自分だけが地球にいる
数々の人気曲を産んだボカロPのn-bunaが、女性シンガーのsuisをボーカリストに迎えて結成したバンド『ヨルシカ』が5月9日に『火星人』をリリースしました。同日に公開したMVには、作詞作曲を担当したn-bunaが原案、監督、アニメーターとして初めて映像の制作に携わっています。
更に、ジャケットビジュアルもn-bunaが手掛けています。
MVは顔が真っ赤なタコの成人男性の肉体を持つ「火星人」が多種多様な言語で遊んでいる映像になっています。
そんな「火星人」の顔が白くなって目を瞑っているのがジャケットビジュアルです。
まるで、孤独に遊び尽くして一人死んでしまったような物悲しさがジャケットビジュアルにはあります。
インパクトのあるMVとジャケットビジュアルの『火星人』はアニメ『小市民シリーズ』の第2期オープニングテーマとして書き下ろされました。
『小市民シリーズ』は直木賞作家、米澤穂信原作の学園ミステリーです。
概要は「名探偵になどならず、小市民として慎ましく生きたいと願っているのに、さまざまな謎に出合ってしまう小鳩君と小佐内さんのおかしな日常と推理」です。
『火星人』がオープニングテーマとなっている第2期では、この小鳩君と小佐内さんが「たがいに助け合う“互恵関係”を解消し」それぞれ別の異性と付き合いはじめます。
n-bunaは『小市民シリーズ』の公式サイトにて「小市民的に生きたいと言うけれど、自分が特別な人間だという自意識の高さを中々捨てられないのが小鳩と小佐内の抱える魅力」だとコメントを寄せています。
第2期の副タイトル『秋限定栗きんとん事件』は原作で言うと三巻目です。
この物語では、自分は特別な人間になるんだと躍起になる人物が登場します。
まるで火星に憧れ、火星人になろうとしたような。
アニメを見ている方、原作小説を読んでいる方は、あの人のことかと伝わると思います。
YouTubeで公開された『火星人』のMVの概要欄には、以下のようなコメントが寄せられています。
「僕も昔は自分のことを火星人だと思っていました。火星みたいな、どこか特別な場所にいて、特別な何かを持っているんじゃないかと本気で思っていました。」
しかし、そうでなかったと続き「火星にいたのは他人の方で、自分だけが地球にいる。」として終わります。
自分だけが取り残されたような孤独感を『火星人』という楽曲はどのように描いているのか、歌詞の意味を今回は考察していきたいと思います。
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ぴんと立てた指の先から
爛と光って見える
ぱんと開けた口の奥から
今日も火星が見える
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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歌いだしの「ぴんと立てた指の先から」「爛と光って見える」は萩原朔太郎の『猫』という詩の一説をオマージュしたものです。
n-bunaは『小市民シリーズ』の公式サイトのコメントにて、この『猫』の一説を「本歌取りする感覚で引用しました。少しずつ形を変えて繰り返され、最後に原典の詩が出てくる形の作詞です」と説明しています。
『猫』は、1917年『月に吠える』に収録された短い詩です。
冒頭で真っ黒な猫が2匹登場し、「なやましいよるの家根のうへで、」「ぴんとたてた尻尾のさきから、」「糸のやうなみかづきがかすんでゐる。」と描かれています。
猫は二匹登場します。
『小市民シリーズ』も中心にいる主人公は二人です。
しかし、『火星人』のMVは一人の火星人が遊んでいるだけ。
なぜ、複数だったものをあえて、単一の存在にしたのかは後の歌詞を見ていくとして、歌いだしに戻りましょう。
「ぴん」という擬態語から『火星人』は始まります。
そして、次のフレーズの始まりは「ぱん」で、こちらも擬態語です。
擬態語は「物事の状態・身ぶりを、それらしく表した語」です。
『火星人』の歌詞の人物、「僕」は動いていることが分かります。
そんな僕の視界には「今日も火星が見え」ます。
火星はn-bunaいわく「特別な場所」です。
僕は特別な場所である「火星」にいる存在ではなく、見る主体のようです。
あえての「休符。」

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穏やかに生きていたい
休符。
あぁ、わかってください
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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僕は特別な場所へ行けないと自覚しています。
なら、せめて「穏やかに生きていたい」と諦めたようなことを歌います。
かと思えば、「休符。」です。
休符を調べると、「音楽の楽譜において、音が休止している時間を表す記号」と出てきます。
歌詞の休符には「。」という句点もついています。
こちらは「文章の終わり」を意味します。
音楽で言う音が休止する記号をsuisは声に出します。
音が消えるはずの記号を敢えて音で表し、続く句点の後にすぐさま「あぁ、わかってください」とも続けます。
『火星人』には他にも二度、「休符。」というキーワードが出てきます。
休符を読み上げてでも、誰かに注目されたいと渇望するような虚しさがここにはあります。
「穏やかに生きていたい」と耳障りの良いことを言ったあとに、「休符。」と注目を集めてから「あぁ、わかってください」です。
僕の本音、欲望はこの「あぁ、わかってください」なのでしょう。
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火星へランデヴー
普通の日々 普通のシンパシー
僕が見たいのはふざけた嵐だけ
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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「ランデヴー」を調べると、「会う約束、待ち合わせ(の場所)」と出てきます。
「火星」は、ここでは「特別な場所」です。
そして、「火星へ」です。
「へ」は、「に」に比べて、曖昧な方向や範囲を示します。
「火星へ行く」と「火星に行く」ですと、「に行く」の方が明確な響きを持ちます。
「火星へランデヴー」は僕の中にある「特別な場所」が曖昧で明確ではないことの表れなのでしょう。
そう考えると続く「普通の日々 普通のシンパシー」という歌詞も実体を感じにくい表現です。
