「他人事」とSNS
中島健人は2011年11月に『Sexy Zone』のメンバーとしてデビューしました。ケンティーの愛称で親しまれ、「セクシーサンキュー」「サンキューデリシャス」と語る姿をバラエティ番組で見れれた方も多いのではないでしょうか。
そんな中島健人は2024年3月31日に『Sexy Zone』を卒業します。
その際、「Sexyと共に生きた、この12年は僕の誇りです。30歳という節目に、新しい道を決めましたが、どんな道を歩もうと、これからもSexyであることは変わりません」とコメントしています。
『Sexy Zone』というグループ名や、卒業コメントの「これからもSexyであることは変わりません」と言うことから、中島健人の中でSexyは重要なものだったのでしょう。
実際、中島健人が卒業した後『Sexy Zone』は『timelesz』に改名したことにも、彼のグループの中での役割の重さを伺い知ることができます。
一方で、中島健人のソロ活動は『Sexy Zone』の頃のイメージとは異なったイメージを打ち出します。
グループ卒業後の第一歩としてキタニタツヤとのユニットGEMNを結成し、アニメ「【推しの子】」第2期のオープニング主題歌「ファタール」で大きな話題を呼びました。
その後、間を開けることなく、ドラマ『しょせん他人事ですから ~とある弁護士の本音の仕事~』の主演と主題歌を担当し、更にその作詞も担うことを発表します。
その楽曲が、今回歌詞を考察する『ヒトゴト』です。
歌詞についてはインタビューで、「“他人事”というよりは、なんでも考え込んじゃうような“自分事”タイプ」だった中島健人は「でも、ドラマの主人公の保田(理)先生から“他人事”という言葉をもらって」と答え、ドラマの内容からフレーズのヒントを得たことを明かしています。
タイトルとなっている『ヒトゴト』はつまり「他人事」のことですが、公式のコメントでは「SNSのような俯瞰からみれば小さな社会を人々は重大な事として見てしまう。その時間の中で何を愛するべきか、自分らしさとは何か。そんなメッセージを歌詞に込めさせていただきました」とも答えています。
「他人事」とSNSを通して描かれる「自分らしさ」を探す『ヒトゴト』の歌詞の意味を今回は考察していきたいと思います。
----------------
淡々と諸行無常の街の 雑踏に追い詰められてく
相対するこの狭い世界を今 愛するべき?否
わからないや
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
まず、「諸行無常」という単語を調べると「万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえないこと」と出てきます。
淡々と変化、消滅がたえないものと言われると、中島健人自身が公式のコメントで答えているSNSが浮かんできます。
「諸行無常の街の 雑踏」はSNSの比喩なのでしょう。
それに彼は「追い詰められて」いきます。
続く「相対するこの狭い世界」が自分の世界なのでしょう。
SNSに追い詰められていく自分自身を「愛すべき?」と問い、「わからないや」と答えます。
ここで注目したいのは「わからないや」と言う曖昧な態度です。
皮肉な「笑っちゃう」

----------------
ありえないゲスト 気づけばディストーション
ディスだらけるセッション 飛び交う鳥たち
愛のないメンション ヒトリボッチテンションが下がり
暗いのらりくらりと
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
SNSの魅力と問題点はフォローさえすれば無名・有名関係なく一つの画面に平等に表示させられる点です。
そのため、SNS上に突然「ありえないゲスト」が現れることがあります。
続く「ディストーション」の意味は「歪み、ねじれ。(事実)などの歪曲、曲解」です。
この、ありえないゲストが彼の発言を「ディストーション(歪曲)」してしまったのでしょう。
結果、歌いだしのような「雑踏に追い詰められてく」状態に彼はなってしまいました。
ゲストが「ディストーション(歪曲)」したのはSNS上であったため、「飛び交う鳥たち」が「ディス」「だらける」「セッション」と反応を見せます。
