Mrs. GREEN APPLE「禁じた遊び」は6thアルバム『POPS』収録曲
「禁じた遊び」は、2026年9月30日発売の6thオリジナルフルアルバム『POPS』に収録されている新曲です。アルバムでは13曲目、「瞞(まやか)し」の次に置かれています。
「禁じた遊び」というタイトルを見て、1952年公開のフランス映画『禁じられた遊び』を思い浮かべた人もいるかもしれません。
ギターの名曲としても知られる作品です。
ただしこの曲のタイトルは、「禁じられた」ではなく「禁じた」です。
誰かに禁じられたのではなく、自分で自分に禁じた遊び。
その違いは一体なんなのか、そもそも「禁じた遊び」が何を指すのでしょうか。
ここからは、「禁じた遊び」の歌詞の意味を考察していきます。
全部持っている「あの子」と、先に嫌ってしまう私

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綺麗なものを見て
洗われる様に
自分の汚れを知る様に
あの子が死ぬほど羨ましい
だってだって全部持ってるんだもん
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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曲は、きれいなものを見て心が洗われる、という描写から始まります。
ところが、その感覚はすぐに、自分の汚れを思い知らされる感覚へとすり替わっていきます。
美しいものに触れるほど、自分の醜さが際立ってしまう。
そんな心の動きに、共感する人も多いのではないでしょうか。
そして、あの子が死ぬほど羨ましい、と打ち明けます。
理由は、あの子が全部持っているから。
子どものように同じ言葉を繰り返す口調からは、理屈では抑えきれない羨望が伝わってきます。
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月と太陽はきっと
仲が悪いんでしょ?
都合よく生きられるなら
無償の愛で私をギュッと抱きしめて
私が もういい って伝えるまで
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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このパートは、月と太陽はきっと仲が悪いのだろう、という問いかけから始まります。
月と太陽は、同じ空にありながら、昼と夜に分かれて輝きます。
光を放つ太陽と、その光を受けて輝く月。
すべてを持つ「あの子」と、それを羨む「私」の関係を、この二つに重ねているのかもしれません。
続いて、都合よく生きられるなら、無償の愛で自分をぎゅっと抱きしめてほしい、と願います。
自分が「もう十分」と言うまで、ずっと。
心が満たされるまで愛されたい、という切実な渇望が込められています。
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例えば
貴方に嫌われそうな時
それが怖いから先に嫌う
とても可哀想なワタクシです
どうかどうか許さないでおくれ
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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ここで描かれるのは、「私」の不器用な心の守り方です。
相手に嫌われそうになったとき、それが怖いから、先に自分から嫌ってしまう。
傷つく前に自分から離れる。
誰もが一度は身に覚えのある、自己防衛の形ではないでしょうか。
主人公はそんな自分を、とてもかわいそうな「ワタクシ」だと、わざとかしこまった言い方で自嘲します。
そして、どうか許さないでほしい、と続けます。
許してほしいのではなく、許さないでほしい。
自分のずるさを自覚しているからこそ、簡単に許されることにかえって耐えられないのかもしれません。
澱みの中で、気づかずに生きられる人を憎む僕

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見事なもんで
景色はただ美しい
比べて僕のこの澱みの中
あの子が狂おしく憎たらしい
だってだって一生気づかないんだもん
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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2番では、1番の「私」から「僕」へと主語が変わります。
これは、歌詞の主人公が入れ替わったことを示しているのではないでしょうか。
2番の「僕」は、1番の「私」とは別の人物です。
けれど、似たような思いを抱えて生きています。
2番は、景色がただ見事に美しい、という描写から始まります。
それに比べて、自分の心は澱んでいる。
1番と同じく、美しいものが自分の汚れを照らし出す構図です。
ただし、「あの子」に向ける感情は少し異なります。
1番の「私」が抱いていたのは「羨ましい」という気持ちでした。
2番の「僕」が抱くのは、狂おしいほどの「憎たらしさ」です。
その理由は、あの子が一生気づかないから。
自分が恵まれていることにも、誰かを傷つけていることにも気づかずに、あの子は生きていける。
そのことが、何よりも許せないのです。
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気づかないで居られる人生って
どれだけ楽かも
気づかないで居られるなんて
なんかやっていられやしないよ
本当クソもいいところ
全てに もういい って言ってしまいそう
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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気づかずにいられる人生は、どれほど楽だろう。
「僕」はそう想像しながらも、気づかずにいられるなんて、やっていられない、と吐き捨てます。
さらに、思わず口をついて出たような乱暴な言葉まで飛び出します。
1番の「私」が、自分を「ワタクシ」と呼んでかしこまった自嘲をしていたのとは対照的です。
「僕」は、苛立ちをそのまま外へぶつけています。
そして、すべてに対して「もういい」と言ってしまいそうだ、と続きます。
1番の「私」にとって、「もういい」は、満たされるまで愛されたいという願いの言葉でした。
2番の「僕」にとっては、すべてを投げ出してしまいたいという諦めの言葉です。
同じ言葉が、2人の主人公によって正反対の意味で使われているのです。
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例えば
僕が先の未来で
信じてたものが無くなって
ひどく独りをまた思い知った時
何を迷わずに捨てるんだろう
諦めるんだろう
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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このパートでは、「僕」がある未来を想像します。
信じていたものがなくなり、ひどく独りであることを思い知ったとき、自分は何を迷わず捨て、何を諦めるのだろうか。
答えは語られず、問いのまま残されます。
1番の「私」は、嫌われる前に先に嫌うことで自分を守っていました。
2番の「僕」は、失ったときに自分から手放してしまう未来を想像しています。
語り手は違っても、傷つく前に自分から離れようとする心の動きは、2人に共通しています。
1番と2番で主人公を入れ替えたのは、この苦しさが特定の誰かだけのものではないことを示すためなのかもしれません。
「私」にも「僕」にも、そしてこの曲を聴く誰にでも起こりうる感情として描かれているように感じます。
自分に禁じた遊びの先で、ようやくこぼれた本音

