詩人・北原白秋が作詞した童謡
「雨」をテーマに、日本人の心に残り続けている童謡『あめふり』。
『あめふり』は1925年(大正14年)、絵雑誌『コドモノクニ』11月号で発表されました。
作詞を手がけたのは詩人の北原白秋、作曲者は『シャボン玉』や『てるてる坊主』などで知られる中山晋平です。
「ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン」と軽快でかわいらしい歌詞を口ずさんだことがある人は多いのではないでしょうか?
一方「じゃのめ」「かねがなる」「あのこ」など、少し謎めいた歌詞も特徴的です。
今回は、そんな『あめふり』の歌詞の意味をじっくり考えていきましょう。
「蛇の目傘」で迎えに来た母
まずは1番の歌詞です。
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あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
≪あめふり 歌詞より抜粋≫
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大人になると「あめあめ ふれふれ」と願うことは少ないですよね。
しかし『あめふり』の主人公は、お母さんが「じゃのめでおむかえ」に来てくれることを喜び、無邪気に雨を歓迎しています。
「じゃのめ」は、漢字で書くと「蛇の目」。
これは「蛇の目傘」という女性向けの傘のことで、開くとヘビの目のような丸い模様がぐるりと一周しているのが特徴です。
幼い主人公は母の「蛇の目傘」をいち早く遠目で捉えて「あ、お母さんだ」とワクワクしているのかもしれません。
続いて、2番の歌詞を見ていきましょう。
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かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
≪あめふり 歌詞より抜粋≫
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お迎えが来たと分かり、主人公は「かばん」を肩にかけた様子。
肩にかけるということは、おそらく主人公は幼稚園児なのでしょう。
準備をしっかり整え、迎えに来た母親の後についていったようですね。
なお、最後の「かねがなる(鐘が鳴る)」は幼稚園のベルが鳴っている描写だと考えられます。
作詞者の北原白秋は、神奈川県小田原市にある花園幼稚園にて『あめふり』の一部の着想を得たようです。
この幼稚園には大きなベルがあり、実際に白秋の長男(隆太郎)は花園幼稚園を卒園しました。
もしかしたら『あめふり』の歌詞は、白秋の妻と子が「ランランラン」と楽しく家に帰る様を想像して作られたのかもしれませんね。
「柳の根元」で泣く子ども
続いて、3番の歌詞です。
ここから「あのこ」なる別の子どもが登場します。
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あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
≪あめふり 歌詞より抜粋≫
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「あらあら」は女性的な言葉なので、ずぶぬれの「あのこ」に気づいたのは母親であると解釈できそうです。
そしてその子どもは「やなぎの ねかたで ないている」とのこと。
「ねかた(根方)」の意味は、根元。
また「やなぎ(柳)」は一般に「シダレヤナギ(枝垂れ柳)」を指すことが多いです。
「シダレヤナギ」は英語で「weeping willow(泣いている柳)」と表され、花言葉には「わが胸の悲しみ」や「愛の悲しみ」などがあります。
「あのこ」が柳の根元で泣いているのは、ひとり寂しい雨宿りのなか、お母さんが恋しくなったからかもしれません。
続いて、4番の歌詞に入ります。
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かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
≪あめふり 歌詞より抜粋≫
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主人公「ぼく」は母親の許可を取り、泣いている子どもに傘を貸すことにしたようです。
「あげましょか」ではなく「かしましょか」なのは、相手が同じ幼稚園の制服を着ていたからかもしれませんね。
次の「きみきみ このかさ さしたまえ」という話し言葉は、幼稚園児としてはかなり大人びているように聴こえます。
主人公が白秋の(未来の)息子だとすると、この言葉は父親の口調を真似したものだと考えられそうです。
友人に対して「きみ」や「〜したまえ」と言うのは、明治期の書生言葉(学生の仲間内で使う若者言葉)に通じるものがあります。
白秋は明治37年から早稲田大学に在籍していました。
当時の話し方の名残が息子にうつったと考えると、大きな違和感はなさそうです。
最後に、5番の歌詞を見てみましょう。
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ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
≪あめふり 歌詞より抜粋≫
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「かあさんの おおきなじゃのめに はいってく」と言い、自分は大丈夫だと伝える「ぼく」。
親切心だけでなく、大好きなお母さんと同じ傘に入れることへの嬉しさもうかがえますね。
そして主人公は相変わらず「ランランラン」と上機嫌なまま去っていった様子。
「あのこ」の悲しみが癒えたのかどうかは、私たちそれぞれが想像するしかなさそうです。
「あのこ」は白秋自身の投影?
今回は、童謡『あめふり』の歌詞の意味を考察しました。想像を広げるヒントが言葉の端々に見られる、やさしくも趣深い歌詞でしたね。
柳の根元で泣いていた「あのこ」も、ミステリアスで興味深かったのではないでしょうか。
ちなみに作者・北原白秋が生まれ育ったのは福岡県柳川市。
「枝垂れ柳」が並ぶ川でも有名な、白秋の原風景ともいえる水の都です。
これを踏まえると、曲中の「あのこ」は白秋自身を投影した人物だったのではとも思えてきます。
謎めいた「あのこ」とは何者なのか、ぜひみなさんも想像を膨らませてみてください。