わざわざ、彼に対して「愛のないメンション」を送る人もいたようです。
彼は「ヒトリボッチテンションが下がり」ながら、「暗いのらりくらりと」とありますので、言い合いなどには発展させず、のらりくらりとやり過ごします。
----------------
未だにわからないと答えを探してる
そんなに知りたいなら手を伸ばせばって笑っちゃう
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
ここの彼が探している「答え」は「ディストーション(歪曲)」されてしまった理由だとすれば、分かりやすいです。
続く歌詞の「知りたいなら手を伸ばせばって笑っちゃう」は、実際には手を伸ばしていません。
その前に笑ってしまっています。
なぜ、彼はここで「わからない」答えを求めて、手を伸ばしきらず、途中で笑ってしまったのでしょうか。
次の歌詞を見てみましょう。
----------------
こんな世の中 愛じゃ救えないのかな
どんな話もまるで ヒトゴトのよう
マジョリティにNo No と叫べばいいさ
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
彼の言う「こんな世の中」とは、SNSの発言を「ディストーション(歪曲)」され、「ディス」「だらける」「セッション」し、「愛のないメンション」が送られてくる、ことを指します。
そんな世界を「愛じゃ救えないのかな」と彼はぼやきます。
SNSが普及する前と後で「愛」の価値は変わりません。
ただ、SNSの登場によって、「愛は◯◯を救う」と言うキャッチコピーを真面目に語ることは難しくなりました。
それは単純にSNSという場がダイレクトに水を差したり、ツッコミを入れることが出来てしまう性質に起因する問題です。
結果、「愛」なんて言う照れくさくなるような単語からは距離を取って、多くの人が「どんな話もまるで ヒトゴトのよう」に接していきます。
「マジョリティにNo No と叫べばいいさ」と彼は皮肉げに言います。
確かにマジョリティ(多数派)に対して物申すことが良しとされる文化がSNSにはあります。
----------------
指先が嘘を撫でる世だから
ヒトゴトでしょ 自分は自分らしく
笑ったもん勝ちでしょ
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
SNSに流れて来る情報や感情が必ずしも「本当」である保証はどこにもありません。
また、SNSと現実を繋いでいるのは「指先」だけです。
彼の言う世の中を「こんな」ものにしているのは「指先」であり、嘘か本当かを確認する必要もない「ヒトゴト」な感覚です。
そんな「世の中」に対し、彼は「自分は自分らしく」「笑ったもん勝ちでしょ」と、SNSに価値観を握られることなく、笑えれば勝ちだと言います。
さきほど「笑っちゃう」という歌詞がありました。
こちらでは笑っていて、今回は「笑ったもん勝ちでしょ」と実際に笑っていません。
「笑っちゃう」の歌詞は、SNSで起こった「ディストーション(歪曲)」に対して「知りたいなら手を伸ばせば」と言う行為に対して、笑っています。
SNSという「指先」が作る「こんな世の中」に問うことに対して、彼は笑っています。
この笑いはどこか皮肉げです。
嘘か本当か分からない世界に、正解を求めるのですから。
これが答えです、と言われても彼はそれが正解か判断ができない不毛さを彼は理解しているのでしょう。
切り離された自分

----------------
絡まったmatterからまさかの答え
固まった罠から空へ
ハッと気がついたら時も手遅れ
朝までバッハと踊り狂って
苦渋を噛み締め 自分を苦しめ
言の葉 心が痛んで
コトなき得たアイツとマリオネットのように踊り子と虜ゲーム
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
『ヒトゴト』の彼は、ここまで常に曖昧な態度を取っていました。
狭い世界を愛すべきか? という問いに「わからないや」と言い、愛のないメンションに「のらりくらり」反応し、どんな話も「ヒトゴト」のように受け止めます。
そんな彼に「matter(案件)」から「まさかの答え」が返ってきます。
