「君」と出会って「僕は生まれた」
2025年10月13日に配信リリースされた米津玄師の新曲『1991(ナインティーンナインティワン)』は実写映画『秒速5センチメートル』の主題歌として書き下ろされました。『秒速5センチメートル』は2007年に公開された新海誠監督による劇場アニメーション作品です。
新海誠と言えば『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』のすべてが国内興行収入100億円を突破した国民的アニメーション作家であり、『秒速5センチメートル』は、そんな彼の原点とも言える作品です。
公式サイトに掲載されている新海誠のコメントでは『秒速5センチメートル』について、
「皆が理由もなく傷つき、傷つけられ、いつもなにかが満たされずにいる」「でも20年前は、その『なにもなさ』が私たち自身の姿であり生活」だったとして、「それを掬いあげるようなアニメーション映画を作ろうと思っていた」
引用:https://5cm-movie.jp/
と説明しています。
米津玄師は『秒速5センチメートル』が公開された頃に観て「当時の自分にとってどこか心当たりがあるものだった」とインタビューで答えています。
また、小説版『秒速5センチメートル』を「修学旅行に持っていって、大部屋の隅で1人で読んでいた記憶」もあると答えていることから、特別な作品だったことが伺えます。
今回、実写版の監督を務めたのは奥山由之です。
米津玄師と同い年であり、2人とも本楽曲のタイトルである『1991』年生まれです。
奥山由之はポカリスエットのCMや星野源などのMVを手掛け、昨年の2024年には自主制作オムニバス長編映画『アット・ザ・ベンチ』を公開しました。
そんな奥山由之は米津玄師の『感電』や『KICK BACK』のMV制作も手掛けており、『秒速5センチメートル』の主題歌について
「誰に依頼しよう?と考える間もなく、米津さんにこの作品を解釈してもらったうえで楽曲を書いていただきたいなと、お願いしました」
と『GINZA』に掲載された二人の対談で答えています。
米津玄師は奥山由之との対談の中で、
ラッシュ映像(編集前の映像素材)を観て、「台詞の一言一句が全部自分に刺さ」り、「それが抜けなくなる感覚」の中で「自分がこの映画に曲を作るとなると、どうしても自分の半生を振り返るようなニュアンスが入ってこざるを得なかった」
と語っています。
実写版『秒速5センチメートル』のあらすじは「1991年、春。」と始まります。
アニメーション版では90年代初頭という設定でしたが、実写版では明確に「1991年」と明記されています。
これは監督の奥山由之が定めたものです。
時期が定められたことで「18年という時を、異なる速さで歩んだ二人が、ひとつの記憶の場所へと向かっていく」というあらすじの一文が、現実的な重みを持って立ち現れてきます。
奥山由之は主題歌である『1991』について
「エンドロールで『1991』を聴いているときに、多分いろんなシーンを思い出す。でも、米津さんの曲を聴いている中で思い返すシーンというのは、本編で観ていたときとちょっと変わるというか。認識の余白みたいなものを拡張してもらえている感覚がありました」
と語っています。
米津玄師にとって「半生を振り返るようなニュアンス」を持ち、監督である奥山由之いわく「認識の余白みたいなものを拡張」するような楽曲となっている『1991』の歌詞にはどのような意味が込められているのか、その意味を考察していきます。

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君の声が聞こえたような気がして僕は振り向いた
1991僕は生まれた 靴ばかり見つめて生きていた
≪1991 歌詞より抜粋≫
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『秒速5センチメートル』のキャッチコピーは「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」です。
このキャッチコピーによって、「きみ」に狂おしいほど会いたい僕の気持ちが伝わってきます。
ちなみに、このキャッチコピーはアニメーション版、実写版共に共通です。
「僕」は狂おしいほど「君」に会いたいと思っています。
それこそ「君の声が聞こえたような気がして」振り返ってしまうほどに。
ここで重要なのは「聞こえて」振り向いたわけではないことです。
実際に「君」の声は響いてはいません。
「僕」が聞いた「君の声」はあくまで、僕の脳内が作り出したものでしかありません。
あくまで「聞こえたような気が」しただけです。
では、なぜ「僕」は脳内で「君の声」を作り出してしまうほどに、「君」に会いたいと思っているのでしょうか。
それは「1991僕は生まれた」からです。
言葉通りに受け止めるのなら、「僕」は1991年生まれなのかな?と思ってしまいますが、続く「靴ばかり見つめて生きていた」を踏まえるとそうではありません。
1991年に僕はすでに「靴ばかり見つめて」はいるにしても、生きています。
だとすれば、「僕は生まれた」とは、どういう意味でしょうか。
素直に解釈すれば、1991年に「君」と出会って「僕は生まれた」のでしょう。
靴ばかり見つめていた「僕」の顔を上げさせてくれた存在なのが、「君」です。
そして、そんな「君」と出会ったことで「僕」は「生まれた」、人生が始まったと感じたのでしょう。
「落ちる桜」は戻らない

