宇多田特別リリース作、そしてエヴァQ楽曲
宇多田ヒカル(Hikaru Utada)は、1998年に15歳でデビューし、1stシングル「Automatic/time will tell」がダブルミリオンの大ヒットを記録したことで広く知られるアーティストです。年配の方には、歌手の藤圭子の娘としても認知されていることでしょう。
順風満帆なキャリアを歩んでいるように見えた彼女ですが、2010年に「人間活動」を理由に音楽活動を休止します。
その後、2016年にアルバムを発売し、本格的に音楽活動を再開しました。
その「人間活動」の期間中に制作されたのが、「桜流し」です。
この楽曲はリリースの前年に起きた東日本大震災を想いながら書かれたと言われています。
そして1995年からTV放映されている『新世紀エヴァンゲリオン』の映画版、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の主題歌として起用されています。
エヴァンゲリオンシリーズは、複雑で謎めいたストーリーが特徴で、第2作目まではTV版のリメイクに近いものでしたが、第3作目となる『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』ではオリジナル要素が色濃くなり、ファンの間で大きな話題を呼びました。
宇多田ヒカルは、東日本大震災という現実と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』というフィクションを、どのように楽曲で結びつけたのでしょうか。
歌詞の内容を織り交ぜながら考察していきたいと思います。
喪失から始まるストーリー

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開いたばかりの花が散るのを
「今年も早いね」と
残念そうに見ていたあなたは
とてもきれいだった
もし今の私を見れたなら
どう思うでしょう
あなた無しで生きてる私を
≪桜流し 歌詞より抜粋≫
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タイトルにもなっている「桜流し」という言葉は、桜の花びらが散り、水に流れていく情景を表しています。
楽曲の冒頭にもその光景が描かれており、まるで大切な人との別れや喪失を象徴しているかのようです。
桜は日本文化において特別な意味を持ち、儚さや一瞬の美しさを象徴する存在です。
宇多田ヒカルがこの楽曲で誰を思い浮かべていたのかは明言されていませんが、映画の中ではヒロインであるレイやアスカを連想させるとも言われています。
ただ、歌詞が進むにつれて、"いつも一緒にいた人"が"今はもういない"という現実が明らかになり、その時間の流れがAメロで感じ取れるようになっています。
永遠の記憶にいる君は

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あなたが守った街のどこかで今日も響く
健やかな産声を聞けたなら
きっと喜ぶでしょう
私たちの続きの足音
Everybody finds love
In the end
≪桜流し 歌詞より抜粋≫
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いつもの街で聞こえる元気な赤ちゃんの泣き声。
その賑やかな音とは対照的に、いつも一緒にいた大切な人はもういない。
その人は、何か大きな使命を果たしたのでしょうか。
街を守るというようなことは、アニメに登場するヒーローでもない限り容易にはできないことです。
それでも、その人は平穏な日々を犠牲にしながら、それを成し遂げたのでしょう。
残された人にとって、その事実は誇らしい反面、やはり隣にいてほしい、一緒に日々を過ごしてほしいという気持ちが消えることはないのでしょう。
心の中では、その人がいない現実を受け入れられず、立ち直るきっかけさえ見つからない。
まるで、過去に囚われたままの日々を繰り返し生きているようで、それはまるでリメイク作品を見ている感覚にも似ているのかもしれません。
悲しみから立ち上がれるのは

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もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな
どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛かあるなら
≪桜流し 歌詞より抜粋≫
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それなら、なぜ"いつも一緒にいた人"を思い出しながら日々を過ごしていたのでしょうか。
それは、その人に対して後悔や心残りがあったのでしょうか。
いつでも伝えられると思って後回しにしていた言葉や想い。
けれど、突然その人がいなくなってしまい、伝えたかった気持ちや渡したかったものが叶わなかったことに気づいてしまいます。
そんな後悔が心の中で膨らみ、時には現実からエスケープしたくなることもあるでしょう。
しかし、「桜流し」ではふと桜を見て、その存在が気づきのきっかけになりました。
実は「桜流し」という言葉には、地方によって異なる意味があるそうです。
それは鹿児島県の方言で、桜が咲く時期に降る長雨を指す言葉として使われています。
それは、これまでひとつのことに囚われていた視点が、広がりを持ち、新たな考えが生まれる象徴のようにも感じられます。
この楽曲は、後悔や喪失を抱えながらも、そこに留まるのではなく、過去から今へ、そして未来へと進んでいく物語を示唆しているのかもしれません。
まるでリメイクからオリジナルへと物語が移行するように、まだ始まりに過ぎない一歩を踏み出しながら、生きていく道を描いているのでしょう。
どんな絶望に包まれても希望が…
宇多田ヒカルの楽曲「桜流し」は、東日本大震災と映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を結びつけたバラードになっています。この曲には、生と死、喪失と再生、永遠と決別といった重いテーマが織り込まれています。
これらのテーマをそのまま重厚な音に載せてしまえば、楽曲全体が暗く沈んだ印象になっていたことでしょう。
しかし、「桜流し」はどこか希望を感じさせるライトな音を交え、アニメの物語性とも響き合うバランスを保っています。
希望のきっかけは人それぞれ異なります。
宇多田ヒカルが歌手を志したのは母・藤圭子、庵野秀明監督が再びエヴァンゲリオンを制作したのはファンの期待に応えるためだったように、人生がどのような形で展開し、誰とどのように関わっていくのかは予測できません。
もし今、もがき苦しんでいる人がいるなら、「桜流し」のピアノの旋律に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。