大森元貴が手がける「news zero」新主題歌「催し」の歌詞の一部が明らかに
2026年3月30日より、『news zero』の新テーマソングとしてオンエアが開始された「催し」。SNSでは早速、その予想を裏切るアグレッシブなサウンドに「良い意味で裏切られた」「ふり幅が凄すぎる」と驚きと歓喜の声が相次いでいます。
『news zero』は「明日をよくする」をコンセプトに掲げる日本テレビ系の報道番組。
そんな番組に寄り添う形で制作された本楽曲について、大森元貴は次のように語っています。
「わからない。
なにがわからないのかわからない。
そんな世の中だと思ってます。
知りたい、理解したい、愛したい。
そんな優しい歩み寄りが、報われる世の中であってほしいと日々願っております。
小さな幸せも、大きなうねりも、全てが催しものであり、楽しむも、悲しむも、嘆くも、自由だと思いますが、ひとまず。
取り急ぎ。
僕は僕の人生を深く楽しみたい そんな風に思います。」
引用:https://news.ntv.co.jp/category/culture/d492de9afb5341498b5a660352b25d73
タイトルである「催し」という言葉。
一般的には「行事」を指しますが、ここでは世間で起きる事象をあえて「客観的な出し物」として捉えるような、独特の距離感を感じさせます。
日々流れる凄惨なニュースや、感情を飲み込む社会の渦に対し、あえて一歩引いた視点を持つこと。
自分の人生という舞台で上演される「催し」と捉え直すことで、翻弄されずに「人生を深く楽しむ」という、極めて個人的かつ力強いステートメントが込められているように感じます。
大森元貴「催し」歌詞の一部で意味を深掘り
『news zero』で公開された歌詞のフレーズから、楽曲に込められたメッセージを考察します。"倍になって 不安だって
捨てる場所なんか「もうなくなっちゃった」って
ぶつけたいこの愛情は
歪な芸術に昇華されまして
優越に浸った瞬間に
足元を掬われちゃったりして
信じたこの先に 何があるのか"
ここでは、情報が氾濫する現代社会における「感情の行き場のなさ」が鋭く描かれています。
そんな中やり場のない愛情を抱えきれず外に出してしまえば、それがSNSなどを通して「歪な芸術(形)」へと変貌し、批判されたり、誰かを傷つける刃になったりしてしまう危うさ。
また、一瞬でも優越感に浸ってしまえば、バッシングや転落が待っていることも。
現代特有の「足元の覚束なさ」が表現されています。
この社会に信じられるものはあるのかという問いに、胸が締め付けられます。
"もうわかんないよ まだ知らないよ
世界を包んでいる 愛の形を
もうわかんないよ 誰かの不安感を
いつかの私が 抱きしめてあげられるまで"
大森のコメントにもあった「わからない」という言葉がリフレインされます。
他者の不安や、世界の愛を100%理解することは不可能かもしれません。
けれど、わからないからと突き放すのではなく、「いつかの私が抱きしめてあげられるまで」と、未来への歩み寄りを捨てない姿勢。
そこに、報道番組のテーマ曲としての深い慈しみと希望を感じずにはいられません。
"食う喰われる 世は報われる?
かなしいかな 打つ 夜の鼓動
麗しい景色に奪われる
たのしいかな 明日の催し"
弱肉強食の非情な現実(食う喰われる)への皮肉と、そんな世の中で「報われる」日は来るのかという疑問。
一方で、悲劇的なニュースのすぐ隣で、思わず目を奪われるような麗しい景色が共存していることも、またこの世界の真実です。
「かなしいかな」と「たのしいかな」を並べることで、そんな社会の二面性が鮮やかに浮き彫りになります。
どんなに苦しい現実があっても、夜が明ければまた新しい「明日の催し」がやってくる。
私たちはその矛盾に満ちた世界で、一つ一つの出来事を「催し」として受け入れ、生きていくしかないのだと感じさせられます。
大森元貴「催し」と共に、この不確かな時代を歩む
迷いながらも進む私たちの日々に、鋭い問いを投げかけてくれる大森元貴の「催し」。それは安易な答えを提示して安心させる歌ではなく、「わからなさ」という混沌と共に歩む覚悟をくれる一曲です。
不安や矛盾に満ちた世界の中で、それでも誰かを理解したい、愛したいと願う気持ち。
その切実で小さな一歩こそが、明日という時間を少しだけ優しくしていくのかもしれません。
世の中に溢れる「催し」をどう彩り、どう楽しむか。
答えを出すためではなく、人生を深く味わい尽くすために問い続けること。
「催し」は、不確かな時代の中で自分を見失いそうになる私たちの背中を、静かに、しかし力強く押し続けてくれる存在と言えるでしょう。