「いつも通りの日々」を演じる
2025年7月13日に配信リリースされたVaundyの新曲『再会』は現在放送、配信中のTVアニメ『光が死んだ夏』のオープニング主題歌として書き下ろされました。『光が死んだ夏』は『このマンガがすごい!2023』オトコ編第1位に輝いたモクモクれんの漫画が原作の青春ホラーです。
あらすじは「ある集落で暮らす少年、よしきと光。同い年の2人はずっと一緒に育ってきた。
しかしある日、よしきが光だと思っていたものは別のナニカにすり替わっていたことに気づいてしまう。
それでも、一緒にいたい。友人の姿をしたナニカとの、いつも通りの日々が始まる」というもの。
アニメでよしきの声を演じた小林千晃が「よしきはコミカルな場面でも淡々とツッコむことが多いので、「このやり取り、何十回もしてるんだろうな」と感じてもらえるよう心がけました」とインタビューで回答しています。
ナニカとの生活であっても「いつも通りの日々」を過ごすことが、『光が死んだ夏』にとって重要なことが伺えます。
Vaundyはアニメの公式サイトにて「原作漫画を読んだときに感じた、ページを捲る度に何が起こるかわからない不安感をそのまま曲にしました」とし、最後に「あなたがもう一度会えるとしたら誰に会いたいですか?」と問いかけてコメントを終えています。
この問いを体現するように森山未來と窪塚愛流が出演する『再会』のMVでは、「森山演じる主人公が窪塚演じる亡くなったはずの親友(窪塚愛流)と不思議な再会を果たし、思い出の場所を巡りながら、かつての楽しかった日常を取り戻していくストーリー」となっています。
重要なのは2人の男の子であり、片方が一度失われてしまっている、ということです。
その上で『再会』というタイトルを見ると、この再会は2度目の別れを強く意識させます。
本来であれば1度で済むはずの別れを、もう一度体験しなければならない切なさをVaundyは『再会』の中でどのように描いているのか、歌詞の意味を考察していきます。
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one more time
もう少しで起こすよmagic
超TRY
光を貸してBody
≪再会 歌詞より抜粋≫
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歌いだしは「もう一度」の意味の「one more time」です。
すでに一度目はあったことが伺えます。
「もう少しで起こすよmagic」「超TRY」「光を貸してbody」と続く歌詞を見ると、『光が死んだ夏』の光とすり替わったナニカの視点であることが分かります。
アニメの1話でなぜ、光の中にナニカが入ったのかは定かではありません。
ただ、禁足地となっている山に入って死んでしまった光に、ナニカが潜り込んだらしい、ということは分かります。
そして、光の体で人間のフリを始めたナニカは、よしきに「……お前、やっぱ光ちゃうやろ」と指摘されます。
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どうにかしてでも
一つ願い、聞いてくれ
どうこうよりも
一つ想い、悟ってくれ
≪再会 歌詞より抜粋≫
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よしきに光ではない、と指摘されたナニカは「誰にも言わんといて」と懇願します。
歌詞の「どうにかしてでも」「一つ願い、聞いてくれ」は、この懇願を意味するのでしょう。
ナニカの願いは人として生きることです。
今回で言えば、光という人間でいることであり、その理由は「学校もアイスも全部初めてで楽しかった」からです。
ナニカは光の記憶を共有し、模倣することが可能です。
ただ、それは模倣なだけで実際に体験することとは違います。
「どうこうよりも」「一つ想い、悟ってくれ」の想いは、この人間としての体験を奪わないで欲しいことを意味するのでしょう。
歌詞をナニカの視点として読むと、余裕がないことが分かります。
とくに「どうにかしてでも」という部分にはなりふり構わない必死さが伺えます。
本編で言えば、よしきの指摘の後、ナニカは誰にも言わないで欲しいと懇願すると同時に「お前を……殺したない」と脅しています。
ナニカは自身が望むためなら、よしきを殺すことを厭わない歪んだ存在であることが、このシーンからは伝わってきます。
2人が「目を閉じあうたび」

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宇宙一の悲しみと
霧覚める静けさと
僕の心拍で
もし
≪再会 歌詞より抜粋≫
