『里の秋』になるまで
作詞者・斎藤信夫が1941年ごろに『星月夜』と名づけた歌を書いたそうです。
当時国民学校で教師をしていた斎藤はこの『星月夜』に曲をつけてもらうために作曲の海沼實に投稿したものの、曲をつけてもらうことはなかったと言います。
しかし終戦後、海沼は放送局から作曲を依頼され、それに見合った歌詞を探したところ斎藤の『星月夜』が目に留まったそうです。
今度は海沼から斎藤に連絡を取り、戦争を促した内容になっていた3番以降を直して出来上がったものに改めてタイトルをつけたものがこの『里の秋』といわれています。
出来上がるまでもひとつのドラマのようですね。
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しずかなしずかな 里の秋
おせどに木の実の 落ちる夜は
ああ かあさんと ただ二人
栗の実にてます いろりばた
≪里の秋 歌詞より抜粋≫
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1番の歌詞では故郷の里の秋を母と静かに過ごす様子が伺えます。
ですが静かな里の向こうでは戦争が始まっている。
そして歌詞の様子からすると父はいないようです。
母と自分二人の様子を栗のようだと綴っている歌詞はどことなく切なさを感じますね。
父を想う夜
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あかるいあかるい 星の空
なきなきよがもの 渡る夜は
ああ とうさんの あのえがお
栗の実たべては おもいだす
≪里の秋 歌詞より抜粋≫
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『里の秋』の決まりとしてそれぞれの歌詞のあたまに形容詞をひらがなで2回繰り返しています。
それを行うことによって次に来る名詞の様子がとても印象的になるように作詞されています。
特に2番は今はそばにいない父の笑顔を思い出す様子が描かれていますが、「あかるいあかるい星の空」から始まることで、父はまだ生きているという希望が強くなるように感じられます。
離れていても想い合う家族
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さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて かえられる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜もかあさんと 祈ります
≪里の秋 歌詞より抜粋≫
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3番は終戦を迎え、父の無事の復員を母と共に祈っている描写です。
離れていても、父の生死はわからなくとも家族はずっと互いを想い合う様子が描かれています。
これはただ単に家族の絆を描いている美しい描写だけではなく、日本という国に対して「戦争は家族を引き離す」と反戦を訴えているのではないでしょうか。
3番だけ歌詞を変えたのも斎藤自身が戦争に対する思いが変わったからだと言われています。
音楽のちから
童謡『里の秋』が放送されたのは1945年のクリスマスイブ、ラジオ番組の中で引揚者や復員兵に関する行政事務局の話の後、童謡歌手である川田正子の新曲として披露されました。この放送直後から数多くの人から反響があり別のラジオの曲として使われたり、唱歌として小学校の音楽の教科書に載り、子供たちに伝わり、そして音楽を通して戦争の不必要さを学べることができます。
特に童謡は短いフレーズの中に作詞者たちのメッセージが込められているので一曲一曲じっくりと読み解いていくのもいいですね。