クリエイター・Azari提供曲のテーマは親子関係
2025年3月20日、人気リズムゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」のゲーム内ユニット・25時、ナイトコードで。のユニット楽曲として、新たに楽曲提供クリエイターとなったAzari書き下ろしの『D/N/A』が追加されました。緊張感が漂うダークな世界観と、ニーゴのクールで力のこもった歌唱に引き込まれる楽曲です。
バーチャル・シンガーver.はYouTubeとニコニコ動画でボーカルが異なるのが特徴で、投稿された3月28日当日に殿堂入りを果たしました。
今作と関わるゲーム内イベント「Unreliable Notes」では、宵崎奏が朝比奈まふゆを救う曲を作るために“まふゆが感じているあたたかさ”を深掘りしようと奮闘する姿が描かれています。
「D/N/A」というタイトルからも、そのあたたかさの正体が親子関係にあることが分かります。
どのような想いが反映されているのか、さっそく歌詞の意味を考察していきましょう。
----------------
小石を高く高く 積み上げては
吹きさらす心は 夕暮れ
いつか見つかると まだ見つかると
白く 甘く 淡く
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
「小石を高く高く 積み上げ」るという行為は、小さな努力を重ねていく様子を表していると思われます。
またこの曲が親子に関するものとすると、“賽の河原の石積み”という言葉も連想されるでしょう。
賽の河原の石積みとは仏教の故事に由来する言葉で、親より先に亡くなった子どもが三途の川の河原で父母供養に積んだ石塔を鬼が壊してしまうことから、報われない努力を続けることを指して用いられます。
「吹きさらす心は夕暮れ」ともあるため、報われないと分かっていながら努力を続けているために先が見えなくなっていると思われます。
それでも答えが「いつか見つかると まだ見つかると」信じたい気持ちで、努力を続けているようです。
その純粋な想いは「白く」、「甘く淡く」心の中に広がっていきます。
----------------
影踏み遊びばかり してきました
贖い足がかり 探して
いつか見つけると まだ見つけると
永く 脆く 遠く
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
「影踏み遊び」という表現は、他人の影を追いかけていることを示しているのでしょう。
「贖い」とは罪を償うことで、そのための「足がかり」を見つけようとしてます。
これは父親の影を追って音楽作りを始め、人を救う曲を作ることで父親を絶望させた償いをしようと躍起になる奏の姿と重なります。
執念にも似た気持ちで「いつか見つけると まだ見つけると」信じて曲を作り続けていますが、ゴールにはまだ「永く」て「遠く」、自分の「脆く」弱い部分を痛感しているようです。
人を形作るのはDNA?

----------------
鏡越し貴方と 瞳の奥の私と
誰かの 中の 貴方は
欠片の ままに 夢を見る
だって D/N/A じゃ語れない
この心は 私の中 紅く 紅く
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
鏡はその人を鮮明に映し出しますが、映っていない部分は見えません。
「鏡越し貴方」というフレーズは、相手のことを平面的にしか見えていない状態を表していると解釈できます。
相手に対し凝り固まったイメージを持っていると、その人のことを本当の意味で知ることはできないでしょう。
「瞳の奥の私」は、鏡に映る瞳の中に見える自分の姿と考えられます。
人と向き合うということは、自分自身と向き合うことにもつながると伝えているのかもしれませんね。
「誰かの 中の 貴方」のフレーズは、単語を空白ごとに分けてそれぞれの頭文字を取ると“D/N/A”となります。
つまりこの言葉はDNAを指していて、子どもの生命の中に宿る遺伝子としての親の存在を表していると考察できます。
まふゆの母親のように、親は親という立場で子どもの未来を想い「夢を見る」ものです。
しかしまふゆのように、子どもは親の夢を重圧に感じることがあるでしょう。
DNAはその人を形作る土台ですが、人を構成する一部であり「欠片」にすぎません。
体という器に大切に守られている心は自分だけのもので、血よりも「紅く」色濃く巡っています。
単なる“遺伝子のせい”では誤魔化せない、その人の本質が心にあるということです。
誰かの子どもとしての自分ではなく、自分自身を見て認め愛してほしいという切実な願いが垣間見えます。
心と向き合えば見えてくるものがある

----------------
眠れない 迷子の無いもの ねだりじゃない
この細胞は 愛憎 刻まれてる
まだ見つけるの まだ見つけるの
言えなかった音は?
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
まふゆの持つ“あたたかさ”の根底にあるのは、幼少期の眠れない夜に母親から受けた愛情。
かつて感じた愛は今もそこにあるはずだから、今求めても「無いものねだり」ではないはずです。
しかし「この細胞は 愛憎 刻まれてる」とあるように、過去の良い思い出と苦い思い出により生まれた愛憎が信じたい気持ちを邪魔します。
次のフレーズは「まだ見つけるの(?) まだ見つけるの(!)」という問答の形式になっています。
見つかりそうにない答えをまだ見つけようともがくのかという問いかけに対し、どうしても見つけたいんだと奏が決意表明をしているようです。
それはまふゆを救うためであると同時に、奏自身の救いのためでもあるのでしょう。
それぞれが言いたいのに言えなかった言葉をついに吐き出すとき、探し続けていた答えを見つけられるのかもしれません。
----------------
誰かの 中の 貴方は
繋がれた まま 夢を見る
だって D/N/A じゃ語れない
この痛みも 私の中 紅く 紅く
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
血のつながりに縛られてしまうのは、親も子も同じでしょう。
親として、また子としてこうあるべきという固定概念のせいでうまく行動できなくなってしまいます。
「D/N/A じゃ語れない」一人ひとりの物語があるから、心を見る必要があります。
自分自身の中にだけある心の痛みにも、真っ直ぐ向き合うことが大切です。
----------------
鏡の 形と 逆さまな D/N/A
私の 証と 暖かな D/N/A
≪D/N/A 歌詞より抜粋≫
----------------
鏡が実物を反転して映し出すように、人の心も自分と他者では異なって見えるものです。
血のつながった親子でさえ、完全に理解することはできません。
とはいえ今は愛を感じられないとしても、DNAという「証」と愛を感じた「暖かな」記憶によって、深いつながりがあることを確信できます。
DNAを完全に否定しているわけではなく、DNAのつながりを認めつつも心にこそ重要なものが詰まっていることへの気付きを表しているように感じます。
目に見えるものが全てではないということを思い出させてくれる歌詞です。
ニーゴの心が詰まった楽曲!
25時、ナイトコードで。の『D/N/A』は、DNAに悩んできたメンバーたちの想いが感じられる楽曲です。苦しみながらも自分自身と音楽に向き合うことで、彼女たちは人として成長し続けています。
ここから物語がどのように進展していくのか、さらに注目していきたいですね。