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25時、ナイトコードで。「虚無さん」歌詞の意味を考察!¿?shimonによるプロセカ書き下ろし楽曲を徹底解説

本楽曲は、音楽ゲーム『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク』(通称:プロセカ)のユニット「25時、ナイトコードで。」による楽曲です。タイトルは「虚無さん(にひるさん)」と読み、その名の通り虚無の感情が主題の作品です。

感情の輪郭を失った少女の心象風景

本稿では、歌詞だけでなく、MVに描かれた映像表現にも注目しながら、この楽曲に込められたテーマや心情を丁寧に読み解いていきます。

まず、MVの冒頭では、目を閉じていた人物がパッと目を開けるシーンから始まります。

そして、無表情な顔が描かれた風船が浮かぶ中、ノイズで塗りつぶされた少女の顔が映し出され、感情の欠落や孤独を強く印象づける映像となっています。
▲25時、ナイトコードで。×鏡音レン-虚無さん【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

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虚無っぽいなんかもうだめみたい
もうバラバラです 空です
くだんない本当もう馬鹿みたい
もう虜みたい静かな世界
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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歌詞の冒頭、「虚無っぽいなんかもうだめみたい」「もうバラバラです 空です」といった言葉は、自分の内側が崩れ落ちていく感覚や、感情の空洞をそのまま言葉にしたような印象を与えます。

続く「くだんない本当もう馬鹿みたい」「もう虜みたい静かな世界」では、どうしようもない無力感と、その中に取り込まれていく様子が語られています。

何かを感じたいのに何も感じられない、そんな心の葛藤がここにはにじんでいます。

特に注目したいのは、これらのフレーズに共通する”自己認識の揺らぎ”です。

「馬鹿みたい」「もうだめみたい」という表現からは、自責の念を感じさせ、その輪郭すらぼやけている状態を示しています。

それは自己肯定感の喪失とも読めるでしょう。

MVでは、「将来の夢」「好きなもの」「愛とは何か」といった自己確立に関する問いに「わからない」と答えるシーンがあります。

この”分からなさ”は、まさに歌詞の語り手が抱える根源的な不安と重なります。

分からないからこそ、空っぽで、苦しくて、それでもどこかで救いを求めている。

その始まりが、まさにこの歌の出発点のように感じました。

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君の期待応えたいし
心次第に枯れちゃうし
きりない焦燥と
期待で痛くなる未来
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「君の期待応えたいし」という一文には、他者から向けられる期待に対して”応えたい”という純粋な思いが込められています。

しかし、すぐ後に続く「心次第に枯れちゃうし」という言葉が、その純粋な優しさは自己犠牲に繋がっていることを示しています。

期待されることが嬉しくないわけではない、けれども応えようとするたびに、自分の内側がすり減ってしまう

そんなジレンマがにじみ出ていますね。

そして、「きりない焦燥と 期待で痛くなる未来」というフレーズは、明るくあるべき”未来”という言葉に、「痛み」と「不安」が伴ってしまっていることを表現しているようです。

ここで描かれている未来は、明るい希望に満ちたものではなく、「期待に応えなければならない」というプレッシャーによって、胸が苦しくなるような不安と焦りに満ちたモノのように見えます。

MVでは、冒頭に登場した無表情の風船が割れ、中からノイズで隠されていた顔が現れます。

しかし、その顔は口元を手で覆っており、感情を読み取ることはできません。

これは、表には出せない苦悩や、本音を隠しながら日々を生きる姿と重なって見える描写かもしれません。

歌詞と映像が共鳴することで、「分かってほしいけれど、わかってもらうのが怖い」。

そんな矛盾した感情が浮かび上がってくるようです。

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孤独に囚われちゃうし
トラウマが脳支配しちゃうし
最低な日々だ
痛い
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「孤独に囚われちゃうし」「トラウマが脳支配しちゃうし」と続く歌詞では、自分の力では抗えない孤独や過去の傷に、心が支配されていく様子が描かれています。

