「未熟」と「でも人の力になりたい」
こっちのけんとの『けっかおーらい』は堀越耕平の『僕のヒーローアカデミア(ヒロアカ)』の公式スピオフシリーズ『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』のオープニングテーマとして、4月7日に配信開始されました。「緑のマルチアーチスト」というキャッチコピーを持つこっちのけんとは2024年5月にリリースした『はいよろこんで』がSNSを含む総再生回数が170億回を突破し、第75回NHK紅白歌合戦にも出場し話題を呼びました。
こっちのけんとにとって『けっかおーらい』は初のアニメタイアップ曲で、2025年6月18日に初のCD作品として発売されることが決まっています。
こっちのけんとの公式YouTubeチャンネルに公開されたMVの概要欄には「『ヴィジランテ』主人公の灰廻航一に救われた1人として、恩返しのつもりで心から全力で制作させていただきました」とコメントしています。
原作に対する深い愛が伺えます。
そんな『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』は『けっかおーらい』の配信開始日と同日に放送が開始されました。
物語の概要は『僕のヒーローアカデミア』の数年前を舞台にして「人々に認められ活躍する<ヒーロー>の裏側で、誰にも認められずとも誰かを救わずにはいられない非合法ヒーロー<ヴィジランテ>たちが描かれる」というものです。
概要からも分かる通り「非合法ヒーロー<ヴィジランテ>」は「選ばれる」ことがなかった人たちであり、こっちのけんとは自らの人生経験を重ねて『けっかおーらい』を作成したことをインタビューで語っています。
こっちのけんといわく「未熟」と「でも人の力になりたい」がテーマだと言う『けっかおーらい』にはどんな意味が込められているのか、今回は考察していきたいと思います。
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好印象なノービス
から転がるスターに
ばらまいた優しさの外に
手を伸ばして
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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まず、「ノービス」を調べると「初心者」「新参者」「修練者」と出てきます。
好ましい印象の「初心者」は、華やかなスターではなく「転がるスター」になります。
これは主題歌を担当した『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』の主人公、灰廻航一が「人々に認められて活躍するヒーロー」ではなく、「誰にも認められずとも誰かを救わずにはいられない非合法ヒーロー、ヴィジランテ」になったことを重ねているのでしょう。
どんなに周囲から好印象を持たれても、灰廻航一はあくまで非合法ヒーローであり、華やかさとは無縁の場所で「スター」になるほかありません。
続く歌詞の「ばらまいた優しさの外に」「手を伸ばして」も灰廻航一について歌っていると考えると合点がいきます。
灰廻航一はヒーローを諦めきれず「親切マン」を名乗り、非合法なヒーロー活動をおこなっています。
これが「ばらまいた優しさ」でしょう。
彼の小さな親切に救われた人たちは少なからずいます。
ただ、本当のピンチや暴力を前にした時、灰廻航一はたじろぎ逃げ出そうとしてしまいます。
しかし、逃げ出さず踏みとどまり「手を伸ばし」ます。
灰廻航一という主人公の魅力はこの一度は逃げ出す弱さを見せながら、それでも立ち向かおうと決意する部分にあります。
人気者にはなれないヒーロー

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好印象なノービス
から転がるスターに
めでたしなストーリー踊り
羽伸ばして
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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続く二行の歌詞は歌いだしの繰り返しです。
そして、そこから「めでたしなストーリー踊り」「羽伸ばして」と続きます。
さきほどが主人公、灰廻航一についての歌詞であるなら、こちらは彼と共に非合法なヒーロー活動に巻き込まれていくヒロインである「ポップ☆ステップ」のことを歌っているのでしょう。
彼女は「街中で無許可にゲリラライブを行う自称フリーアイドル」です。
「ポップ☆ステップ」もまた、華やかなアイドルとしては描かれませんが、しかし軽やかに踊り、まるで「羽」があるようなパフォーマンスで街ゆく人を魅了します。
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君の瞳が助け求めてる
誰これ構わず皆が飢えてる
目の下のクマ
シワのあるマスク
ヨレてるスーツ
身に纏うルール
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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ここからは「ノービス」という表現はなくなります。
「目の下のクマ」「シワのあるマスク」「ヨレてるスーツ」と擦れた印象を持ちます。
灰廻航一、ポップ☆ステップと来れば、続くこの歌詞が表しているのは三人目の登場人物、ナックルダスターのことでしょう。
『ヴィジランテ -僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』の第一話を見れば分かることですが、本当のピンチが訪れた時に助けてくれるのがナックルダスターです。
「キミの瞳が助け求めてる」ことを察知し、「誰これ構わず皆が飢えてる」状態を改善しようと一人戦っています。
そんなナックルダスターに巻き込まれる形で大きな事件に灰廻航一、ポップ☆ステップが関わっていくのが『ヴィジランテ』という作品の大筋です。
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正義の肯定
ナンセンスな命で
看板突き破って
飛んじゃってええで
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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ヴィジランテは非合法なヒーローですが、ヒーローを名乗る以上「正義」を肯定しています。
『僕のヒーローアカデミア』という作品では正義をまっすぐ行う「オールマイト」が一番の人気者だ、という描かれ方をします。
しかし、ヴィジランテは民衆には見えない場所で活動をする存在です。
どんなに「正義」を肯定し、順守したとしても人気者にはなれません。
周囲からすれば、彼らを「ナンセンス」だと表現しても仕方がないでしょうし、活動しているヴィジランテが「ナンセンスな命」という評価を内面化することもあるでしょう。
しかし、その「ナンセンスな命」だからこそ、「看板突き破って」「飛んじゃって」という無茶ができる、とも言えます。
続く歌詞で「それでこそgood」「後手に回ればboom!!」とあるのも、後先考えず無茶をすることを肯定しているのでしょう。
そして、
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けっけっかおーらい!