更に「僕が見たいのはふざけた嵐だけ」も、その「ふざけた嵐」がどういうものかは濁している印象を持ちます。
ただ、後の歌詞と照らし合わせることで「ふざけた嵐」が何かは予想可能です。
しかし、今は脇においておきましょう。
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火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいいのに
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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ここで、「ランタンも鏡もいらない」という歌詞がでてきます。
こちらは18世紀前半の天文学者カール・フリードリヒ・ガウスが火星人に光学的な信号を送ることを構想した際に、持ち出されたのがランタンと鏡だったことを示唆しているのでしょう。
その理解の上で、「ランタンも鏡もいらない」となっているのを見ると、『火星人』の僕は実体としてある火星を目指しているわけではないことが分かります。
「火星へランデヴー」の「へ」もそうですが、僕は常に曖昧さを残し、何かを明確にすることを恐れているような印象を持ちます。
そして、その後に「僕の苦しさが月の反射だったらいいのに」です。
これは言い換えれば、僕の苦しさが何かを僕は知っていることになります。
では、なぜその苦しさが「月の反射だったらいい」と僕は思うのでしょうか。
それは続く歌詞で予想可能です。
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ぴんと立てたペンの先から
芯のない自分が見える
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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歌いだしにも出てきた「ぴん」という擬態語です。
その後に「ペンの先から」「芯のない自分が見える」と続きます。
僕はペンを使った創作をおこなっています。
それが詩なのか、小説なのか、何かは分かりません。
ただ、創作においては個人の体験、それこそ「苦しさ」を中心に据えることで、名作が生まれてきた歴史があります。
けれど、『火星人』の僕の「苦しさ」は創作には生きなかったのでしょう。
「月の反射だったらいいのに」は、苦しさがそのまま創作になったらいいのに、というクリエイターが一度は考える短絡的な結論として読み解けます。
「ペンの先から」「芯のない自分が見える」は書き上げた創作物を見た時の僕の感想なのでしょう。
自分=おまえ

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深く眠らせて
休符。
優しく撫でて
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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また、「休符。」です。
「深く眠らせて」と殊勝なことを言ったかと思えば、休符の後には「優しく撫でて」と他人に要求しています。
僕はどこまでも他人を求めています。
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火星でランデヴー
惰性の日々 理想は引力
僕が見たいのは自分の中身だけ
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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「火星へランデヴー」が「火星でランデヴー」に変わっています。
「へ」と「で」の違いはなんでしょうか。
「〜で」を調べると「動作・作用の行われる場所・場面を表す」と出てきます。
「火星でランデヴー」は「火星」を示しているのでしょう。
なぜ、僕は「火星へ」と曖昧にしていたものを、ここでは「火星で」と明確に「火星」を表したのでしょうか。
おそらく、「ペンの先から」「芯のない自分が見え」たからでしょう。
僕は「苦しさ」をもとにした創作はできなかったけれど、作品そのものは完成させることができました。
それが「芯のない自分が見える」ものだったとしても、他人に評価されて「特別な人間」だと認識されるかも知れない切符です。
作品がない状態は「火星へ」と曖昧にしか表現できなかったけれど、作品はあるのですから「火星で」と示したのでしょう。
最初に「火星へランデヴー」がでてきた後の歌詞は「普通の日々 普通のシンパシー」でしたが、今回は「惰性の日々 理想は引力」になっています。
「普通」と二度繰り返されていたものが「惰性」と「理想」になり、具体性を持ちます。
そして、「僕が見たいのは自分の中身だけ」です。
歌詞だけ見れば、この「自分」は言葉通りですが、曲を聴くと「おまえ」と明確に歌っています。
自分=おまえです。
前回「僕が見たいのは」から続けたのは「ふざけた嵐」でした。
今回は「自分(おまえ)の中身」です。
創作を生み出すものは「自分(おまえ)の中身」であり、そこにあるのは「ふざけた嵐」だと僕は認識しているのでしょう。
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自分へランデヴー
それに音楽も薬もいらない
僕の価値観が脳の反射だったらいいのに
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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ここでは「自分へランデヴー」になっています。
「火星」ではなく「自分」であり、さきほどの「おまえ」でもない「自分」です。
繰り返しになりますが、『火星人』の火星は「特別な場所」です。
その「特別な場所」へランデヴーが「自分」に置き換わっているのは、つまり「自分」が特別になれたんじゃないか、という期待です。
続く歌詞で「音楽も薬もいらない」と言います。
音楽と薬の共通点は「身体に影響を与える」ことですが、僕はそれを「いらない」と言います。
僕が最も重要視しているのは「価値観」なのでしょう。
そして、それが「脳の反射だったらいいのに」と言います。
前回「いいのに」と言っていた歌詞は「僕の苦しさが月の反射だったらいいのに」です。
「月の反射」が「脳の反射」に変わっていますが、僕が言いたいことは「価値観」がそのまま創作になったらいいのに、ということです。