日常の中でふと襲いかかってくる記憶や感情に翻弄され、自分を保てなくなっていくような苦しさが伝わってきますね。

「最低な日々だ」という言葉は、その重さに押し潰されていく中で零れた「精一杯の本音」なのかもしれません。

続く「痛い」という一言には、説明しきれない感情の全てが詰まっているように感じられます。

それは、心の奥でずっと叫び続けていたものが、ようやく音になったかのような叫びです。

MVでは、スマートフォンにサークルメンバーからの通知が届いている場面が映されますが、彼女はそれに手を伸ばすことなく、ただもう一度、目を閉じてしまいます。

彼女にとってスマホは、仲間や音楽と繋がるための唯一の手段であったはずですが、それすらも向き合う気力を失っている姿が描かれており、歌詞の「孤独」や「痛み」と静かにリンクしていますね。

そして、「痛い」という歌詞の直前、これまで何度か登場していた風船がすべて割れ、その中で彼女はもう一度目を開けます。

その視線の先で絞り出される「痛い」という言葉には、心を覆っていた殻が壊れ、自身の痛みにようやく向き合い始めたような、静かな決壊が映し出されているようです。

平気でいた朝比奈まふゆがたどり着く、限界のかたち


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バイオレンス バイオレンス
何も分かんない 分かんないよ
難解愛をロスト 愛をロスト
愛して 愛して
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「バイオレンス バイオレンス」「何も分かんない 分かんないよ」と繰り返されるフレーズは、静かに蓄積されてきた心の混乱と絶望が、感情の限界を超えて溢れ出した瞬間を描いているように感じられます。

この”暴力的”という言葉が象徴するのは、外部からの傷ではなく、むしろ内側に渦巻く破壊的な衝動や感情の暴発なのかもしれませんね。

続く「難解愛をロスト 愛をロスト」というラインは、”愛”という言葉がここでは救いではなく、もはや理解すらできない混沌の対象として描かれています。

一体何を信じればいいのか、どう感じるのが正解なのかも分からないまま、ただ「愛して」と繰り返す姿には、答えのない世界でもがき続ける切実さがにじみ出ています。

MVでは、このタイミングで初めて「朝比奈まふゆ」のはっきりとした表情が映し出され、「バイオレンス」という強く乱雑な言葉が画面に重なります。

彼女がいるのは無機質で真っ白な部屋。

かと思いきや、その空間すらさらに大きな家に覆われており、それが実は”箱庭”だったことが明かされます。

この演出は、彼女の世界が外から見れば整っていても、実際には逃げ場のない閉じた空間であることを象徴しているようです。

さらに、彼女の足元には大きな水たまりが広がっており、その中心にまふゆは立っています。

水たまりはまるで、こぼれ落ちた感情や涙の痕跡のようであり、その中にじっと立ち尽くす彼女の姿は、自らの苦しみの中から動けずにいる状態を象徴しているようにも見えますね。

この小さな箱庭の中で、自分自身の感情すら「分かんない」と叫びながら、それでも「愛して」と願う彼女の姿には、心の底で”誰かに本当の自分を見つけてほしい”という、切実な祈りが込められているように感じました。

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アイロニー アイロニー
クラクラする毎日だ
脳内エンドレス エンドレス
討論やめてくれよもう
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「アイロニー アイロニー」「クラクラする毎日だ」という言葉からは、どこか投げやりで、それでも叫ばずにはいられない心情がにじみ出ています。

“アイロニー(皮肉)”という言葉の選び方にも、すべてがちぐはぐで、本音を隠したまま続く日々への嫌気と疲労感が漂っています。

「クラクラする」という感覚は、ただ肉体的に疲れているのではなく、精神的に追い詰められた末の感覚麻痺のようにも捉えられますね。

「脳内エンドレス エンドレス」というフレーズは、何度も繰り返される思考、止まらない自己否定、無限ループのような悩みを象徴しているのでしょう。

頭の中では終わりなき討論、つまり、自分自身との葛藤が絶えず続いていて、それに耐えきれず「討論やめてくれよもう」と絞り出すように訴えるこの一節は、限界を超えた精神の悲鳴として響いてきます。