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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「誰にも認められずとも誰かを救わずにはいられない」ヴィジランテにとって、「けっかおーらい」という肯定は重要です。
ヒーローと認められている人が誰かを助けることが「ヒーロー行為」ではなく、助けたという事実をもって、それが「ヒーロー行為」になるんです。
誰もヒーローと認めていない人だったとしても、ヒーローと同じように誰かを助けられたのだとすれば、助けられた誰かにとってその人は「ヒーロー」になります。
「俺たち」と「僕ら」と「僕」

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「おっと!」
迷える俺たちのヒーロー
もう止まれないkeep off keep off
苦労をその手に何を握ろう
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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すべては「けっかおーらい」と開き直ってしまえば良いのでしょうが、ヴィジランテはそうはできません。
「俺たちのヒーロー」は迷っています。
なぜなら、「みんなのヒーロー」が助けた方が良いに決まっているからです。
ヴィジランテはそれを分かっています。
その上で「もう止まれないkeep off keep off」と言います。
「keep off」は「〔危険な物・場所などから〕離れている、離しておく」という意味です。
離れておかねばならない場所へ「もう止まれない」と近づいてしまいます。
周囲はヒーローと認めていなくとも、誰かを助ける経験は確かにヴィジランテの中に溜まり、目の前の危険を無視できなくなっていくのでしょう。
「苦労をその手に何を握ろう」という歌詞はそんなヒーロー活動の虚しさを的確に表現しています。
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御伽話俺たちのヒーロー
もう止まれないkeep on keep on
身の程にも合うその日を願うから今
月、月下往来
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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「御伽話」の意味には「比喩的に現実離れした空想的な話」という意味もあります。
「俺たちのヒーロー」はどこまで行っても地に足のついた現実的な存在にはなれません。
それでも「もう止まれないkeep on keep on」と言います。
「keep on」の意味は「〜し続ける、〜することを継続する」です。
「俺たちのヒーロー」は続けることを決めています。
続く歌詞「身の程にも合うその日を願うから今」は、この身の程がヒーローになんてなれない以前の自分に向いているのか、誰かを助けられるようになった自分なのか分かりません。
ただ、「願うから」という表現には前向きな印象を持ちます。
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僕らはもう諦めたの
軋む明日を絵に描いて
僕らはもう身につけたの
軋む明日をただ歩いて
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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「俺たち」と言っていたのに、「僕ら」に変わっています。
また更に「もう諦めた」とヒーローらしからぬ弱音を漏らします。
「軋む明日」とありますので、ヴィジランテのヒーロー活動が危うくなってしまったのだろう、と予想できます。
それでも「ただ歩」くとありますので、ヴィジランテの活動がなくなっても、日常は続くことが示唆されます。
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もう遅いのは分かってる
まわりを通っていく
成りたいもん成っている
みんなが通ってく
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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さきほどは「ただ歩いて」いたのが、「まわりを通っていく」「みんなが通っていく」周囲から置いていかれはじめたのが分かります。
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成れないもんに成っていく
僕の帰り道に
転がって突っ伏している
僕の可能性へ
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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「成りたいもん成っている」とさきほどの歌詞の中にあり、次に「成れないもんに成っていく」となっています。
そして、次の歌詞は「僕の帰り道に」です。
「僕」になっています。
今までは「俺たち」だったり、「僕ら」と複数系で表現されていたのに、ここに来て「僕」は一人になってしまいました。
「成りたいもん成っている」や「成れないもんに成ってい」ったのは、周囲のヴィジランテだったのでしょう。
「僕」は成りたかった「可能性」が帰り道に転がって突っ伏していると感じるほどの挫折の中にいます。
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忘れてきたのに
思い出した
体に痛みが来る前に
逃げだして来る彼に
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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そんな「僕」の前に忘れていたものがやってきます。
逃げ出してきた「彼」がそれでしょう。
せっかく「忘れてきたのに」僕は思い出してしまいます。
「僕」こそが「俺たちのヒーロー」であることを。
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今の自由とは何?
過去の自分の"まま"に
≪けっかおーらい 歌詞より抜粋≫
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ヴィジランテとしてヒーローをすることは不自由さを強いる決断です。
前提として、ルールから逸脱してヒーロー活動をしているわけですから。
それに引き換え、ただの「僕」でいる間は「自由」です。
しかし、「今の自由は何?」と「僕」は疑問を挟みます。
自由よりも「過去の自分の"まま"」でいることを「僕」は選んだのでしょう。
ヴィジランテとして「迷える」「御伽話」の「俺たちのヒーロー」でいることを。
令和のヒーローとは?
こっちのけんとはインタビューの中で「平仮名のタイトルにしたのは『未熟』というのを伝えたかったからです。漢字やカタカナ、英語にすると格好良すぎるというか、マッチョになっちゃうので」と答えています。『けっかおーらい』は最後に「過去の自分の"まま"」を肯定してくれて終わります。
ヴィランと戦わなければならないヒーローを題材にした楽曲の中で、未熟さや弱さを否定することなく、「けっかおーらい」だと軽やかに言い切ってくれるのは、今までにない新しいヒーロー像の提示にも思えます。
時代と共に求められるヒーロー像は変わってきました。
「けっかおーらい」を聞きながら、令和で求められるヒーローの姿は何かを考えてみるのも一興ではないでしょうか。