注目のTVSHOW「フリースタイルダンジョン」
気鋭のラッパーたちがMCバトルで競い合うTVプログラム「フリースタイルダンジョン」の影響もあってか、HIPHOPが注目されているこの頃。日本語のおもしろさや、言葉の持つ力を、あらためて見せつけられている。そこで今回ピックアップしたいのが、「狐火」という福島県出身のラッパー。お笑いコンビ・オードリーの若林氏が、数年前から雑誌やTVなどのメディアで紹介していたから、それで目にしたことがある人もいるかもしれない。
狐火のつくる曲の最大の魅力は、語られる言葉が、ごく普通の日本人の若者の、普段そのままの日常を綴ったものであることだ。それも闇雲にドリーミーな感じではなく、希望も不安もあくまでも等身大。
自らの生きる社会のやるせなさ、そして、その中でひとすじの光を探すようなむき出しの闘志が、並んだ言葉からじりじりするほど切実に伝わってくる。
なぜなら狐火自身、今も平日は会社員として働く、ごく普通のサラリーマンだから。(※2016年9月現在)
そして、社会を真っ向から風刺した作品も多い狐火の曲の中で、寓話っぽく、ひときわ異質に映るのがこの「ゲットーカメレオン」という曲だ。
ゲットーカメレオン 狐火
ある一匹のカメレオンが、自分の身体の色を変えながら、生き場所を探して転々とする、まるで童話のようなストーリー。カメレオンの色がくるくる変わる様子が想像できて、絵本にしたらぴったり合いそうだ。
…でも、主人公のカメレオンは、華麗に色を変えているわけじゃなく、ずっと迷いながら生きている。色を変えられることが、他の生き物と較べるとスペシャルな特技であっていいはずなのに、曲全体を通して常に生きづらそうなのだ。
カメレオンは何を指す?
この「カメレオン」って、いったい何を表しているんだろう?それは、都会で生きる、あなたや、私。――――
僕は人より周りを気にする田舎育ちのカメレオンさ
数分おきにくる電車に揺られ流行を気にしてオシャレをするのさ
ある日トカゲが僕に言ったさ「お前は周りの色に合わせすぎる
オレみたいな色で一生1本筋を通して生きろ」ってね
――――
都会に出てきたころは、まだ自分で”これ”という色を決めていない「田舎育ちのカメレオン」だった“僕”。
でも、「オレを見習ってみろ」というトカゲの言葉に従って、体の色を緑に変える。これは、まさに学生から新入社員になって、「周りに合わせて」と型にはめられる若者の状況。上司や先輩は、いつだって何となく立派そうに見えるものだ。
――――
そんな時カエルが僕に言った
「トカゲは何色にもなれる君が羨ましいんだ
君は君の好きな色で生きろ
時が経つにつれ自由は無くなり社会に染まる
だから今のうちに」
――――
けれどある時、カエルの忠告で、カメレオンは“自分の好きな色で生きてみよう”と決意する。
――――
僕は灰色になり
都会のビルの一部になった
冷たいビル風とサラリーマンに
タバコや唾をかけられた
――――
しかし、時はすでに遅し。カメレオン、つまり“僕”は、社会に迎合しすぎて体の色の変え方を忘れ、地味な灰色にしかなれなくなっていた…。
「結局、普通が楽なんだ」
ひとまず緑色に戻って社会復帰したカメレオンだが、それでも自分らしく生きるために、と体の色を次々と変えてみる。だけど。
――――
ペットショップの窓から見える空を真似して
青色になったけど僕は空にはなれなかった
青くなったことで僕の値段が上がった
小鳥が行った「やればできるじゃないか
私はあなたの空で飛ぶわ」
僕は初めて人に褒めてもらえた気がした
――――
翌日小鳥は売られて行った
ことりを買ったご婦人さんに言った
「僕も一緒に連れていって」
ご婦人は言った
「青いカメレオンなんて気持ちが悪い」
誰かの期待に答える為に幸せの黄色に色を変えた
ご老人が御利益があると買ってくれた
――――
夕焼けがキレイで赤になった
ご老人が不吉だと行った
捨てられたコンクリート ダンボール
見上げるみんなに必要とされる蛍光灯
いくら色を変えても光る事は出来ない
僕は流した涙で透明になった
こんなに世界には色が溢れているのに
――――
青色にして個性を出せば、狭い層にはウケるけど、やっぱり出る杭は打たれ。黄色にして誰かの期待に応えてみたのはいいけれど、なんだかむなしくなり。赤色になって少し反発して見せただけで、あっけなく捨てられ。
どうしていいのかわからなくなり、疲れて無色透明になってしまう――。
――――
ゴーサイン 子供の頃から夢見た
赤青黄色と優柔不断変わる信号の様
no-sain 子供の頃から夢見た
行き先は不安定ぐらいでゲットーカメレオン
――――
誰でも何色にだってなれるし、どんな色でも生きられるはずだったのに…
タイトルにもある「ゲットー」は、HIPHOPで言うところの「黒人貧民街」。けれどこれも、曲の中ではあなたがいま生きる、この街や社会のことを指す。買い物に行けば何でもそろうし、キレイなレジャー施設やグルメスポットもそこら中にある。夜だって、煌々と灯りがともる繁華街に出かけていけば、とりあえずは孤独を感じなくてすむ。見た目には、貧しいなんてふうには到底思えなくて、きらびやかで便利な街。
でも実は、仕事でも、ライフスタイルでも、何でも、四六時中目に見えないものと競い合わなくちゃならない。心の中が「ゲットー」みたいになっていく街。その中で辺りをうかがい、周りに合わせて立ち位置を変えながら生きる私たちは、この物語の中に出てくる「カメレオン」と同じだ。
本当は好きな色で、自分の思うように生きてみたいけど、どれを選んでいいかわからない。だって、何色で生きるのが正解かなんて、誰も教えてくれなかったし。そもそも正解はないし。信号のようなわかりやすい「ゴーサイン」を探すけど、それを見つけられずに「no-sain」と右往左往している。
最初は、誰でも何色にだってなれるし、どんな色でも生きられるはずだったのに。可能性があるだけに、逆に苦労してしまうなんて、おかしな話なのだけど…。
童話のようなこの曲に込められているのは、「何色が正解」ということでも、「みんなに合わせるな」や「色を変えずにぶれずに生きろ」ということでも、きっとない。
世の中には、たくさんの色があふれている。その中からあなたは何色でも選べるし、選んだ色があなたの色だ。正解はないから、選んだものを「正解」と思えばいい。
ぶれるのはいいけど、どうせ生きてるんだから、自分の選んだもの・カッコいいって思うものを信じてみろってこと。
そうすれば、時間はかかるかもしれないけれど、“自分らしく”生きられる場所だって、きっと見つかる。言葉で戦い続けている、狐火のように。
狐火のラップは、言葉の一つ一つがシビアに心に突き刺さる。でも聴いた後は、問題から目を背けずに生きていこうって、強くなれる。それはきっと、狐火自身が現実の社会の中で、一人の人間として悩みながら生きていて、空想ばかりで曲を作っていないから。
流行り廃りにとらわれず、心をうつメッセージが、彼の歌詞の中にはいつも詰まっている。
TEXT:佐藤マタリ