「旅愁」はアメリカの曲だった!
日本で古くから愛される唱歌の中には、意外にも外国から渡ってきて日本語訳され親しまれるようになった楽曲があります。
実は日本歌百選にも選出された『旅愁』も元々は外国の楽曲であることをご存じでしょうか?
『旅愁』は19世紀のアメリカの音楽家であるジョン・ポンド・オードウェイが作曲した『Dreaming of Home and Mother(家と母を夢見て)』を原曲として日本語訳した唱歌です。
翻訳を担当したのは詩人で作詞家の犬童球渓です。
本名・犬童信蔵は東京音楽学校を卒業後、期待に胸を膨らませて赴任した兵庫県の柏原中学校で生徒たちによる西洋音楽排斥運動を経験し、1年足らずでその地を後にすることに。
『旅愁』の訳詞を行ったのは、新たに赴任した新潟高等女子校で教鞭を振るっていた頃のことです。
おそらくそこでの心穏やかな日々の中で、柏原中学校で味わった挫折感を思い出として受け止められるようになったのでしょう。
その時の気持ちと故郷の熊本県人吉への郷愁の想いを乗せて訳詞した『旅愁』が明治40年発表の『中等教育唱歌集』をはじめ音楽の教科書にも採用され、秋の名曲として広く親しまれるようになりました。
故郷に対する想いがどのように綴られているのか、歌詞の意味を考察しましょう。
秋の空を見つめながら想う故郷と両親
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更け行く秋の夜、 旅の空の、
わびしき想いに、ひとりなやむ。
≪旅愁 歌詞より抜粋≫
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タイトルの『旅愁』とは旅先で感じる憂いの気持ちのこと。
ある秋の日、主人公は故郷から遠く離れた旅先で、空が更けていくのを見つめています。
「わびしき思い」は寂しさや心細さ、やるせない感情を表しています。
人をどこか物悲しい気持ちにさせる秋の空が暗く更けていく様子に、自分の憂鬱な気持を重ねて悩んでいる姿が見えてきますね。
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恋しやふるさと、なつかし父母、
夢路にたどるは、故郷の家路。
≪旅愁 歌詞より抜粋≫
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「恋しやふるさと、なつかし父母」とあることから、主人公は長く故郷から離れていて両親ともしばらく会えていないことが分かります。
懐かしい「故郷の家路」を歩くのは今や夢の中でだけ。
故郷の景色と両親の姿を思い浮かべながら、物思いに耽ります。
夢に破れてから気づく故郷での幸せ
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窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
はるけき彼方に、心迷う。
≪旅愁 歌詞より抜粋≫
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嵐の強い風が窓を打ち叩く音が響く室内。
主人公は荒れた窓の外の風景を見て、夢に破れた自身の境遇と胸中を重ねているようです。
「はるけき(遥けき)」とは空間的・時間的・心理的に遠く離れていることを意味する古語です。
挫折を経験し、夢を叶えるまでの道のりがあまりに遠いことを感じているのでしょう。
故郷から離れている心細さもあり、何もかもから遠く見放されたような気持ちにもなっているのかもしれません。
このままでいいのだろうかという迷いが生まれています。
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恋しやふるさと、懐かし父母、
思いに浮かぶは、杜の木ずえ。
≪旅愁 歌詞より抜粋≫
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「杜」は木がたくさん生え茂っている所のことで、特に屋敷や敷地の周囲に設置された人工林を指して使われることが多い言葉です。
この歌詞では両親のことを思い浮かべているため、おそらく実家の周囲に植えられた木々のことを表現しているのでしょう。
また「木ずえ」は木の幹や枝の先のことを表します。
このことから「杜の木ずえ」は風に揺れて木々が枝先をぶつけ合う風景を表現していると解釈しました。
独りきりで嵐の様子を眺めているうちに、主人公はかつて実家で両親とともに見聞きした光景や音を思い返していると思われます。
何気ない日常の中にあった小さな幸せを回想しながら、自分の人生を見つめ直す様子が想像できます。
国をまたいで愛される名曲が心に響く
犬童球渓が訳した『旅愁』の歌詞には、挫折を経験した時のどうにもならない苦しさと故郷や両親を恋しく思う純粋な気持ちが短い言葉で綴られていました。実はこの曲は北京では『送別』のタイトルで広く知られており、北京五輪の閉会式でも流されるほど国民的な楽曲として大切にされています。
世界のどこにいても家族や友人を大切に思う気持ちは変わらないことを教えてくれる明治時代の名曲です。