作詞者・野上彰が描く落葉松と雨の風景
秋を歌った童謡には、心に訴えかける情緒と切なさを感じさせる楽曲が数多くあります。
その1つである『落葉松(からまつ)』は、作詞を詩・小説・童話や訳詞をはじめ多彩なジャンルで才能を発揮した野上彰が、作曲を『まっかな秋』も手がけた作曲家の小林秀雄が務めた楽曲です。
野上彰は作家の川端康成に師事しており、川端康成の別荘がある軽井沢にもよく通っていたそうです。
そして、軽井沢の落葉松林から着想を得て1945年の秋にこの詩をしたため、1959年出版の小説『軽井沢物語』の巻末に掲載されました。
その後1972年、小林秀雄はアルト歌手・四家文子から翌年に開催予定の9回波の会コンサートのために同会副会長だった野上を追悼するための作曲依頼を受けます。
野上の遺稿を受け取った小林は『落葉松』の詩に目を留め、父方の祖先の故郷である上州の落葉松の風情を思い出して独唱とピアノのための初稿を書き上げたとのこと。
小林はこの曲を女声合唱・混声合唱・男声合唱・ピアノ曲としても編曲し、長きにわたり音楽界で大切に歌われ続ける楽曲となっています。
そのような情景が小林秀雄や聴く人の心を揺さぶってきたのか、歌詞に注目し意味を考察していきましょう。
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落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる
≪落葉松 歌詞より抜粋≫
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この楽曲でスポットが当てられている「落葉松」は、日本の針葉樹の中で唯一の落葉樹です。
秋になると黄金色に染まった葉を落とし、枯れ木のような姿になって冬を越してから春に再び緑の葉を広げるのが特徴です。
大きな木のため存在感があり、紅葉して落葉する様子が秋を彩ってくれます。
この楽曲で特に印象深いのは、雨の降る秋を切り取っている点です。
「落葉松の秋の雨」というフレーズにより、落葉松の葉や枝に秋の長雨がしとしと降り濡れていく様子を想像できます。
そして「わたしの手が濡れる」と続くため、主人公もその近くにいることが分かります。
落葉松に手を伸ばして濡れたのか、傘を持たずにいて濡れたのかは不明ですが、物悲しい雰囲気が伝わってきますね。
浮き沈みする心と雨の関係
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落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる
≪落葉松 歌詞より抜粋≫
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続く部分では「夜の雨」に変化しています。
夜の暗さと雨の寒々しい様子が相まって、落葉松が身に受ける試練を描いているように感じるのではないでしょうか。
その様子を見た主人公は「わたしの心が濡れる」と繰り返します。
それほど感情が揺さぶられるのは、冷たい雨にさらされる落葉松に自分自身の境遇を重ねているからかもしれません。
大切な人を失ったり大きな問題に直面したりしたときに、心の支えを必要として大樹の落葉松を見つめているような情景が感じ取れます。
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落葉松の 陽のある雨に
わたしの 思い出が濡れる
≪落葉松 歌詞より抜粋≫
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この歌詞では「陽のある雨」という描写に注目できるでしょう。
陽があるということは、太陽が出ているのに雨が降っている状況です。
雨の雫に太陽の光が当たって煌めく幻想的な風景で、空のどこかでは虹も出ているとイメージできます。
そんな美しい光景を見て、主人公は「わたしの思い出が濡れる」と表現しています。
これは、かつて見た美しい光景や愛する人とのかけがえのない時間を思い出していると解釈できそうです。
時間が経てば次第に乾いていく思い出が再び潤いを得たように、生き生きと心の中で浮かび上がってくるような印象を受けます。
小鳥とかもめに込められた意味の解釈は?
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落葉松の 小鳥の雨に
わたしの 乾いた眼が濡れる
≪落葉松 歌詞より抜粋≫
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この部分では「小鳥の雨」とあり、初めて主人公以外の生物が登場しています。
突然の雨に困った小鳥が、落葉松の葉の陰に隠れて雨宿りしている様子と捉えられるでしょう。
その光景には落葉松の寛大さや温かさ、小鳥の安心感や純真さが垣間見えてきます。
主人公はそうした優しい光景を見て、「乾いた眼が濡れる」のを感じます。
深く傷ついて涙が枯れていたのか、人との交流を絶ち温もりを忘れてしまったのか、主人公の背景は分かりません。
しかし、雨の中の落葉松と小鳥を見つめて心を震わせて涙していることは伝わってきますね。
自然の美しさへの感動、自分自身や誰かのことを想う悲しみなど、様々な感情があふれ出てきた主人公の気持ちがいかようにも想像できます。
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落葉松の 秋の雨に
わたしの 手が濡れる
落葉松の 夜の雨に
わたしの 心が濡れる
白いかもめを
≪落葉松 歌詞より抜粋≫
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歌詞の最後には「白いかもめ」が出てきます。
唐突に出てきたかもめは旅立ちの象徴と考察できそうです。
前述した「小鳥」が成長した姿がこのかもめで、月日を経て成長したかもめが落葉松から元気に飛び立っていくのを見て主人公が前に進む勇気をもらっているところなのかもしれません。
もしくはかもめが冬鳥であることから、秋の終わりと冬の到来を意味し季節の移り変わりを表現しているとも考えられます。
何にせよ、自然の美しさや壮大さをひしひしと感じられる歌詞が心に残りますね。
秋の雨を美しく表現する歌詞に注目
童謡の『落葉松』は、大きな落葉松の木と雨の描写を繊細に描いた楽曲です。実際に落葉松の風景を見たことがある方もそうでない方も自然の持つ力を歌詞を通して感じ、主人公の心に自分の想いを重ねられたのではないでしょうか。
落葉松が色づき葉を落とすわずかな秋の時間を、ぜひ歌と共にじっくり楽しんでみてください。