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ここで「僕」という一人称が出てきました。
ナニカとすり替わった光の一人称は「俺」ですので、この「宇宙一の悲しみと」「霧覚める静けさ」を感じているのは、よしきです。
よしきにとって光の喪失は「宇宙一の悲しみ」。
それこそ光ではないナニカを受け入れるほどには、よしきにとって彼の死は受け入れがたいものでした。
ちなみに『再会』のジャケットは光が描かれているのですが、上から黒い線が幾つか垂れ下がっています。
この黒い線はよしきの前髪であることがアニメを見ると分かります。
つまり、『再会』のジャケットはよしきが見る光の姿となっています。
とすると、右半分の影になっている方がナニカ、日が当たっている方は生前の光をよしきは見ていることになります。
よしきはナニカを受け入れたようでいて、結局は生前の光をナニカの中に見出してしまっています。
根本のところでよしきは光の死を受け入れきれていません。
そのために出てくるのが「もし」のくり返しです。
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もしもここから
また出会えるのなら
この先は
一瞬も一寸の隅も
忘れず全部覚えておこう
≪再会 歌詞より抜粋≫
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先程の「もし」のくり返しの次が「もしここから」です。
よしきは4度の「もし」という前置きをしてから「また出会えるのなら」と続けます。
この「出会える」相手は光です。
光は一度死にナニカとすり替わって、よしきの前に姿を見せました。
先程の『再会』のジャケットではよしきの中で、ナニカと生前の光が混ざって見えている、と書きましたが、半々であっても、記憶があっても光が光でなくなってしまったことは変わりません。
新たに出会った光との「一瞬も一寸の隅も」「忘れず全部覚えておこう」と思うよしきの気持ちの根底にあるのは、光を一度失った経験から来るものでしょう。
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目を閉じあうたび
まぶたで久しく
君に出会えるから
また夏で話そう
≪再会 歌詞より抜粋≫
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「目を閉じあうたび」という表現は「互いに〜しあう」の意味です。
だとすれば、この歌詞は2人が「目を閉じ」あっていることになります。
続く「まぶたで久しく」「君に出会えるから」の歌詞から目を閉じることで、しばらくぶりに「君」と出会うことができます。
『光が死んだ夏』という作品を見ていくと、よしきの中に過去の光がいるように、光の中にも現実とは異なるイメージのよしきがいることが分かります。
2人は目の前にいる現実の他者を見ながら、実際は自らの中にいる都合のいい、あるいは、都合の悪い空想の相手を見てもいます。
「また夏で話そう」とは、夏を理想化したようにも読み取れますが、Vaundyの歌に耳を傾けると「夏」を「ここ」と言っているのが分かります。
「またここで話そう」が実際に聞こえる歌詞です。
夏が「ここ」であるように、よしきも光も互いを見ているようで、見ていないことがこの歌詞から伺うことができます。
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one more night
もう少しで起こすよmagic
超HIGH
もうすでに力んでるマジ
≪再会 歌詞より抜粋≫
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歌いだしと同じ英語の歌詞ですので、視点がよしきからナニカに移ったのが分かります。
そして、英語の意味は「もう一夜」を意味する「one more night」です。
前回は「もう一度」でしたが、今回は「一夜」と時間帯を限定しています。
一度と一夜の違いは切実さが異なります。
次の「もう少しで起こすよmagic」は前回と同じであり、「magic(魔法)」はまだ歌いだしの時から起こっていないことが分かります。
「超HIGH」「もうすでに力んでるマジ」と続く歌詞の「HIGH」は「高い」の意味であり、魔法が起こることのハードルの高さが伝わってきます。
ナニカは『再会』の歌詞の中で追い詰められています。
最初に「光を貸してbody」とあるように、あくまでナニカは光に体を借りているだけです。
借りたら返す。
それはとても当たり前のことです。
「未知なるモノ」に対する感情

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宇宙一の快感と
