストとしてジタバタあがいていきたいという気持ちを示しているのではないでしょうか。
生涯創作をしていたい
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聖人君子 喰い残した
夢の残骸
御陀仏
自分に甘甘ね
もう軟弱な精神
今世はもう『安定』で誤魔化しちゃって
魑魅魍魎ごっこで 魑魅魍魎ごっこで
記憶残らず消える気かい?
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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自分は聖人君子が「喰い残した夢の残骸」で死んだも同然の無価値なもの。
だから自由に生きることは来世に期待して、今世は「安定」を選んで逃げようとする自分に、心の声が「自分に甘甘ね もう軟弱な精神」と語りかけてきます。
「魑魅魍魎」は人に害を与える化け物の総称ですが、「ごっこ」とついているので自分を危険人物のように見せているだけであることを見透かされているようです。
そして「記憶残らず消える気かい?」と、何も成し遂げられないただの凡人から抜け出せないまま消えていく人生でいいのかと問われています。
主人公はどんな答えを出すのでしょうか?
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命辛辛で
模範囚的迷人 大衆的迷人って笑われても
札を剥がせば 骨ん髄まで殭屍
そう成りきって踊ってんだ
命辛辛で
さあ反駁の精神
来世はもう完全なマヤカシ成って
跳梁跋扈して 跳梁跋扈して
僕は変幻自在に生き延びたい
一炊の夢で終わらせない
胡蝶の夢で終わらせたい
≪命辛辛 歌詞より抜粋≫
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MVで主人公として描かれている「殭屍(キョンシー)」という中国の死体妖怪は額に貼られた札を剥がすと道士の制御が効かなくなるため、札を剥がすことは自由を象徴する行為と言えるでしょう。
また「反駁」は反抗することを意味しています。
これらの点を踏まえると、模範囚のように自分の不出来を認めながらもその現実に抗って自分自身で覆ってしまった殻を破りたいと思っているということかもしれません。
最後に出てくる「一炊の夢」は唐王朝時代の伝奇小説『枕中記』から生まれた言葉で、飯が炊きあがるほどの短い間に見る夢のことを指し、転じて人生の栄華の儚さを表します。
一方「胡蝶の夢」とは中国のよく知られた説話で、荘子という人物が夢の中で蝶になって遊んでいたところ、夢から醒めた時に夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのか分からなくなったことから、人生の儚さを表すたとえとして用いられます。
それで最後の歌詞には、一瞬で終わる人気を求めているのではなく短い人生が終わるまでずっと創作を楽しんでいたいという想いが込められていると考察しました。
良い評価を得ることも大きな目標になりますが、主人公にとって本当に大切なのは自分のしたい創作ができること。
ただ好きなことを行い続けたいという純粋な気持ちが垣間見えます。
味わい深い創作の世界を一緒に楽しもう!
煮ル果実の『命辛辛』は、どんなに大変な日々でも夢を叶えるために自分の弱さや欠点と戦う人たちのたくましい姿が感じられる楽曲です。BAKUIにより制作されたMVも歌詞の内容とリンクしており、細部まで見どころの多い作品となっています。
ぜひFlowerがクールに歌う歌詞と心地よいサウンドと共にアニメーションも合わせてチェックして、のめり込まずにはいられない創作の世界を体感してみてください!