おそらく、彼のSNSでの発言が「ディストーション(歪曲)」されたことによる「まさかの答え」だったのでしょう。
それは「固まった罠から空へ」放り出されるような状態であり、彼はすでに「手遅れ」で、「朝までバッハと踊り狂」うような状況になっていたのでしょう。
この「手遅れ」な状態を打開するために彼はSNS上で言葉を紡ぎます。
彼の言葉は「苦渋を噛み締め」て絞りだし、「自分を苦しめ」ながらのものであり、「心が痛んで」きます。
その結果、「コトなき得たアイツとマリオネットのように踊り子と虜ゲーム」となります。
ここで「アイツ」が出てきます。
このアイツは誰を指すのか定かではありませんが、彼の炎上には巻き込まれなかった人物のようです。
そんな「コトなき得たアイツ」と共に「マリオネットのように」踊ることで、彼の発言を別のゲームにすり替えようと試みたのでしょう。
----------------
何もない感情 サディスティックな同調
大人さえ無表情の状況
ありきたりなその声を聴いても無駄
無駄ってわかっていた
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
彼と「コトなき得たアイツ」の「虜ゲーム」は、「サディスティックな同調」を生みました。
この状況を前に「大人さえ無表情の状況」のため、彼らの企みは失敗に終わったようです。
彼の発言を世間からそらすことはできず、「無駄」「無駄ってわかっていた」とぼやきます。
----------------
ひび割れた硝子 体を揺らし叫んでる
無機質な言葉と心 ポケットに隠してゆく
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
SNSで他人を責め立てる人たちの欲望は相手が取り乱したり、壊れるところを見たいというものがあります。
そんな彼らの欲望に応えるように彼は「体を揺らし叫」びます。
ただ、同時に「無機質な言葉と心 」をポケットに隠していきます。
SNSの彼と現実の彼が乖離していっているのでしょう。
つまり、ここまで彼はSNSと現実を同一化していたことが分かります。
彼がSNSで迂闊な発言をしてしまったのだとすれば、それはSNSの自分を「ヒトゴト」と認識できていなかったからでしょう。
本当に思ったことを素直に書いてしまう。
そういうSNSの運用をしていたのかも知れません。
----------------
ああ沈んでいた心も 少しずつ浮いてゆく
深々としてるベッド ヒトゴトのように
≪ヒトゴト feat. Kento Nakajima 歌詞より抜粋≫
----------------
SNSの炎上に限らず、多くの傷は時間と共に癒やされていきます。
彼の「沈んでいた心も」「少しずつ浮いてゆ」きます。
「深々としてるベッド」に横たわった自分を彼は「ヒトゴトのように」感じて、歌詞は終わります。
SNSの自分を「ヒトゴト」のように切り離した彼は、最後には現実の自分もまた「ヒトゴト」のように切り離してしまいました。
サビにある「 自分は自分らしく」「笑ったもん勝ちでしょ」の笑いは彼に訪れませんでした。
「小さな社会」の「ヒトゴト」

中島健人は公式コメントの中で、「SNSのような俯瞰からみれば小さな社会を人々は重大な事として見てしまう。その時間の中で何を愛するべきか、自分らしさとは何か」としています。
『ヒトゴト』はまさに、SNSの「小さな社会」を「重大な事として」受け止め過ぎてしまった結果が描かれていました。
しかし、同時にどんな傷であっても日常がそれを癒やしてくれることも『ヒトゴト』の結論だったように思います。
心から傷ついた時、それを真正面から受け止めるのではなく、まるで「ヒトゴト」のように受け止めることで、傷をそれ以上深めないでいられる。
そんな作用も『ヒトゴト』にはあるように感じます。
言葉は良くも悪くも曖昧で、嘘にも本当にもなってしまう危ういものですが、受け止める自分はそこにいます。
自分を「ヒトゴト」のように受け止めても、自分は自分です。
「小さな社会」の中で、何を愛するべきかと言えば、それは結局、自分なのでしょう。
追い詰められたり、自分の言葉が正しく他人に伝わらなかった時、この『ヒトゴト』を聞いて、心が少しずつ浮かんでいくのを待つのも良いのではないでしょうか。