MVでは、このタイミングでまふゆは再び目を閉じてしまいます。

感情の渦に飲み込まれ、すべてを遮断することでしか自分を保てなくなっているのかもしれません。

そして間奏部分では、再び舞い散る答案用紙とともに、花丸のシルエットが現れますが、そこには新たな要素が加わります。

彼女よりも遥かに大きな両手が、まふゆを包み込むように現れ、まるで「守っている」ようにも見えます。

しかしそれと同時に、まふゆの身体は赤い紐でぐるぐると縛られています。

この描写は、「守られているようでいて、実は縛られている」、そんな親や周囲からの期待や”善意”が、彼女にとっては重荷でしかなかったという矛盾を象徴しているようにも見えます。

そして、MVのラストでは、これまでただの黒いシルエットだった彼女の姿が、ノイズに覆われたものへと変化します。

自分が誰なのか、どこにいるのかも分からなくなっていく、アイデンティティの喪失を暗示するような終わり方です。

こうして見ると、「討論やめてくれよもう」という言葉は、外からの期待と内なる自己否定、その両方に挟まれた彼女の、切実な「もうやめて」という悲願に思えてなりません。

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何も期待しないで居たいし
見つからないって泣いた毎日
苦しくて暖かい
あの日が夢のようで
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「何も期待しないで居たいし」というフレーズには、期待をかけられることへの疲れと、それでもどこかで誰かに期待されてしまう現実への拒絶が込められているように感じられます。

誰かに認められたい、愛されたいと思いながらも、その「期待」に応えることでしか自分の価値を感じられないことに、深い苦しさが滲んでいるようです。

「見つからないって泣いた毎日」とは、自分自身の本当の姿や、求めている愛の形をどうしても見つけられず、迷い続けていた日々を回想するような言葉です。

感情が置き去りにされたまま、答えのない問いに向き合い続ける苦しみが静かに表現されています。

「苦しくて暖かい あの日が夢のようで」というラインは、その苦しみの中に確かに存在していた”何か”を思い出しているかのようです。

苦しみの只中であっても、それが誰かとの繋がりの中にあったのならば、そこにはわずかな温もりや、希望のかけらがあったのかもしれません。

その記憶は今となっては”夢のよう”であり、現実とはかけ離れた、二度と触れられない場所。

そんな夢に今でも懐かしさを抱き、想いを馳せているのでしょう。

MVでは、これまでに全て割れていた風船たちが再び現れ、さらに今度は”無表情”ではなく、作り物のような笑顔を浮かべています。

それはまるで、「笑わなければならない」という圧力の表れであり、”心からの笑顔ではない”ことが一目で分かります。

けれども、そんな風船たちもまた次々と割れていきます。

笑顔という仮面が崩れていくさまは、自分を守るための”演技”すらも維持できなくなっていることを象徴しているようです。

そして今回、彼女はもう顔を覆ってはいません。

ただ、無表情で一点を見つめるその姿は、感情を殺し、ただ「いる」ことに精一杯であるようにも映ります。

感情を見せることさえ出来なくなってしまった心の状態が、静かに、けれど強く伝わってきます。

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スポンジみたいなショートケーキ
悪気ない愛は痛いが平気なフリ
もう疲れた
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「スポンジみたいなショートケーキ」という一見柔らかな表現には、虚しさや空虚感が込められているように感じられます。

