大正初期に生まれた春の歌を解説!
『早春賦(そうしゅんふ)』は大正2年に発表された童謡で、日本を代表する春の名曲として現在でも教科書に掲載され、長年子供から大人まで幅広く親しまれてきました。
この楽曲は、東京音楽学校の教授で『尋常小学唱歌』の作詞委員会代表だった吉丸一昌が自作の75編の詞に新進作曲家による曲をつけ、全10集からなる『新作唱歌』で発表した中の一作です。
作曲を担当したのは中田章で、『めだかの学校』や『ちいさい秋みつけた』などを作曲した中田喜直の父です。
そもそも『早春賦』というタイトルはどのような意味があるのでしょうか?
「早春」は文字通り春の初め頃のことで、「賦」は漢詩を歌ったり作ったりすることを意味します。
つまり春の初め頃に作られた歌であることを表したタイトルなのです。
この曲の舞台と言われているのは長野県安曇野。
吉丸一昌が校歌の作詞依頼を受けて安曇野を訪れた際、雪解けの風景やその土地の人々の様子に感銘を受けて作詞したとされています。
大正初期に制作された歌詞は現代人にとっては理解しにくい言葉もあるため、現代語訳を確認しながら意味を考察していきましょう。
春とは名ばかりの立春の寒さ
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春は名のみの風の寒さや
谷の 鴬 歌は思えど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず
≪早春賦 歌詞より抜粋≫
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「春は名のみの風の寒さや」は「春とは名ばかりなほど風が寒い」という意味です。
この「春」は2月4日頃に迎える立春が過ぎて暦の上で春になった頃のことを表します。
2月になったばかりだと暖かい地域でやっと梅が咲き始める時期で、まだ寒さが厳しいですよね。
風の冷たさに震えながら、いつになったら春らしい暖かさになるかと考えている様子が想像できます。
次の「谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 時にあらずと声も立てず」は「谷の鶯は歌うかとおもったが、今はその時ではないと声を立てなかった」と訳せます。
鶯は春を告げる鳥と言われ、気温が暖かくなってくると“ホーホケキョ”と美しい声で鳴き始めます。
暦の上ではもう春なので、主人公は鶯が鳴くのを期待しますが何の音も聞こえません。
主人公の残念な気持ちが伝わってきますね。
もうすぐ訪れる春に気が逸る
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氷解け去り葦は角ぐむ
さては時ぞと思うあやにく
今日もきのうも雪の空
今日もきのうも雪の空
≪早春賦 歌詞より抜粋≫
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「氷解け去り葦は角ぐむ」は「氷が解けてなくなると葦の芽が出始める」という意味になります。
葦は川辺に生えるススキに似たイネ科の植物です。
春に芽吹くその芽は牙や角のように尖っていることから“葦牙(あしかび)”や“葦の角(あしのつの)”と呼ばれて、春の季語として親しまれています。
雪解けから芽吹きという移り変わりを見れば、春の訪れが実感できるはずです。
続く「さては時ぞと思うあやにく今日もきのうも雪の空」は「そろそろ春が来たかと思ったがあいにく今日も昨日も雪の空だ」という意味です。
早く春の訪れを実感したいのにまだ雪の日が続いていて、主人公はがっかりしているようです。
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春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる胸の思いを
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か
≪早春賦 歌詞より抜粋≫
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「春と聞かねば知らでありしを」は「春だと聞かなければ気づかなかったのに」と不満を漏らしている歌詞です。
「聞けば急かるる胸の思いをいかにせよとのこの頃か」は「聞いてしまったために気が逸る
今頃の時期のこの気持ちをどうしたらいいのか」という意味です。
もう春だと聞いたために、まだ寒くて春のように感じられなくても春を待ちわびてそわそわする気持ちが高まってしまうことを示しています。
誰でも春が来たと聞くと、この主人公と同じように待ち遠しく思うのではないでしょうか?
『早春賦』はそんな春への期待が込められた楽曲です。
春への期待が高まる名曲!
春は厳しい寒さから解放された芽吹きと出会いの季節なので、一年で一番ワクワクする時期と言えるでしょう。春の歌は数多くありますが、なかでも『早春賦』は古くから日本人の春を楽しみに待つ心に寄り添ってきました。
立春を迎えたら『早春賦』を歌って春への期待を高めたいですね。