舞台で輝く姿が久部の野望と重なるYOASOBIの「劇上」
YOASOBIの突き抜けるようなボーカルと、どこかクールな空気感。それと相反するように暑苦しい空気を孕んだドラマ主題歌と聞いて、意外な印象を受けました。
しかし、本編が1984年の空気をたっぷり感じさせる熱風のような暑さを伴っているからこそ、エンディングで流れるYOASOBIの声が心地よいのです。
タイトルは『劇上』。
ドラマの舞台となっている「劇場」ではありません。
WS劇場であり、久部が夢見る舞台であり、人生という舞台。
そのステージの上で踊り、生きる人々すべてに届ける歌だからこそ『劇上』というタイトルがしっくり来るのかもしれません。
YOASOBI史上初となる連ドラへの楽曲提供。
三谷幸喜がドラマのために書き下ろした『劇場ものがたり』を元に楽曲を制作した点も、非常に興味深いです。
さらに、コンポーザーのAyaseがボーカルを務める初の楽曲という点も注目ポイント。
YOASOBI本人に加え、菅田将暉と二階堂ふみも出演する豪華なMVとなっています。
ドラマとリンクする楽曲を、歌詞の意味に注目しながら深堀していきましょう。
1984年の街の空気を切り取ったような歌詞が新鮮

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踊れ dance!
暗闇の中で
踊れ dance!
野晒しの舞台で
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』は、自分の作った劇団を追い出された久部三成が、渋谷のストリップ劇場・WS劇場に夢を見出す物語です。
1984年を舞台に、現在の街とはかけ離れた、夢と欲望の渦巻く光景を描く本作。
人生を舞台に準えたドラマとリンクする歌詞が印象的です。
人生という舞台は必ずしも脚光を浴びることもなく成功も保証されない、まさしく「野晒しの舞台」といえるでしょう。
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「やってらんないな」
「冗談じゃないわ」
叫び出してしまいそうな想いが
誰もがそうだ
僕もそうだ
彷徨い歩けど 行き止まり
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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久部が辿り着いた渋谷は、人で溢れかえり、ネオン輝く煌びやかな世界ながら、混沌としています。
夢が溢れているように見えて、落ち目のストリップ劇場の未来は暗く、行き詰まり感が漂っていました。
人もモノも溢れているのに閉塞感があるのは、令和の世の中に通ずるものがあるかもしれません。
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この街は理想郷か
はたまた夢の墓場となるか
色めき立つ喧騒の
隙間に点るネオン灯
人知れず動き出す舞台があった
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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久部は、渋谷の八分坂に夢を見ますが、それは果たして叶うのか。
光に誘われる虫のように人が群がる街は、どこか空虚です。
自分の舞台で、自分らしい表現で成功を掴むという野望に燃える久部。
その奮闘ぶりと空振り加減が、煌びやかで空虚な八分坂とリンクします。
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まばらに人と人
閑散としたダンスホール
静かにただ
主役を待つスポットライト
流れるミュージック(流れるミュージック)
誰もが着込んだ不安ごと
脱ぎ去る夜
幕が上がる
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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WS劇場が閉鎖の危機を迎えた第2話で、久部はどうせ終わってしまうならと、劇場として生まれ変わる道を提案しました。
それは自分の舞台を取り戻すという久部の野望でもあります。
自らの野望を取り戻すためにWS劇場を利用する久部の強かさが、歌詞と重なりますね。
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踊る dance!
暗闇の中で
きらりゆらりと
星も見えない夜に舞う
そこに写し見えた影法師
明日を探す僕らのシンボリズム
踊る dance!
肌身をあらわに
強かに舞う姿が美しい
やがてこの幕が降りた時
僕らは何者へと帰るのか
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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WS劇場で生きる人たちは、ギリギリの対応を迫られながらも自分の仕事に誇りを持って仕事に臨んでいます。
ストリップ劇場としての終焉を迎えそうなWS劇場の人たちが、久部と共にどのような道を歩むのか。
幕が上がったばかりの舞台に胸が膨らむ感覚と、彼らの人生を応援したくなる、2話の終わりに抱いた胸の高鳴りがリンクしているのが見事です。
不格好さも惨めさも情熱に変える強かさ

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もしも世界が
舞台ならば
これも与えられた役回り?
たとえば 拍手喝采
完成された喜劇に身を賭して
指差され笑われる日々は
悲劇なのか
「このままでいいのか いけないのか」
それも全ては自分次第みたいだ
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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ストリップという仕事も、演劇も、人に評価されなければ笑われることも、蔑まれることもあるでしょう。
ましてや久部は自ら立ち上げた劇団を追い出され、WS劇場は時代に取り残された存在です。
それでも、自分の仕事や選んだ道に誇りを持って進むのか否かで、その後の人生は大きく変わっていくのでしょう。
久部が「こんな仕事」と言ったストリップの仕事に誇りを持ち、下に見られることを許さないWS劇場のダンサーたちの強さを思い起こさせます。
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救いのない日々も憂いも
物語の一幕だとしたら
たとえ今が哀れでも無様でも
主役を演じ切る命であれ
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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自分を哀れんだら、残るのは惨めな気持ちだけです。
どんな役回りであれ、人生の主役は自分。
すべては自分次第だと割り切って思いきり楽しめと背中を押してくれるような歌詞が痛快です。
生きる力を刺激する「劇上」が今だからこそ刺さる理由

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踊れ dance!
今この劇上で
この身ひとつ
明日も見えない夜に舞え
今は誰も見向きもしない
そんな役回りでも知ったことか
踊れ dance!
野晒しの舞台で
がむしゃらに生きる僕らは美しい
いつかこの幕が降りるまで
この命を演じ続けるのさ
この命を見せつけてやるのさ
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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10月15日時点で物語はまだ3話。
劇場の人たちも久部の夢も、まだ動き出したばかりです。
その先の人生が悲劇になるのか奇跡になるのかは誰にも分からないこと。
それでも自分の可能性や好きなことを信じ、夢を追いかけてがむしゃらに突き進む彼らのエネルギーは、見ている者の心に突き刺さります。
スマートに生きることが美徳とされがちな現代に逆行するような、暑苦しく不器用な彼らの生き様は、令和の世の中に活力を呼び戻してくれるのかもしれません。
がむしゃらな生き方故の美しさがそこにはあるのです。
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今この劇上で
踊れdance!
この幕が降りるまで
≪劇上 歌詞より抜粋≫
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舞台役者が、幕が降りるその瞬間まで魂を込めるように、人生という幕が降りる瞬間まで精一杯命を輝かせようじゃないか。
何をするにも情熱より効率が優先されがちな現代に、あえて昭和の熱気を呼び込むドラマの意義を感じます。
この先の展開が気になりますね。
物語が進むにつれて、主題歌『劇上』の印象も変わっていくのかもしれません。
そんな点にも注目しながら、見守りたくなる作品です。