ふわふわで、甘くて、誰もが「幸せの象徴」のように語るショートケーキ。

しかし”スポンジみたい”という言い回しは、それが中身も味気も無い、軽くどこか空っぽなモノとして描かれていることを示唆しています。

期待された「幸せ」も「普通」も、彼女にとっては形ばかりで、何の意味も持たないものなのかもしれません。

MVでのまふゆの口はその瞬間、固く閉ざされています。

その姿はまるで、「もう何も口にしたくない」と言っているようにも見えます。

ふわふわで軽やかな”幸せ”の象徴すら、今の彼女には受け入れがたいものであり、それがどれほど”空虚”に感じられているかが伝わってきますね。

「悪気ない愛は痛いが平気なフリ」、この一行には、彼女の周囲との関係性、とりわけ親との距離が滲みます。

悪意がないからこそ、拒絶しにくい。

けれど、それが心に与える痛みは確かにあって、彼女はそれを「平気なフリ」でやり過ごそうとしているのです。

”愛”が常に優しいとは限らず、無意識のうちに押しつけられた”善意”へと変容し、息苦しさへと繋がっている。

そんなメッセージが透けて見える表現です。

同時に表示される、「お母さん」からの2件の通知も印象的です。

彼女はそれを見つめることも、触れることもなく、まるでその存在を否定するかのように目を閉じてしまいます。

この通知は、彼女にとっての”愛”の発信源である一方で、それが”善意”としての重荷になっていることも感じさせます。

言葉や行動に明確な悪意がなくとも、善意や心配を装った「愛」は、ときに相手の心を深く傷つけることがあるようです。

まふゆにとって、「家族」や「親」は単に優しさをくれる存在ではなく、無意識のうちに彼女の心をすり減らしてきた存在であったのかもしれません。

表向きには普通の親子関係のように見えて、その実、彼女の”本音”や”痛み”は受け止めてもらえず、理解の及ばない「正しさ」だけが押しつけられてきた。

その中で、彼女は”平気なフリ”をするしかなかったのだと思わせる描写です。

そして、「もう疲れた」という言葉は、全体を通して積み重ねられてきた葛藤、抑圧、孤独の果てにようやく漏れ出る本音でしょう。

それまで感情を抑えてきた彼女が、自分の限界に気づき、それすらも誰に伝えることもできず、ただ静かに呟くように口にする

そんな姿が浮かんできました。

その本音を漏らした瞬間、彼女はまた目を閉じてしまい、笑顔を浮かべていた風船たちも瞬く間に割れていきます。

それは、”平気なフリ”という仮面が、限界を超えて崩れ落ちていく様子とも受け取れますね。

孤独という深海を超えた先に差し込む光


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ただ ただ ただ
愛してほしい 愛してほしい
カラカラ乾いた 心満たして
消えたくないから
くだらないな
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「ただ ただ ただ 愛してほしい 愛してほしい」という繰り返しは、理屈でも建前でもなく、心の奥底から湧き上がる衝動そのものです。

何かを求めることさえ許されなかったような彼女が、ここでようやくその思いを言葉にしているように感じられます。

求めることは”わがまま”でも”甘え”でもなく、「生きていたい」と願う人間の、あまりにも正当で自然な心の動きです。

「カラカラ乾いた 心満たして」という表現には、それまで感情や欲求を抑えてきた彼女の空虚さと、もう限界に近い心の渇きが描かれています。

そんな彼女が「消えたくないから」と続けるとき、そこにはかすかな希望が灯っているようにも見えます。

誰かとの繋がりに、”まだ完全には諦めていない”想いが確かに存在し、ほんの少しの救いを求めているようです。

MVでは、このフレーズに合わせて、幻想的な水中に沈む彼女の姿が映し出されます。

静かで、どこか穏やかな場面に見えますが、それは同時に、「孤独という名の深海」に漂っているようにも受け取れます。

「愛してほしい」という切なる願いに、仲間たちが手を差し伸べてくれる描写は、彼女の”孤独”が完全に壊れてはいなかったことを信じさせてくれます。

そして、「くだらないな」という言葉。

吐き捨てるような短いフレーズですが、ここには複雑な感情が滲みます

まるで、自分の弱さや、期待してしまったことへの自己嫌悪のようでもあり、あるいは、「こうしてまで求めないといけない世界」そのものへの諦めのようでもあります。

その瞬間、MVでは彼女の目が再び開かれますが、その背景はまだ暗く、深く濁っており、すぐに明るくなる気配はありません。

それでも、”目を開けた”という変化は、小さくても確かな第一歩だったのかもしれませんね。

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バイオレンス バイオレンス
何も分かんない 分かんないよ
難解愛をロスト 愛をロスト
愛して 愛して
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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再び繰り返される「バイオレンス バイオレンス」。

これは、外的な暴力というよりも、内面の荒れた感情、自己矛盾、混乱の爆発を示しているように思えます。

「何も分かんない 分かんないよ」という言葉には、世界も、自分自身も、愛も、人との距離感すら掴めない、そんな極限の混乱と孤独が滲んでいます。

それでも「愛して 愛して」と、崩れそうな声で願い続ける様子からは、「愛を失ってしまった(ロスト)」からこそ、愛を求めずにはいられない、まふゆの心の叫びが強く伝わってきます。

