「生まれてきたよりも前」の納得感
『Glass Heart』はNetflixで2025年7月31日から世界独占配信が開始された『グラスハート』の劇中歌です。『グラスハート』は1993年から現在にかけて書き継がれ、不朽の名作として知られる若木未生原作のライトノベル小説です。
そんな『グラスハート』をNetflixシリーズとして映像化するにあたり、主演と共同エグゼクティブプロデューサーを務めたのが佐藤健です。
インタビューにて佐藤健は「僕は日本のエンタメをもっと盛り上げたいんです。そのために、今必要なのは王道のエンターテインメントだと感じています」と答え、「日本発のアジアスターを生む」ために『グラスハート』という作品が必要だった、と語っています。
そんな『グラスハート』のあらすじは「所属バンドを理不尽な理由でクビになったドラマー・西条朱音が、孤高の天才ミュージシャン藤谷直季率いる4人組の新バンド・TENBLANK(テンブランク)にスカウトされる」というものです。
主演である佐藤健が演じたのは、孤高の天才ミュージシャン藤谷直季です。
佐藤健は藤谷直季の魅力について「僕は天才だから言ってることに間違いはない。僕の言う通りにしたら君たちは幸せになれる」と宣言できるところだと語ります。
それは「藤谷の自信とか傲慢さの表れとかそういう単純な話」ではなく、「何かを決めるということはとても難しいことであり、自分が責任を取るということ」を藤谷直季は率先して言っているところに、「強い憧れ」を持つと佐藤健はインタビューで答えています。
佐藤健は『グラスハート』の藤谷直季に憧れ、そうなりたい自分を重ねていることが伺えますが、一方で彼はエグゼクティブプロデューサーです。
エグゼクティブプロデューサーとは、制作プロジェクトにおいて、出資者側から関わる上位の責任者で、プロジェクトの全体的な監修・管理を担い、製作に責任を持つ人物です。
実際、インタビューなどを読むと、ドラムの西条朱音役を演じた宮﨑優はオーディションで選ばれていますが、その他のキャストは佐藤健自身でオファーを出しています。
『グラスハート』で最も重要になる音楽についても、佐藤健がRADWIMPSの野田洋次郎の家に直接行って話をしたようです。
今回、歌詞の考察を行う『Glass Heart』も野田洋次郎が作詞作曲を担当しています。
劇中バンド、TENBLANKのメンバー(佐藤健、宮﨑優、町田啓太、志尊淳)を集めたインタビューで、『Glass Heart』はクランクインする前にできあがっていた曲だったと語られています。
しかし、実際に撮影が進んでいく中の映像を野田洋次郎が観て、「改めて自分で曲を聴くと全然グッとこなかったので、書き直してみました」と、『Glass Heart』のラストのサビの歌詞とメロディが変わったことが明かされています。
その時のことを佐藤健は「まるで藤谷なんですよ」と振り返っています。
『グラスハート』は天才ミュージシャン、藤谷直季がTENBLANKを作って、世の中を席巻していく様が描かれる物語です。
中心には天才、藤谷直季が作る音楽があります。
そんな難解なオファーを真正面から受けて立ち、物語に説得力を与えている楽曲を作ったのが、野田洋次郎です。
天才としての説得力をどのように楽曲の中に落とし込んでいったのか、『Glass Heart』の歌詞の意味を考察していきます。
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生まれてきたよりも前に 聞こえていた 歌があった
形なんか何もないが それ以外はすべてあった
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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歌いだしのフレーズを聞いた佐藤健は「殴られたような感覚」があったとインタビューで語っています。
『グラスハート』の天才ミュージシャン、藤谷直季はまさに「生まれてきたよりも前に 聞こえていた 歌があった」キャラクターです。
野田洋次郎はキャラクターの本質をワンフレーズで的確に表現しています。
一方で、相対性理論などで現代物理学の基礎を築いたアルベルト・アインシュタインが「天才とは努力する凡才のことである」という言葉を残していますが、藤谷直季はこの努力よりも前にすでに「歌があった」天才です。
ただし、「形なんか何もないが それ以外はすべてあった」と続くことで、当然ですが藤谷直季は「生まれてきたよりも前に」「歌があった」ことは証明できません。
あくまで藤谷直季がそう言っているだけです。
しかし、周囲のキャラクターたち(と視聴者)はこの天才が言うんだから、そうかも知れない、と説得されてしまう感覚に陥ります。
『グラスハート』の本編で、このフレーズが流れるのは最終話の1つ前の9話です。
8話分の蓄積によって、藤谷直季の天才っぷりは示されており、視聴者としても「生まれてきたよりも前に」「歌があった」と言われて、納得感があったのも確かです。
「正しくない音など一つとない」が揺れる

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名前なんかない想いが 集まって 僕になった
だとしたら怖いもんは 何もないや そう思えた
