日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソング
『Flamingo』(SONY 完全ワイヤレスイヤホン「WF-SP900」CMソング)や『POP SONG』(PlayStation CMソング)など、多くの映像作品とコラボしてきた米津玄師。今回考察する『LADY』は、「毎日って、けっこうドラマだ。」をキャッチフレーズとする日本コカ・コーラ「ジョージア」のCMソングとして制作された楽曲です。
2023年4月5日には、『Lemon』のMVでも知られる映像作家・山田智和が監督したMVも公開されました。
MVでは、白線の上を子供のように踊り歩く空想がポップに描かれています。
また楽曲『LADY』について、米津玄師本人は「倦怠感からの脱却」という軸があったと語っています。
ぼんやり生きていても必死に生きていても、誰もが一度は体感するであろう平坦な日常。
そこからの脱却を歌う『LADY』の歌詞には、果たしてどのようなドラマが見出せるのでしょうか。
愛することと冷めること
まずは1番の歌詞から見ていきましょう。
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例えば僕ら二人 煌めく映画のように
出会いなおせたらどうしたい
何も謎めいてない 今日は昨日の続き
日々は続くただぼんやり
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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『LADY』では、恋愛ソングの枠組みで倦怠感が表現されているようです。
付き合ってから多くの時間が過ぎたのか、はたまた結婚して長いのか。
「煌(きら)めく映画のように出会いなおせたら」と考えるほど、主人公はパートナーとの生活を「ただぼんやり」とした代わり映えのないものに感じているようですね。
次の歌詞を見てみましょう。
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微かな足音 シーツの置く場所
それだけで全てわかってしまうよ
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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「微かな足音 シーツの置く場所」と、生活感の漂うフレーズが並んでいます。
まず「微かな足音」については、パートナーが帰ってきたことがわかる「外からの足音」だと仮定してみましょう。
そして「シーツ“を”置く場所」でも「シーツの置“き”場所」でもない点にこだわってみると、「シーツの置く場所」は「シーツの上の枕を置く場所」と想像を広げられそうです。
続く「それだけで全てわかってしまうよ」には、本当はわかりたくないことがわかってしまったというニュアンスがくみ取れます。
総合するとこれらの歌詞は、「パートナーが遅くに帰ってきたり、シーツの上の枕の距離が離れていたり」といった状況、すなわち冷めた関係を表していると解釈できそうです。
そして次の歌詞にも、この冷めた感覚が読み取れる部分があります。
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見え透いた嘘も隠した本当も
その全て愛おしかった
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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相手が嘘をついていると直感したり、あえて本音を言わないようにしたり、夫婦関係や恋人関係には独特のコミュニケーションが存在することでしょう。
それら全てが「愛おしかった」と過去形で語る主人公には、昔はよかったけど今は…という不本意な様相が読み取れます。
かつては新鮮だったやり取りがマンネリ化し、冷めた関係のなかで倦怠感にとらわれている。
そんな主人公の平坦な日常が目に浮かぶようですね。
次に、2番の歌詞を見ていきましょう。
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例えばどっちか一人 ひどい不幸が襲い
二度と会えなくなったら
考えた矢先に 泣けてしまうくらい
日々は続く一層確かに
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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主人公は、どちらか一方が不慮の死に見舞われることを想像しているようです。
もしかするとパートナーと別れることを考えているのかもしれません。
ただ、そう考えてすぐ「泣けてしまう」ことから察するに、冷めた感覚や倦怠感こそあれ、主人公は相手のことを大切に想っているのでしょう。
次の「日々は続く一層確かに」というフレーズは、1番の「日々は続くただぼんやり」と好対照をなします。
最悪のシナリオを想像したことで、パートナーへの愛が強くなったかのようです。
次の歌詞に入ります。
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いつもの暗い顔 チープな戯言
見過ごすようにまた優しいんだろう
見え透いた嘘も隠した本当も
その目から伝わってきた
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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主人公のパートナーは、「いつもの暗い顔 チープな戯言(ざれごと)」をそっとしておく優しさを持った人みたいですね。
ただ「また優しいんだろう」という言い方から、暗い一面もふざけた一面も気にしない「優しさ」それ自体に主人公が飽き始めていることも推察できます。