僕は手を動かして地道に何かを成し遂げることよりも、他人からは見えない部分が「反射」することで映し出され、評価されないかと考えているように見えます。
それは一見すれば甘えです。
そして、そんな甘えによって、続く歌詞で僕は痛い目を見ます。
さよならあの地球

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ぴんと立てたしっぽの先から、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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こちらが萩原朔太郎『猫』の「原典の詩」です。
それを前にした僕は以下のように反応します。
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休符。
あぁ、いらいらするね
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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わざわざ「休符。」と注目を集めてからの「あぁ、いらいらするね」です。
前の2回の休符では、その前に「穏やかに生きていたい」や「深く眠らせて」と取り繕ったことを言えていましたが、今回はそれもなく真っ直ぐな感情を表しています。
ただし「ね」で終わります。
まるで、誰かに共感を求めるように「いらいらするね」です。
休符の後の僕はどうしても他人を求めてしまうようです。
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火星へランデヴー
惰性の日々 理性の毎日
君に足りないのは時間と余裕だけ
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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萩原朔太郎『猫』の原典の詩という本物を前にした時の僕は「いらいら」した結果、どのような結論に至ったかは分かりません。
ただ、ここでは「火星でランデヴー」と前回は言っていたのが「火星へランデヴー」に戻っています。
完成した作品では「特別な場所」へ至れないと実感したのかも知れません。
しかし、「惰性の日々 理性の毎日」と続きますので、「普通の」と濁していた頃よりは進歩していることが伺えます。
更に、ここで「君に足りないのは」と「君」が出てきます。
『火星人』の歌詞の中で唯一の「君」であり、その後の「時間と余裕だけ」はボーカルのsuisではなく合唱となっています。
つまり、君に足りないのは「時間と余裕だけ」と他人に言われた形です。
その足りないものへの指摘に対し、歌詞にはありませんが、suisが小さく「はい」と答えているのが聞き取れます。
『火星人』の歌詞の僕は、MVの火星人よろしくずっと一人で特別な何かを持っているんじゃないか、とのたうち回っているだけでした。
しかし、このフレーズだけは他人と出会い、小さくですが「はい」と答えてコミュニケーションを取っています。
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火星へランデヴー
さよならあの地球の引力
僕が見てるのは言葉の光だけ
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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相変わらず、「火星へ」です。
ただ他人とコミュニケーションを取れたことで僕の中で変化がありました。
「さよならあの地球の引力」とは、他人とコミュニケーションを取れず、一人のたうち回るように過ごしていた日々に別れを告げているのでしょう。
過去のそんな日々から離れて「僕が見てるのは言葉の光だけ」と現状を認識します。
今まではずっと「僕が見たいのは」と、目の前にはない何かを探し彷徨っていました。
しかし、ここではもう「見ているのは」と言い切っています。
他者とのコミュニケーションによって、僕は確実に成長しています。
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火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいい
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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僕は「言葉の光」を見ています。
もう、それだけで十分ですが、続く歌詞はあの頃に少し戻ります。
現実の火星を目指すために必要な「ランタン」と「鏡」を否定します。
その上で、「僕の苦しさが月の反射だったらいい」と一度切ります。
今なら苦しみをもとにした創作ができるかも知れない、と期待したのかも知れません。
次こそ、僕が望む火星に行けるかも知れない。
そう思って苦しさを「月の反射」のように創作に取り組んだのでしょう。
その結果は、最後に小さく付け加えられます。
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のに
≪火星人 歌詞より抜粋≫
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他者と出会えたとしても、結局は「特別な場所」に僕はいけないんだな、という実感を得て『火星人』は終わります。
いつか他人と出会うために
『小市民シリーズ』と萩原朔太郎『猫』は、二人と二匹のモチーフが中心に据えられています。その二つに強い影響を受けて作られた『火星人』はMVから一人であり、孤独感のつきまとう楽曲となっていました。
しかし、丁寧に歌詞を読み解いていくと、『火星人』の僕は他人を不器用でも他人を求め続け、特別にはなれないけれど、他人と出会うことができました。
特別にはなれなくても人は人と出会うことができるし、自分を変えることもできます。
『火星人』という歌詞は一読する限りでは孤独で行き場がないように思えますが、他人を求め続けた先で誰かが答えてくれる。
そんな少しだけ希望を残してくれるような楽曲になっています。
ぜひ、今は一人だと思う全員が『火星人』を聴いて、誰かと出会えた時に特別な火星に行けなくても、ここは良いところだなと実感できたらと思います。