この切実な願いに呼応するかのように、MVではついにサークルメンバーたちが同じ空間に姿を現します。

誰も視線を交わしてはいないものの、それぞれが確かに「ここにいる」ことは変わりません。

舞台はまだ”箱庭”の中ですが、その内部に空や海、橋や貝殻、生命を感じさせる木も存在している点が印象的です。

それらはどれも、不完全ながらも「世界」と呼べる景色の断片たちであると考えます。

空だって木だって、全てが「張りぼて」で本物ではないかもしれない。

それでも、何もなかった世界に何かが生まれたことが大きな意味を持ちます。

疑いながらも、彼女はその場所に立ち、もう一度「愛して」と願っている。

それは、自分を肯定するための戦いでもあり、かすかな希望を手放さないための、ぎりぎりの抵抗でもあるのです。

まふゆにとって、その”箱庭”は、孤独による現実逃避のための空想ではなく、ようやく見え始めた”他者と分かち合える場所”の前兆へと変化したのかもしれませんね。

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アイロニー アイロニー
クラクラする毎日だ
あーネガっては願ってるから
それぞれの愛が暖かな場所がある
痛い
≪虚無さん 歌詞より抜粋≫
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「アイロニー アイロニー」「クラクラする毎日だ」この一節は、皮肉と矛盾に満ちた日々、そしてそれに翻弄され続ける心の疲弊を端的に表しています

自分の感情にすら素直になれないまま、あらゆることが反転してしまう日々の中で、彼女は「ネガって(ネガティブになって)」「願っている」と吐露します。

この希望と諦念の入り混じった心理は、まさに虚無に取り込まれながらも、それでもどこかで「自分の居場所」を探し続けている姿なのだと思われます。

そんな中で登場するのが、「それぞれの愛が暖かな場所がある」というフレーズです。

この一節でMVは、まふゆ以外の『25時、ナイトコードで。』のメンバーひとりひとりに初めて明確にフォーカスします。

ここには、まふゆの内面世界が他者へと開かれていく兆しが感じられます。

今までは自分の孤独や苦痛しか見えていなかった彼女が、ようやく他人の存在と、その愛の形を受け入れようとしているのかもしれません。

そして、最後の「痛い」。

これまでのどの「痛い」とも違い、この一言はまるですべてを失い、すべてを知ってしまった者の、弱々しい絞り声のようです。

再び登場するのは、口元を手で覆うまふゆ。

感情を抑えるためなのか、それとも誰にも見せたくない自分の本音がこぼれそうだからか。

しかし、MVのスタッフロールの後、その沈黙の中で開く扉から「溢れ出る光」が映ります。

それを見つめる彼女の瞳は、まだ迷いと不安を含んではいますが、明らかにこれまでとは違う。

閉じた世界に初めて「外の可能性」が射し込んだ瞬間と言えるでしょう。

孤独と虚無に抗うまふゆの歌

楽曲を通して描かれるのは、まふゆという一人の少女の「痛みと希求に満ちた内面世界」でした。

「ただ愛してほしい」という切実な言葉は、抑えてきた感情の爆発であり、誰かとつながりたいという本能的な願いでもあります。

水中に沈む幻想的なMVの演出は、彼女の孤独や心の空虚さを象徴しながらも、徐々に”他者の存在”を感じさせる場面へと変化していきます。

仲間たちが寄り添う描写は、彼女の孤独が完全に壊れていなかったことを伝え、どこかで「まだ生きていたい」と願う彼女の心に、ほんの少しの灯をともしているようです。

ラスト、沈黙の中で開かれる扉から差し込む光。

その瞬間、まふゆの瞳に映るのは、終わりではなく”外の世界”の可能性でした。

孤独に閉ざされていた彼女が、ほんの少し前を向く瞬間こそが、この楽曲の持つ最大の希望なのかもしれませんね。

この特集へのレビュー

女性

ボカロだいすき!

2025/08/10 14:09

原作だとバックルームだけど真冬の方はパーテイルームになってて危険性が上がってるみたい

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