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いつも笑って隠した 消えない傷と寂しさを
1991恋をしていた 光る過去を覗くように
≪1991 歌詞より抜粋≫
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歌いだしから分かるように「僕」は「君」を失っています。
キャッチコピーの「どれほどの速さで生きれば」また「君」に会えるのかを、「僕」は常に考え、ふいに「君の声が聞こえたような気がして」しまうほどに追い詰められています。
とはいえ、そんな「僕」の「消えない傷と寂しさ」は「いつも笑って隠」されています。
「僕」は社会性を持った1人の人間であることが、ここから分かります。
そして、「1991恋をしていた」です。
また1991年に戻っています。
ただ、「光る過去を覗くように」と続きます。
前回の1991のあとは「僕は生まれた」で、今回は「恋をしていた」です。
どちらも現在から「1991年」を振り返っています。
当時の「僕」は分かっていなかったけれど、現在の地点から振り返れば「君」との出会いによって「僕は生まれた」し、「恋をしていた」のだと気付いたのでしょう。
まさに「光る過去を覗くように」して、気付いた真実はどれも「僕」にとって、「君」の存在がいかに大きいかを実感するものでした。
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ねえ こんなに簡単なことに気づけなかったんだ
優しくなんてなかった 僕はただいつまでも君といたかった
≪1991 歌詞より抜粋≫
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「君」との出会いが「僕」にとって、自分がこの世界に生まれたんだと実感するほど大きなものだったとは当時は思っていなかったのでしょう。
失ってしまった現在から振り返れば「こんなに簡単なこと」だったとしても。
現在の「僕」の願いは「ただいつまでも君といたかった」だけです。
ただし、これは「君」を失った今だから、そう思えることです。
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雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか
≪1991 歌詞より抜粋≫
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この時点で「僕」は分かっています。
時間は過去から未来にむけての一方向にしか進行することはなく、「雪のようにひらりひらり落ちる桜」が元に戻ることはありません。
「僕」の選択肢は「君」が不在となった人生に耐える他ないのです。
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どこで誰と何をしていてもここじゃなかった
生きていたくも死にたくもなかった
≪1991 歌詞より抜粋≫
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現実の時間は常に一方向にしか進行しませんが、自分の内なる時間は過去と今と未来が綯い交ぜになってしまうことがあります。
その結果、歌いだしの「君の声(過去)」が聞こえたような気がしてしまいます。
今、この瞬間を生きる実感が持てなくなってしまうと「どこで誰と何をしていてもここじゃなかった」「生きていたくも死にたくもなかった」とすべてが曖昧になってしまいます。
存在しない「君」

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いつも遠くを見ているふりして 泣き叫びたかった
1991恋をしていた 過ぎた過去に縋るように
≪1991 歌詞より抜粋≫
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「僕」はそんな曖昧な世界に耐えられなくなっています。
「いつも遠くを見ているふり」はそんな現実から抜け出そうとする「僕」のささやかな抵抗です。
しかし、「泣き叫びたかった」と続けていることから、その方法では曖昧な世界から抜け出せないようです。
また、ここで「泣き叫んだ」と断言できないところに、「僕」の迷走っぷりが伝わってきます。
結局、1991年に「恋をしていた」僕にできることは「過ぎた過去に縋る」だけです。
現在でも未来でもなく、「僕」は過去に生きることを選びます。
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ねえ 小さく揺らいだ果てに僕ら出会ったんだ
息ができなかった 僕はただいつまでも君といたかった
≪1991 歌詞より抜粋≫
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ここの「ねえ」は存在しない「君」への呼びかけです。
「僕はただいつまでも君といたかった」は前回にもありました。
その際、このフレーズの前は「優しくなんてなかった」でした。
そして、今回は「息ができなかった」です。
存在しない「君」は「優しくなんて」ないし、そんな「君」を前にしても「僕」は「息ができ」ないんです。
僕の願いは「ただいつまでも君といたかった」と、そんな簡単なことも実現しないんだ、と悲観的なニュアンスが含まれたフレーズとなっています。
ですが、「僕」の願いを細かく見ていけば1991年の輝かしい「君」といたかった、になります。
過去のもう存在しない「君」とは、どんな方法をもってしても会うことはできません。
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1991僕は瞬くように恋をした
1991いつも夢見るように生きていた
≪1991 歌詞より抜粋≫
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1991年にはもう「君」はいません。
なぜなら、1991年はすでに終わり、過去となってしまったのですから。
しかし、「僕」はまだ1991年にいます。
「瞬くように恋をした」瞬間に囚われて抜け出せずにいるのです。
『1991』という楽曲の『僕』は、この1991年という「夢」から抜け出せぬまま終わります。
ただ、「いつも夢見るように生きていた」という最後のフレーズは、そういう自分を客観視できたようにも思えます。
1991年に囚われている「僕」を僕が認めたのだとすれば、「君の声(過去)」が聞こえたと振り向いたとしても、また前を向き直すことができます。
「なにもなさ」が私たち自身の姿

『1991』の終わりに、過去に囚われている自分自身を認めたとするなら、これは新海誠の言う「なにもなさ」を認めたと言うことが可能です。
「なにもなさ」を言葉通りに受け止めれば、そこには何もありません。
しかし、それが「私たち自身の姿」だった時代がゼロ年代には確かにありました。
少なくとも新海誠はそう感じていたからこそ『秒速5センチメートル』という映画を作り、多くの人の心を打ちました。
「なにもなさ」そのものを「ある」ものにする。
このプロセスを受け止めたからこそ、米津玄師は『秒速5センチメートル』の主題歌を作ることは「自分の半生を振り返るようなニュアンス」があったと語ったと考えられます。
そして、20年が経った今、この「なにもなさ」そのものを「ある」ものにするプロセスを曲にする時、さらに先にある20年を『1991』は捉えて作られた。
過去と未来を繋ぐために『1991』は制作されたからこそ、奥山由之が言うように、映画のエンドロールで『1991』を聴くと「認識の余白みたいなものを拡張してもらえている感覚」を覚えるのです。
ぜひ、映画に留まらず、「なにもなさ」が漂う生活の中で『1991』を聴いてみてください。
思わぬきっかけで、「認識の余白」を拡張できるかもしれません。