天才バンド・Sundayカミデのプロデュース楽曲
2023年2月14日、日本武道館にてライブツアー「クワイエットジャーニー」のフィナーレを飾った菅田将暉。
今回考察する『美しい生き物』は、そんな自身最大規模となったツアーファイナルで初披露された1曲です。
作詞作曲は、あいみょんの『青春と青春と青春』や『ふたりの世界』などのサウンドプロデュースで知られるSundayカミデが菅田将暉とともに手がけました。
ワンダフルボーイズや天才バンドのメンバーでもあるSundayカミデは、ボーカルやピアニスト、作家など、さまざまな顔を持つマルチアーティストです。
多才な2人が織りなす『美しい生き物』。
その歌詞は、果たしてどのような意味に解釈できるのでしょうか。
「君」が待ち望む夜
まず『美しい生き物』の歌詞では「僕」と「君」が登場します。
今回の考察では、「僕」をアーティスト自身、「君」をオーディエンスと仮定してみました。
私たち一人一人が「君」になり得るようなイメージです。
それらを踏まえ、1番の歌詞から見ていきましょう。
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そのまま 高らかに
くちびる いつも尖らせて
さようなら 星を巡り
くちびる いつも震わせて
いつも君のその身体は
何かを求めひとり彷徨う
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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一般に「くちびるを尖(とが)らせる」という表現は、不満そうな顔つきのたとえに使われます。
ただ「高らかに」とあるので、ここではネガティブなニュアンスではなさそうですね。
この点から「高らかに くちびる いつも尖らせて」は、ライブ演奏の後で「フォー!」や「フー!」と叫ぶオーディエンスの様子だと仮定できます。
そうすると次の「星を巡り」は、生活のアクセントとして定期的にライブ会場へ足を運ぶことだと解釈できそうです。
そんなオーディエンスが「くちびる」を「いつも震わせて」いるのは、目の前のパフォーマンスに感動して言葉を失っているからかもしれませんね。
とはいえ、たとえアーティストが「そのまま永遠にライブを楽しんでいてほしい」と願っても、いずれは「さようなら」と別れるときが来ます。
「ひとり彷徨(さまよ)う」孤独な「身体」は、非日常から現実に戻ったときの虚脱感を表しているのではないでしょうか。
そんな「身体」が求めている「何か」については、現実社会での目標だったり、満ち足りた感動体験だったり、いろいろなものが考えられそうです。
続いて、2番の歌詞を見てみましょう。
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いつまでも 君はゆく
くちびる ずっと震わせて
今も君のその姿は
夢を抱えひとり凍える
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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「君はゆく」からは「君(=オーディエンスの一人一人)」が、しっかり前を向いて人生を歩んでいく雰囲気が読み取れます。
一方、後半では「君」が「夢を抱えひとり凍える」と描写されているので、ここでの「くちびる ずっと震わせて」は不安に震えているようなイメージができそうです。
これらを総合すると、2番では「不安に震えながら目標に向かって歩んでいく一人一人の生き様」が表現されているのかもしれません。
また、1番、2番ともに、サビの直前では以下の歌詞が歌われています。
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夜を待って 夜を待って 夜を待って 今
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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どれだけ虚脱感が尾を引こうとも、時間は容赦なく過ぎ去っていくもの。
日々もがきながら、音楽を愛する「君」たちは特別な「夜」を待ちます。
「夜を待って」の繰り返しは、非日常のライブ空間を心待ちにする高揚感を表しているのではないでしょうか。
そして「今」、アーティストとオーディエンスが1つになるステージが幕を開けます。
ステージから見た「美しい生き物」
ここからは、サビの歌詞を中心に見ていきましょう。
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スターになって
スターになって
君はずっと僕を照らす
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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聴衆からするとアーティストこそ「スター」ですが、ここでは反対に「スター=聴き手」と解釈したいと思います。
そうすると「スターになって 君はずっと僕を照らす」からは、一人一人のきらきらした視線や表情が「僕(=アーティスト)」に注がれているライブ風景を想定できそうです。
さらにサビの後半に踏み込んでいくと、そのイメージがより湧きやすくなります。
1番と2番を合わせて見てみましょう。
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悲しみも
喜びも
ひとりきりで君は照らす
美しい生き物さ
君はずっと
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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激しさも
切なさも
ひとりきりで君は照らす
美しい生き物さ
君はずっと
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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「悲しみ」や「喜び」、「激しさ」や「切なさ」は、アーティストが歌で表現する感情や思いと捉えることができそうです。
そしてそれらを「ひとりきりで君は照らす」とあります。
ライブ会場には独特の一体感がありますが、聴き手の一人一人にとっては「憧れの人と自分が向かい合う空間」でもあるでしょう。
「ひとりきりで君は照らす」という歌詞からは、そんな個々の世界を「僕」が切実に受けとめているような空気感が読み取れます。
器が大きく、立派なアーティストに見える「僕」。
しかし、Cメロでは、そんな「僕」にも余裕のない過去があったことがほのめかされます。
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光出した街を
あの頃は
未来なんてなくて
君とただ走ってた
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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「光出した街」は、星の見えないネオン街のようなイメージでしょうか。
未来を考える余裕もなく、ひたすらに雑踏を奔走する。
「君とただ走ってた」というのは、「僕」も「君」と同じようにシャカリキになってもがいていたという意味かもしれません。
「僕」の過去が垣間見えたところで、最後のサビに入ります。
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スターになって
スターになって
君はずっと僕を照らす
悲しみも
喜びも
ひとりきりで君は照らす
美しい生き物さ
君はずっと
≪美しい生き物 歌詞より抜粋≫
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歌詞は1番と同様です。
ステージに立つ「僕」を照らす一人一人の「君」。
ここまであえて触れませんでしたが、そんなオーディエンスのことを「僕」は「美しい生き物さ」と歌っているようです。
「美しい」には、非日常の夜に見せる「スター」としての輝きや、やがて戻る現実にもがく泥臭さなど、聴衆一人一人の生き様が凝縮されているように感じられます。
そんな「君」が一堂に会し、おのおの特別な世界に浸るのがライブというもの。
ステージから見たオーディエンスは、たくさんの孤独によって形成されながらも全体として1つの「生き物」のように見えるのかもしれません。
「美しい生き物」とは、1つ1つの「スター」や人生の集合体として、アーティスト目線でオーディエンスを再定義した表現なのではないでしょうか。
岡山天音が手がけるジャケットアートワークも要チェック!
今回は、菅田将暉『美しい生き物』の歌詞の意味を考察しました。言葉数こそ少ないものの、その分さまざまな想像がかき立てられる歌詞でしたね。
ここで仮定した「アーティストとオーディエンス」以外にも、「僕」と「君」の関係性についてはまだまだ考察の余地がありそうです。
その1つの糸口として、俳優の岡山天音(おかやまあまね)が手がけたジャケットアートワークも何らかの参考になるかもしれません。
「我こそは絵を見る目がある!」という方は、ジャケットイラストの解釈を織り交ぜて歌詞を吟味するのも面白そうですね。