てにをは書き下ろし曲はカフカの「変身」がモチーフ!
人気リズムゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ!feat.初音ミク」にて“ニーゴ”の愛称で親しまれているゲーム内ユニット「25時、ナイトコードで。」のオリジナル楽曲として、てにをはが書き下ろした『ザムザ』。タイトルの「ザムザ」は、フランツ・カフカの代表作『変身』の主人公グレゴール・ザムザの名前から取られています。
『変身』は、ある朝目覚めると一匹の巨大な害虫の姿になっていたグレゴール・ザムザが徐々に家族に疎まれていく悲痛な日常を描いた作品です。
この作品では特に主人公と父親との確執が目立っており、作者のカフカ自身も父親に対して根強い恐怖心を抱いていたそうです。
そんなカフカの『変身』にまつわるタイトルを冠した『ザムザ』は、母親との関係に苦しむ朝比奈まふゆの複雑な想いが綴られた楽曲と見ることができます。
どんな内容なのか、両方のストーリーに触れながら歌詞の意味を考察していきましょう。
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使い古した自分の名前にあえてキッチュなルビを振って
高潔を打ち負かせるくらいに恐ろしくなる 骨の髄まで
今はどんなふうに見えてますか? 醜いですか? それはそっか
どうか林檎を投げつけないで 胸にLock up Lock up ザムザ
『ズキズキズキ』
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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「使い古した自分の名前」は生まれ持っている自分の名前のことだと思われます。
まふゆの視点で見ると、これはただの名前ではなく、良い子としての自分のことを表しているように思えます。
「キッチュ」には「芸術まがいな」という意味があるため、自身の名前に“雪”というルビをつけて音楽活動をしていることを示しているのかもしれません。
続く「高潔」が指すものは、母親の理想に合わせて作った良い子の自分のことと解釈できそうです。
そう考えると、ニーゴでの活動のことを母親に知られ、良い子の仮面が剥がれてしまうほどに大きな恐怖を感じたことを綴っているのではないでしょうか。
そしてこんな自分のことが「今はどんなふうに見えてますか?醜いですか?」と母親に問いかけています。
こうして顔色を窺いながらも、「それはそっか」と言って自分の意思が認められることを諦めている様子が示されています。
次に出てくる「林檎」といえば『変身』の作中で父親がグレゴールに林檎を投げつけるシーンが思い起こされますが、まふゆ視点では母親との思い出の品でもあるため、この「林檎」は愛情の象徴と定義できそうです。
林檎を投げつけるかのように、歪んだ愛情を向けないでほしいという切実な想いを感じます。
「Lockup」は「閉じ込める」という意味なので、その本音を言えずに胸に閉じ込めて「ズキズキズキ」と心の痛みを訴えていることが伝わってきます。
誰だって魂辛辛生きている
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「鏡をご覧」誰かが囁く うまくいったら儲けものさ
甘い言葉も笑顔も通じない 走り出したらもう獣だ
月の真下をうろつきながら考えてた 夜すがら
悪夢にどの指立ててやるべきかってね
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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「鏡をご覧」という囁きは、現実から目を逸らさずに自分自身と向き合うよう促されたことを示すものでしょう。
その言葉に動かされて真剣に自分の想いを見つめ直した時、少し挑発的な自分に気づかされます。
まふゆの母が語るのは「うまくいったら儲けもの」の理想論で、「甘い言葉も笑顔も通じない」ためまふゆの本心は伝わりません。
時おり「獣」のように暴走して自分の意見に食らいついてくることから、この抑圧された日常を「悪夢」と呼んで苦しさを表現しています。
ハンドサインはどの指を立てるかによって意味が変わるため、「どの指立ててやるべきか」という歌詞からどんなことを言ってやろうかと思案していることが理解できます。
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誰だって魂辛辛
ズキズキズキ
痛みと怒れる人を喰らったったらった
だのに何故だろう今も
ズキズキズキって
派手な尻尾を引き摺りゆく
ザザザザ ザムザ
「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーいえー
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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サビの「誰だって魂辛辛」は誰もが魂をすり減らしながらやっとの思いで生きていることを示していると解釈できますね。
ニーゴのほかのメンバーたちもそれぞれ悩みを抱えながら頑張っていることが表現されている気がします。
「痛みと怒れる人(ラングラー)を喰らったったらった」というフレーズは、音楽を続けたい気持ちを母親にぶつけたことを意味しているのかもしれません。
しかし自分の想いを主張できたにも関わらず、あとになってとても悪いことをしてしまったかのように心が痛みます。