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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TENBLANKのメンバーであるギタリストの高岡尚、ドラマーの西条朱音、ピアニストの坂本一至は藤谷直季と出会う前までは、個々に自らの美学と想いを持って演奏していました。
しかし、そんな彼らが藤谷直季と出会うことで、TENBLANKの音になっていきます。
『グラスハート』という物語の1つの側面では、そのように解釈することが可能です。
そう考えれば、「名前なんかない想いが 集まって 僕になった」の「僕」は藤谷直季ではなく、「TENBLANK」と考えた方が良さそうです。
続く歌詞の「だとしたら怖いもんは 何もないや そう思えた」は、藤谷直季にとっての主体を自分1人から、TENBLANKにしてしまうことで、怖いものはなくなった、と彼は思えたのでしょう。
この「思えた」ことが、『Glass Heart』という楽曲にとって重要なことです。
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正しくない音など一つとない 揺るがない その真実だけで
優しくない世界を生きていける と思ってたなのに
Tell me why?
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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ここで、さきほどのTENBLANKとしての「僕」の「怖いもんは 何もない」の根拠が示されます。
「正しくない音など一つとない 揺るがない その真実」です。
TENBLANKは「名前なんかない想いが 集まって」できたバンドです。
個々の人間が自らの美学を持って演奏しながら、TENBLANKというバンドの音を出すことを藤谷直季は要求してきました。
『グラスハート』の本編を見ると、前半では常にこの藤谷直季が作る音に寄せてしまう、あるいは、TENBLANKの音をまったく無視してしまうメンバーの苦悩が描かれます。
TENBLANKは藤谷直季が作る音楽であっても、藤谷直季そのものではありません。
その事実に藤谷直季は「怖いもんは 何もないや」と思えて、「優しくない世界を生きていける」とさえ考えます。
しかし、「Tell me why?(理由を教えてください)」という歌詞になります。
この「Tell me why?」は『グラスハート』の本編で『Glass Heart』が流れるシーンを見れば、何を指しているのかすぐに分かります。
『Glass Heart』は、解散しかけているTENBLANKのメンバーを繋ぎ止めるために作られた楽曲なんです。
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いつも
「なんで?」って何度も聞く君が なんで何も言わないんだよ
なんでこんなに静けさが 騒がしく 暴れるんだ
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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佐藤健が言う藤谷直季の魅力は「僕は天才だから言ってることに間違いはない。僕の言う通りにしたら君たちは幸せになれる」と宣言できるところでした。
この宣言によって決められる方針に対して、メンバーは常に「なんで?」と尋ねます。
その度に、藤谷直季は彼なりの言葉で説明してきました。
説明を聞いて納得されるか、反発されるかは置いておいて、「なんで?」という問いがありました。
しかし、『Glass Heart』が制作されるきっかけとなった藤谷直季の秘密は、メンバーに「なんで?」と問われるようなものではありませんでした。
問答無用で解散を宣言されてしまう。
そこに藤谷直季の意見が挟み込まれる余地はありません。
問いかけのない状態を「なんでこんなに静けさが 騒がしく 暴れるんだ」と表現されます。
藤谷直季にとってメンバーが離れていくことが如何に苦しいことかが、この歌詞によく現れています。
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「なんで?」って何度も聞く君が なんで何も言わないんだよ
黙っていないでほら ここで 静寂を切り裂いてくれよ
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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続く歌詞も、さきほどのくり返しです。
ただし、その後は「運命もろとも 君の手で 粉々に 切り裂いてくれよ」と藤谷直季の破滅的な願望が垣間見えます。
彼自身が追い詰められていることも伝わってきます。
「だけど」「それさえ足蹴に」

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この鼓動が速まるたびに 終わりを手繰り寄せるけど
この命壊されるなら 君がいい
Tell me why?
