あだち充・原作のアニメ「みゆき」ED主題歌
1976年結成、中沢堅司と赤塩正樹で構成されるポップデュオ・H2O。『10%の雨予報』や『Good-byeシーズン』など、あだち充・原作のTVアニメ『みゆき』の主題歌でも有名なアーティストです。
今回考察するのは、1983年にリリースされたH2Oの代表曲『想い出がいっぱい』。
アニメ『みゆき』最初期のエンディングテーマで、現在ソロ活動をしているなかざわけんじによるセルフカバーも発表されています。
同曲は合唱曲として音楽の教科書にも掲載されており、時代を超えて愛され続けている名曲中の名曲。
「大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ」という歌詞は、世代に関係なくメロディーとともに口ずさめる人も多いのではないでしょうか。
青春を彩る卒業シーズンにもよく合う『想い出がいっぱい』。
その歌詞の意味を、ここではじっくり考察していきましょう。
「大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ」
まずは1番の歌詞から見ていきます。
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古いアルバムの中に
隠れて想い出がいっぱい
無邪気な笑顔の下の
日付けは遥かなメモリー
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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「古いアルバムの中に隠れて想い出がいっぱい」。
普段は思い出すことのないような記憶をよみがえらせてくれる写真の数々。
「笑顔の下の日付」という歌詞からは、フィルムカメラで撮ったからこそのレトロな雰囲気が伝わってきますね。
無邪気な笑顔に満ちたそれらの写真を見て、主人公は「遥かなメモリー」に思いを馳せます。
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時は無限のつながりで
終わりを思いもしないね
手に届く宇宙は
限りなく澄んで
君を包んでいた
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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写真に切り取られた遠い日の思い出。
その一瞬一瞬から今、そして未来へと「無限のつながり」を経て時は刻まれていきます。
限りなく澄んで見えた「手に届く宇宙」とは、何者にでもなれるという当時の無限の可能性のことでしょうか。
写真の中の「君」は、友達や恋人などではなく過去の自分自身なのかもしれませんね。
続くサビの歌詞も見てみましょう。
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大人の階段昇る
君はまだシンデレラさ
幸福は誰かがきっと
運んでくれると
信じてるね
少女だったといつの日か
想う時がくるのさ
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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「君はまだシンデレラさ」というフレーズには、ファンタジーを夢見ることができた「君(=かつての自分)」を懐かしむようなニュアンスが感じられます。
裏を返せば、大人になった今の自分からすると「幸福(しあわせ)」を運んでくれる王子さまを待ち続けるのは幼い行為なのかもしれません。
いずれ「私もうぶな少女だった」と思い返す時がくる。
そう言い切れるのは、今まさに少女だった過去へと記憶を巡らせているからだとも考えられますね。
少女だった「君」と大人になった自分
続いて、2番以降の歌詞を見ていきましょう。
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キラリ木洩れ陽のような
眩しい想い出がいっぱい
一人だけ横向く
記念写真だね
恋を夢見る頃
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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アルバムの中でキラリと輝く、温かく眩しい「木洩(こも)れ日」のような想い出。
「一人だけ横向く記念写真」は、多感な思春期に撮影した家族写真でしょうか。
続く「恋を夢見る頃」は、それこそ思春期や反抗期のような子供から大人への過渡期にも重なってくる表現です。
つんとした態度をとりながらも純情が残る頃合い。
そんな絶妙な時期にいる過去の自分には、幼くもどこか憎めない愛おしさがありますね。
さらに続くサビの歌詞も見てみましょう。
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硝子の階段降りる
硝子の靴シンデレラさ
踊り場で足を止めて
時計の音気にしている
少女だったと懐かしく
振り向く日があるのさ
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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「硝子(ガラス)の靴」を履きながら「硝子の階段」を降りるシンデレラ。
時計の音を気にしているのは魔法がとけることを心配しているからだと解釈できそうです。
幻想と現実のはざまに揺れるのは、子供から大人への心情の移ろいに通じるものがありますね。
アルバムのページをめくるたびに大人になっていく自分。
最後のサビでも、そんな自分の成長を見守るような温かみがうかがえます。
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大人の階段昇る
君はまだシンデレラさ
幸福は誰かがきっと
運んでくれると
信じてるね
少女だったといつの日か
想う時がくるのさ
少女だったと懐かしく
振り向く日があるのさ
≪想い出がいっぱい 歌詞より抜粋≫
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シンデレラストーリーを信じていた頃、魔法がとけそうで焦っていた頃、それらを懐かしく思い出せる今。
「少女だったといつの日か想う時がくるのさ」から「少女だったと懐かしく振り向く日があるのさ」への変化には、現在の自分と「少女(=過去の自分)」との距離感の違いも読み取れます。
前者は過去と現在の距離が遠いですが、後者は今の自分(過去を懐かしく振り返っている自分)と重なる部分が大きい描写です。
無限の可能性の中から選んだ1つ1つの道の先に、今の自分がある。
「想い出がいっぱい」のグラデーションを経て、人はみな大人になっていくのですね。
今しか作れない「想い出」を
今回は、H2O『想い出がいっぱい』の歌詞の意味を考察しました。大人の階段を昇る絶妙な頃合いが繊細に描写された歌詞でしたね。
学生たちにとっては未来の自分からのメッセージのように、大人たちにとっては過去を旅するタイムマシンのように感じられる楽曲だったのではないでしょうか。
誰が聴いても思うところがある普遍性の高さも、名曲『想い出がいっぱい』の1つの魅力だといえそうですね。
いつか訪れる回想の時まで、今しか作れない「想い出」を積み重ねていく。
それこそが自分自身で「幸福(しあわせ)」をつかむ第一歩なのかもしれません。