新曲「Unhappy birthday構文」のMVやパフォーマンスが話題
2025年10月29日(水)に13thシングルとしてリリースされる「Unhappy birthday構文」。10月16日(土)に楽曲が先行配信、同日にMVが公開されました。
10月20日(月)放送の『CDTV ライブ!ライブ!』でテレビ初披露されると、そのパフォーマンスがSNSでも大きな反響を呼びました。
歌詞とMVには「祝福の皮をかぶった違和感」「誕生日という定型への反逆」といった強いメッセージが込められており、考察を通してその深層に迫ります。
櫻坂46「Unhappy birthday構文」歌詞を考察
「祝われる日」に対する違和感

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Just another day, what to do with my life?
誕生日がやって来る度 絶望を感じるよ
充分に生きて来たのに まだまだ先は長いなんて…
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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MVでは、食卓を囲みながらも浮かない表情のメンバーが映し出され、祝う場でありながら「ただの義務」とも見える風景を提示しています。
ここでは「誕生日=祝福」という前提が裏返され、「来年も変わらず歳を重ねること=絶望を感じる」という虚無感が浮かび上がります。
祝われる対象でありながら、実際には祝福されるべきことではない。
そんな矛盾を孕んだ冒頭です。
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僕が望んで生まれたんじゃない 親の事情だろう
何の因果でこんな世に生み落とされたか
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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ここでは「生まれてくること」に対する根源的な疑問が提示されます。
生まれたいと願ったわけでもないのに、親のエゴで生み落とされたという強烈な考えを持っている「僕」。
生きてきた中で、この世に対して「憎しみ」や「諦め」の感情を抱いていることが伺えます。
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自称親友の皆様が自己満のサプライズで
テンプレのケーキのロウソクの火を消せと言う
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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このフレーズは、「祝福」という形式の裏に潜む他者の承認欲求や、偽りの親密さを描いています。
「自称親友の皆様」と表現されていることから、親友と自称できるほどの仲の良さを装ってはいるものの、「僕」にとっては無理に作り上げられた関係に過ぎません。
表面的なつながりの虚しさが滲みます。
MVでは運ばれたケーキの表情が歪み、メンバーがそれを食べる様子が描かれ、祝福の儀式が形式化・消費化されていることを皮肉たっぷりに暗示しています。
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ハッピーなんかではない 願いもない
無理に作った笑顔はぎこちない
来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?
庇(かば)い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに
人生は終わっているんだ
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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ここで明らかになるのは、「僕」が「生」に対して抱くマイナスの感情の原因です。
それは、表面的な関係や慰め合いばかりで停滞しているこの世の中にあります。
庇い合い、許し合い、傷を舐め合う日々は、一見優しさに溢れているようで、どこか惰性的で自己欺瞞的。
「僕」にとって、そんな世の中で生きることは、すでに「意味のある生」を失っていることと同義です。
生きてはいるが、内側ではもう終わっている。
そんな生の空洞化こそが、核心にあります。
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Unhappy birthday to me. 歳の数だけ揺れてる
Unhappy birthday to me. 不安な炎に照らされ
Unhappy birthday to me. 僕はどんな顔をしてる?
Unhappy birthday to me.
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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ここで描かれるのは、年を重ねるごとに増す不安。
「不安な炎に照らされ」という描写は、内面の焦燥や恐れが自分を包み込む様子を象徴しており、光で照らされることで逆に自分の脆さが際立つように見えます。
「僕はどんな顔をしてる?」という問いかけは、自分の感情を客観的に見つめる自己不信を象徴しています。
祝福されるべき誕生日すらも、安心や喜びの源ではなく、自己の揺らぎや孤独を映す鏡となっているのです。
命と存在を見つめる視点