咳き込める重圧と
僕の情熱で
もし
≪再会 歌詞より抜粋≫
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「僕」ですので、よしきの視点に変わりました。
よしきは光の姿をしたナニカと過ごす中で未知と「快楽」を同時に味わいます。
作者のモクモクれんはインタビューの中で、よしきが光の腹に手を入れるシーンについて「エロティックに感じる人もいれば「気持ち悪い」と不快に感じる人もいるだろうと考えて描きました。
どちらの感情も正しく、まさに主人公よしきの感じている感情です。
「未知なるモノ」に対する感情は「恐ろしさ」だけでなく時に性的であったり、時に不快であったり、とても複雑なものであってほしい」と答えています。
『光が死んだ夏』という作品の根底にあるのはこの「「未知なるモノ」に対する感情」です。
そして、Vaundyはその根底にあるものを「宇宙一の快感と」「咳き込める重圧と」と表現します。
よしきは快感と重圧の中で「僕の情熱」によって、現状を打開できないかと考え始めます。
しかし、ここで言う「もし」のくり返しは、さきほどの「もしもここから」には繋がりません。
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黄泉の果て繋ぐ呪文と航路の
在処など僕が知らなかったら
君はそれでも、胸の奥僕の何かの
在処をそれでも、探すだろうか
ねぇ、もしも
≪再会 歌詞より抜粋≫
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光とすり替わったナニカはよしきの傍にいようとします。
そして、夏祭りでよしきにナニカは「あのさ、俺さ、代わりになれへんかもやけど。お前のこと、絶対守るし。お前のお願いならなんだって聞いたるから」と言います。
ナニカはよしきにとっての光の代わりになれないことを理解します。
その上で、「お前のお願いならなんだって聞いたるから」とよしきに伝えるわけですが、ここで浮かぶ疑問があります。
歌詞に戻りましょう。
「黄泉の果て繋ぐ呪文」は光の中にナニカが入り込んだ現象そのものです。
それを「僕が知らなかったら」とよしきは仮定します。
ナニカは「それでも、胸の奥」「僕の何かの在処を」「それでも、探すだろうか」とよしきは疑問に思います。
これはつまり、よしきが光の中にナニカがいると気づかなかったとしても、ナニカはよしきの傍にいて「お前のお願いならなんだって聞いたるから」と言っただろうか? という問いです。
よしきはここで、ナニカに傍にいて欲しいと思ってしまっています。
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もしもここから
また出会えるのなら
これまでの
一瞬も一寸の隅も
忘れず全部覚えておこう
≪再会 歌詞より抜粋≫
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前回の「もしもここから」「出会えるのなら」と想定している相手は光でした。
生前の光を求めて、しかし、その光はもういないことの喪失を飲み込むために、「もし」を4度くり返して、「これまでの」「一瞬も一寸の隅も」「忘れず全部覚えておこう」と思います。
この「覚えておこう」は、すでに存在しない生前の光に向けた感情でした。
言い換えれば前回の感情の中にナニカは含まれていません。
しかし、ここまで来て「忘れず全部覚えておこう」の中にナニカも含まれてしまいました。
よしきが「……お前、やっぱ光ちゃうやろ」とナニカに指摘した時、懇願しながら「お前を……殺したない」と遠回しな脅しをするような存在を彼は受け入れてしまいました。
出会いが「再会」になる。

本楽曲は『再会』というタイトルの曲でありながら、歌詞には一度も「再会」という単語は出てきません。
その代わり「出会えるなら」と「出会えるから」という単語が何度もでてきます。
『光が死んだ夏』という作品が、そもそもよしきにとって一番再会したい人と再会できないことが決定づけられている物語になっています。
にも関わらず、本楽曲のタイトルは『再会』であり、くり返し「出会える」と歌われます。
『再会』の歌詞の重要な点は、出会いだったはずのものがいつの間にか再会になってしまったことにあります。
Vaundyは公式のコメントで「あなたがもう一度会えるとしたら誰に会いたいですか?」と問います。
『再会』という曲を聴き込むことは、もう「再会」できないはずの人と「再会」できてしまう。
そういう現実ではあり得ない場所へ連れていかれる怖さが『再会』にはあります。
ぜひ、夏の暑い夜に「再会」したい人を思い浮かべながら、『再会』を聴いて歩いてみてはいかがでしょうか。