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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藤谷直季の破滅的な願望は、より悪化していき、ついには「この命壊されるなら 君がいい」にまで達します。
この君は当然、メンバーたちでしょう。
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運命の怠惰な筋書きで 出逢う僕ら だけど
それさえ足蹴に二人は より高く舞う
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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終盤に差し掛かり「運命の怠惰な筋書きで 出逢う僕ら」と、藤谷直季は歌います。
歌いだしで「形なんか何もないが それ以外はすべてあった」と宣言している藤谷直季ですが、彼の中にないものがあります。
それが運命と神様です。
もし仮に天才に運命を操作する力があったなら、「君」と呼びかけるTENBLANKのメンバーともっと早くに出会っているか、あるいは藤谷直季が抱える秘密自体をなかったことにしたでしょう。
しかし、藤谷直季にそんな力はありません。
運命と神様の前では、彼はその「怠惰な筋書き」に従う他ありません。
「だけど」と歌詞は続きます。
「それさえ足蹴に二人は より高く舞う」と、ここで運命を受け入れて、それを利用してやる強かさを藤谷直季は見せます。
また、歌詞の中に「二人は」とあります。
藤谷直季の他にもう1人『Glass Heart』の制作に関わった人物がいます。
その人物がいたからこそ『Glass Heart』は完成し、運命を足蹴にすることができました。
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その刹那 ひと刹那に鳴り響くような
神様でさえもまだ 聞いたことない音が
君とならきっとまだ 鳴らせるような そんな
気がしたんだ
≪Glass Heart 歌詞より抜粋≫
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藤谷直季はTENBLANKを結成したことで、怖いものはなくなったと思っていました。
それは本編で語られてもいますが、「誰と一緒に音楽をやっても独りぼっち」という感覚が藤谷直季の中にあったからです。
TENBLANKを結成することは藤谷直季にとって「独りぼっち」ではなくなった証明だったと言えます。
だとすれば、TENBLANKの解散は藤谷直季が「独りぼっち」に戻ってしまうことを意味しているはずでした。
しかし、解散の危機に直面した中で共に楽曲制作を手伝ってくれる人物がいた。
TENBLANKがもし解散したとしても、藤谷直季はもう「独りぼっち」じゃないのかも知れない。
そんな予感が藤谷直季の中にあるからこそ「その刹那 ひと刹那に鳴り響くような」と今を肯定します。
少なくとも、『Glass Heart』を制作している今この瞬間は独りじゃありません。
そして、「神様でさえもまだ 聞いたことない音が」「君とならきっとまだ 鳴らせるような」と続きます。
ここで「まだ」とあることから、藤谷直季はTENBLANKの解散を止められないと思っていたし、TENBLANKの楽曲以上のものをもう1人では作れないと諦めてもいたのでしょう。
そう考えれば、『Glass Heart』を制作するきっかけを与え、共に制作をしている人物は藤谷直季にとって恩人と言っても過言ではありません。
「独りぼっち」にならず、また、解散寸前のTENBLANKのメンバーを繋ぎ止められるかも知れない。
そんな希望が歌詞のラスト「そんな」「気がしたんだ」に滲み出てきたように思えます。
結果はまだ分からない。

Netflixシリーズ『グラスハート』が「日本発のアジアスターを生む」1作になっているかは、今はまだ分かりません。
10年後、20年後から振り返った時に『グラスハート』がきっかけとなって、アジアスターが生まれ、日本発の作品群が世界を席巻しているかも知れません。
少なくとも『グラスハート』には10年、20年を超えて愛される情熱と試行錯誤が込められた作品でした。
まだ、『グラスハート』を見られていない方がいれば、ぜひ見てみてください。
本編を見た後に『Glass Heart』を含むTENBLANKの楽曲を聞くと、全然違った景色が見えてきますし、佐藤健が藤谷直季に強い憧れを抱く気持ちが分かってきます。