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揺らいだ思いに
禁じた遊びに
君を切った後には
僕も共に
昔の思いに
隠した感情
本当は誰よりあなたが好きなのに
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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ここで、タイトルの「禁じた遊び」が登場します。
揺らいだ思いと、禁じた遊び。
そして、君を切ったあとには、僕もまた一緒に、と続きます。
誰かとの関係を断ち切れば、自分もまた同じように傷つく。
1番の「私」が見せていた「嫌われる前に嫌う」という心の動きが、ここでは「僕」の言葉として描かれています。
さらに、それが相手だけでなく、自分自身をも切り捨てる行為だったことが明かされます。
そして、隠してきた感情が語られます。
本当は、誰よりもあなたが好きなのに。
先に嫌うという「遊び」は、自分に禁じてきたはずのものであり、同時にやめられずにきたものでもあったのかもしれません。
本当は好きなのに、傷つくのが怖くて遠ざけてしまう。
そのもどかしさが、このタイトルに込められているように感じます。
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楽しいことと
哀しいこと
足して2つで割っても均等になれず
幸せですとも。
それは嘘じゃない
それが僕だ 世話の焼ける僕なんだ
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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楽しいことと哀しいこと。
足して2で割っても、ちょうど半分ずつにはならない。
人生の喜びと悲しみは、決して均等には配分されない、という実感です。
それでも「僕」は、幸せですとも、と言い切ります。
そして、それは嘘ではない、とも。
世話の焼ける自分こそが自分なのだと受け入れる姿には、1番・2番で描かれた自嘲や苛立ちとは違う、少しだけ柔らかな自己肯定がにじんでいます。
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では最後に聞いて
これが本音です
全部全部わかってます
感謝もしています
でも人が僕に捧げてくれる言葉が
何故か入ってきません
それが嫌で、
≪禁じた遊び 歌詞より抜粋≫
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曲の最後、「僕」は、では最後に聞いてほしい、これが本音です、と切り出します。
すべてわかっているし、感謝もしている。
それでも、人が自分に贈ってくれる言葉が、なぜか心に入ってこない。
そして、それが嫌で、という言葉で、曲は途切れるように終わります。
周りの人の優しさも、かけてもらった言葉のありがたさも、頭ではわかっている。
それなのに、心がそれを受け取れない。
そんな自分がいちばん嫌なのだ、という本音です。
最後が句点ではなく読点で終わっていることにも、意味がありそうです。
この葛藤はまだ終わっていない。
それでも、ようやく口にすることができた。
そんな未完の告白として、深い余韻を残します。
「禁じた遊び」とは何だったのか

ここまでの歌詞から見えてくる「禁じた遊び」とは、嫌われる前に嫌い、失う前に手放してしまう心の防衛のことだと考えられます。
相手も自分も傷つけるとわかっているから、自分で自分に禁じている。
それでも、気づけばまた同じことを繰り返してしまう。
「遊び」という軽い言葉が選ばれているのは、本気で向き合うことを避けて、どこかゲームのようにやり過ごしてしまう心の動きを表しているのかもしれません。
禁じたはずなのに、やめられない。
その矛盾こそが、この曲に描かれた「私」と「僕」の苦しさそのものなのでしょう。
Mrs. GREEN APPLE「禁じた遊び」が描く、傷つくのが怖いすべての人への本音
Mrs. GREEN APPLE「禁じた遊び」は、「私」と「僕」という2人の主人公を通して、羨望や憎しみ、自己防衛といった、誰にも見せたくない感情をさらけ出した一曲でした。
嫌われるのが怖くて先に離れてしまう人、優しい言葉を素直に受け取れない人にとって、この曲は「それでもいい」と寄り添ってくれるはずです。
アルバム『POPS』の中でも特に生々しいこの本音に、ぜひ耳を傾けてみてください。
【Mrs. GREEN APPLE PROFILE】 大森元貴 (Vo/Gt) 若井滉斗 (Gt) 藤澤涼架 (Key) 2013年結成。2015年EMI Recordsからミニアルバム「Variety」でメジャーデビュー。 以来、毎年1枚のオリジナルアルバムリリースと着実なライブ活動を続け、2019年12月から行われた初の全国アリーナツアー「エデ···