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もしも 世界に生まれる命が
毎日 限られているとしたら
大切な今日 その一つが
僕でよかったのかって思う
きっと他の誰かが生まれたら
世の中の役に立ってたんじゃないか?
自分なんかには もったいない命
どう遣えばいい?
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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自己存在への疑念と罪悪感を象徴する一節。
この世の中を否定的に見ることしかできない自分の命に価値があるのか、他者と比べて正当化できるのかを考える「僕」の不安が浮き彫りになります。
MVで見せる、メンバーが整然と並ぶ構図や硬直した笑顔は、孤立感や、この閉塞した世の中に馴染むように生きることへの疲労感を象徴しているように感じられます。
最後にメンバーが覆いかぶさるように寄りかかるシーンは、慰めと抑圧が入り混じる感覚を象徴しているようです。
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他の誰の誕生日でも 何も感動なんかしないよ
365日 同じことを繰り返してる
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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虚しさを感じるのは、自分が主役でない時でも同じ。
日常の単調さや、祝福の儀式に対する無感動や疑念が感じられるフレーズです。
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こんな残酷な“生き甲斐ゲーム” 生き残れるのか?
この先の人生 考えりゃ 祝えるわけがない
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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さらに「こんな残酷な“生き甲斐ゲーム” 生き残れるのか?」では、人生をいかに生き甲斐を持って生きられるかという競争として捉え、それにより発生する義務の連続に意味を見出せない虚無感が強調されます。
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誰かと繋がりが欲しいだけの交換会さ
過剰な包装をしてどんなプレゼントくれる?
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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人と「庇(かば)い合い 許し合い 傷舐め合ったり」して生き甲斐を感じるために、人は誰かと繋がろうとする。
繋がるために、プレゼントを贈る。
「僕」にとって、誕生日というものは、人を繋ぎとめておくだけの表面的な儀式のように映っているのです。
MVでは、浮遊する無数のプレゼントボックスが登場します。
プレゼントボックスは、薄っぺらな感情の象徴として機能し、手をクロスさせるメンバーは、プレゼントを拒絶しているかのように描写されています。
続く間奏のシーンでは、村井優が周囲に合わせて踊るものの、作り笑顔に虚無や諦めが滲む表情を見せます。
ここには、他者の期待に応えながら生きることの疲労感と、自己の感情を押し殺す日常の重さが表現されています。
MV全体を通して、表面的な「祝福」に合わせる姿勢と、内面の揺らぎとの対比が鮮明に描かれています。
心の解放と自己肯定へ動き

----------------ここでは、これまでの虚無を覆すような希望の芽が描かれます。
生きていてよかったといつか思えるのかな?
世界中の誕生日に 共感できる奴はいるだろう
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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これまで「人生は終わっているんだ」などと断定的に人生と世の中を否定していましたが、「生きていてよかったといつか思えるのかな?」という問いが生まれます。
微かですが、自己肯定への希望を示しているように思えるフレーズです。
そして、世界中の誕生日に共感できる人がいるのかと自問することで、孤独の中にも他者とのつながりを模索する心の動きが描かれています。
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ハッピーなんかではない 願いもない
無理に作った笑顔はぎこちない
来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?
庇い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに
人生は終わっているんだ
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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再び登場するというフレーズは、改めて自己の内面での虚無を鮮烈に描いています。
MVで、メンバーの前にそれぞれ置かれた石。
先日公開されたアーティスト写真でも石が積み重ねられていたことから、ここに何かメッセージが込められていると考えられます。
積み重ねられた岩で思い浮かぶのは、賽の河原の石積み。
石積みは、親よりも先に亡くなってしまった子が、親不孝の罪を償うために毎日行う行為です。
しかし、積み上げた石は必ず鬼に壊されてしまいます。
このように、毎日同じことを繰り返しても、無駄になったり、終わりが見えなかったりして空虚な日々が続く様子は、この曲で繰り返し表現されている、人生の虚しさと一致します。
MVで、一人一人の前に石が置かれているということは、世の中に生きる人が皆、賽の河原の子供のように、繰り返される義務と苦悩に縛られ、真の安らぎや充実を感じられない状態にある。
つまり生が空洞化していることが視覚的に表現されているのです。
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Unhappy birthday to me. バースデイソングを歌うな
Unhappy birthday to me. クラッカーなんか鳴らすな
Unhappy birthday to me. もしも自分の意思で
Unhappy birthday to me. 生まれ変われるんなら
Unhappy birthday to me. 僕は僕に言いたい
Happy birthday to me.
≪Unhappy birthday構文 歌詞より抜粋≫
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最後に、「もしも自分の意思で...生まれ変われるんなら...僕は僕に言いたい Happy birthday to me」と歌われる部分は、自己肯定と再生の可能性を象徴します。
MVでは、村井優が最後に跪いて手を伸ばす動作を見せ、長く抱えてきた不安や虚無を経て、自己への祝福と承認に至ることを願う、言わば「生」に対する微かな希望を持ったという心の変化を視覚的に描写しています。
櫻坂46「Unhappy birthday構文」が問いかける、生きる意味

メンバーの作り笑顔や、石などが象徴的に登場するMVが、「祝われること」や「生きること」の形骸化を浮き彫りにします。
しかしラストで「僕は僕に言いたい Happy birthday to me」と歌う瞬間、ほんのわずかに自己を肯定しようとする光が差し込みます。
櫻坂46はこの曲で、祝福の裏に潜む痛みと、それでも生きようとする再生の希望を、鋭くも繊細に描き出しているのです。