続く「「現実はもういい」なんて云うなよザムザ」のフレーズは、『変身』でザムザ一家がグレゴールの最期について話そうとする手伝い女の話に聞く耳を持たなかったことから取られていると考察できるでしょう。
まふゆ母と対面した奏が、2人の間で戸惑っている様子が想像できます。
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「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」と伝えて
否定形の笑顔でも欲しくてニンゲン様なりきってる亡霊
自分の弱音に相槌ばかりだった
当然あなたとまともにケンカもできなかった
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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「ごめんね。ちっとも上手に生きてあげられなくて」という言葉は、母親の期待に応えられないことを謝るまふゆの暗い気持ちが読み取れます。
自分の想いと反するとしても笑顔を向けられるならそれでいいと思って良い子を演じていたものの、自分が「ニンゲン様なりきってる亡霊」のように思えてきたようです。
「自分の弱音に相槌ばかり」で変わろうとしなかったために、もはやどうやって反抗していいのかが分かりません。
良い子でいたい気持ちや母親を悲しませたくない気持ちが先立って、本音をぶつけ合うこともできずにいた親子関係への寂しさが感じ取れます。
光は1時の方角にある
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冗談じゃない 夢を食べないで
ズキズキズキ
小洒落た絶望を歌ったったらった
どうしようもない成れの果てでも
ズキズキズキって
いつか愛しい歌になるさ
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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まふゆの「夢」は看護師になりたいことや音楽活動を続けたいことだと思われます。
自分の夢を蔑ろにされたくないというはっきりとした想いが表現されていますね。
自分の人生は周囲には小洒落て見えても、本人からすれば「絶望」する苦しさです。
その想いをぶつけて作った歌が「どうしようもない成れの果て」のような出来であっても、時間が経てば「愛しい歌」としてそれらの思い出も受け入れられる時が来るはずだと言っているように感じます。
まふゆがそう思えるようにしてあげたいという奏の優しさも込められているのかもしれませんね。
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ねえ123で飛んで ザザザザ ザムザ
一切合切蹴っ飛ばして ザザザザ ザムザ
あとがきで触れられもしない日々
ここで逃げ出したら 本当にそうなりそうだ
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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ここでは「一切合切蹴っ飛ばして」自分の本当の想いを遂げるために行動しようという決意や励ましの気持ちが歌われているようです。
「あとがき」には本編では語られなかったエピソードが含まれることがあります。
しかしそのあとがきですら「触れられもしない日々」の中にも登場人物たちは生きていて、様々な苦悩と戦っています。
もし途中で逃げ出したらまるでその日々が本当にないものになってしまいそうだと考え、諦めずに立ち向かおうとする意欲が感じられるでしょう。
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林檎をかじるようにザザ ザムザ
どうしようもない成れの果てでもここにいる
シャガの花に毒されても
光は1時の方角にある
今は尻尾を引き摺りゆけ
ザザザザ ザムザ
だから「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーけー?
≪ザムザ 歌詞より抜粋≫
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たとえ林檎を投げつけられようと、むしろその林檎に食らいついてやるという反骨精神が表現されています。
弱い自分が「どうしようもない成れの果て」だとしても、逃げずに「ここにいる」ならまだ変われるはずです。
「シャガの花」の花言葉は「反抗・友人が多い」。
毒されて親に反抗できず表面上で友人が多いだけの人間になっているとしても、希望はあります。
「光は1時の方角にある」というフレーズから、ニーゴがまふゆを救う希望の光になるというメッセージが読み取れます。
今は重たい尻尾を引き摺るように這いつくばって苦しみに耐える必要がありますが、必ず道は拓けるでしょう。
最後の「だから「現実はもういい」なんて言うなよ」という言葉は、まふゆに諦めてほしくないメンバーが彼女を力づけようとしている言葉と考察できます。
それぞれ悩みを抱えているからこそ痛みを分かち合えるニーゴの魅力が感じられます。
歌詞を深掘りしてもっとストーリーを楽しもう!
『ザムザ』は朝比奈まふゆの内に秘めた感情と彼女を支えるニーゴのメンバーの想いがありありと表現された楽曲でした。難解なフレーズは見方を変えれば幾通りにも解釈できるような内容となっています。
ぜひモチーフであるカフカの『変身』やゲームのストーリーと合わせて、『ザムザ』の世界をじっくり味わってくださいね。