昔は愛おしかった「見え透いた嘘」や「隠した本当」が「その目から伝わってきた」という描写は、わかり合いすぎて関係が淡白になったことを表しているのかもしれません。
倦怠感から抜け出して
続いて、Cメロとサビの歌詞を考察します。
まずはCメロです。
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引っ張ったり噛み付いたり 傷ついたふりしてみたり
明日の朝に持ち越したり 浮ついたりして
思いきり傷つきたい いつまでもそばにいたい
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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全体を通して「アップダウン」と「平坦な日常」の交錯がうかがえます。
「引っ張ったり噛み付いたり」と「浮ついたり」、そして「思いきり傷つきたい」の3点は刺激的で非日常な「アップダウン」といえそうです。
喧嘩や口論をすること、妙にテンションが上がること、心底つらい思いをすることは日常生活に多いとはいえません。
一方「傷ついたふりしてみたり」や「明日の朝に持ち越したり」、そして「いつまでもそばにいたい」は、主人公の「平坦な日常」だといえます。
主人公はいつも「暗い顔」をしており、だらだらと「日々が続く」感覚を持ち、それでいてパートナーのことはどうしようもなく好きだと考えられるからです。
これらの「アップダウン」と「平坦な日常」の対比は、倦怠感からの脱却を望む主人公のもやもやした葛藤を表しているのではないでしょうか。
そしてその最後に添えられるのは次のひと言です。
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今すぐ行方をくらまそう
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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考え疲れたのか、主人公は「誰にも知られない場所でリセットしたい」と思い立った様子。
日常を一気に飛び越えるような思いつきを経て、サビの歌詞に入ります。
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レディー 何も言わないで
ハニー 僕の手を取ってくれ
君以外に 考えられないだけ
ベイビー あの頃みたいに恋がしたい
書き散らしていく 踊り続ける
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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前半部分は、主人公が「一緒に行方をくらまそう」とパートナーの手を引こうとしているようなイメージでしょうか。
ストレートな「君以外に考えられない」には、主人公の想いの強さが感じられますね。
続く「あの頃みたいに恋がしたい」からは、付き合う前や付き合いたての新鮮さを懐かしみ、それを欲していることがうかがえます。
そしてその次にある「書き散らす」は、とりとめもなく気ままに書くという意味の言葉です。
頭に「あの頃みたいな恋」を思い描き、主人公は空想にふけっているのかもしれません。
最後に、1番のサビでもあるラスサビの歌詞を見てみましょう。
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レディー 笑わないで聞いて
ハニー 見つめ合っていたくて
君と二人 行ったり来たりしたいだけ
ベイビー 子供みたいに恋がしたい
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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「レディー(大人の女性)」→「ハニー(愛しい恋人)」と「君」→「ベイビー(可愛い女の子)」と呼び名が幼くなっていくのは、主人公の「あの頃への戻りたさ」の表れのようですね。
冷静な前置きである「笑わないで聞いて」という言葉は、「レディー」に合わせた大人な対応だといえそうです。
また「見つめ合っていたい」や「行ったり来たりしたい」は、恋人として一緒にいたい欲求だと解釈できます。
特に「子供みたいに恋がしたい」という願望は、倦怠感とは無縁の「世界の全てを新鮮に感じられるような恋」を望んでいるかのようです。
そして最後の一行は、次のワンフレーズ。
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書き散らしていく僕らのストーリーライン
≪LADY 歌詞より抜粋≫
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伸び伸びと入り組んだ線のようなイメージでしょうか。
おそらく主人公が望む未来は、起承転結の枠にとらわれない自由で刺激的な生活なのでしょう。
ただ、一貫して「ストーリーライン」の「ライン」は下げ調子で歌われ、すぐさまイントロと同様のピアノの反復に戻ります。
これを踏まえると、「倦怠感からの脱却」を自由に思い描く行為そのものが「倦怠感からの脱却」だったともいえそうですね。
メロディーや韻にも注目!
今回は、米津玄師『LADY』の歌詞の意味を考察しました。平坦な日常と、そこから抜け出そうともがく主人公の葛藤が印象的な歌詞でしたね。
もやもやと倦怠感を抱えている人やルーティンワークに疲れた人にとっては、どこか心を浄化してくれるような1曲だったかもしれません。
なお『LADY』には、歌詞の意味だけでなくメロディーや韻にも倦怠感を感じさせる工夫があるようです。
ぜひ楽曲を何度も聴いて、1つの音楽で表現された倦怠感も楽しんでみてください。