文学的な歌詞に注目
くるりというバンドは、当時、京都の大学生だった彼等が、大学の音楽サークルで出会ったことから始まる。
オリジナルメンバーは、岸田繁、佐藤征史、森信行の三人。その後、メンバーの加入、脱退を経て、現在は岸田・佐藤の二人に、女性トランペッター、ファンファンを加えて活動している。
このたび、バンドが1996年の結成から20周年になるのを記念し、オールタイムベストともいうべきシングル集が発売、後に書籍が発売される。
とりあげる曲『ワンダーフォーゲル』は、今回のシングル集にも収録されている。2001年に発売されたアルバム『TEAM ROCK』、また2006年発売のベストアルバムにも収録されている曲で、くるりのなかでとくに名曲と言われる『ばらの花』と並んで、アルバムのなかで強い輝きを放つ曲だ。
くるりの歌詞は「文学的」と評されることも多く、ぜひ、歌詞に注目して聴いてほしい。
ワンダーフォーゲル
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僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
思いでのうた口ずさむ
つながらない想いを土に返した
≪ワンダーフォーゲル 歌詞より抜粋≫
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私達は生きつづける限り、いつまでも同じところには留まれない。月日が経つにつれ、失われてしまうものがある。そのひとつが、人とのつながりだ。学生だった頃の友人。昔、お世話になった恩人。以前、付き合っていた恋人。
年月が経つと、もうやりとりがなくなってしまった人たちも少なからずいるはずだ。
「ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく」。もう交わることがなくなったせつなさを、人と人とが必ず交わす挨拶になぞらえて描写しているのが上手い。
この曲は、くるりがまだオリジナルメンバーの時につくられたものだが、これから幾たび別れを繰り返していく、バンドの行く先を暗示させるようでもある。
歩き続けていくこと
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僕が何千マイルも歩いたら
どうしようもない僕のこと認めるのかい
≪ワンダーフォーゲル 歌詞より抜粋≫
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そもそもワンダーフォーゲルとは、戦後ドイツで始まった野外活動のことで、日本では大学の山岳部のような意味合いで使われる。1マイルは1609.344メートル。千マイルだと、約1600キロになる。何千マイルなんて距離、とても歩けない。体力、精神力、時間・・・。
歩きつづけることで、たくさんのことが犠牲になるだろうからだ。
この曲の「何千マイルも歩いたら」とは、頑張りつづけることの例えとして使われている。
くるりというバンドは、20年ものあいだ活動しつづけ、今では音楽シーンが認めるビッグバンドに成長した。当時自身のことを「どうしようもない僕」と歌ったバンドは、今ではフェスの主催を務め、交響楽団との共演、映画音楽のプロデュ―スなど多彩に活躍する、実力あるアーティストに成長したのだ。
何千マイルは、途方もない距離に感じるかもしれない。けれど、歩き続けていれば、到達できるところにある。
これから、くるりは歩いて行く先で、どんな景色を私達に見せてくれるのか。くるりの歩みが楽しみになる。
TEXT 毛布