サカナクションは言わずと知れた5人組のバンド。ダンスミュージックに歌謡曲を混ぜ、文学性を持たせた楽曲が特徴です。このサカナクションが、2013年1月に発表したシングル『ミュージック』。
「音楽」というストレートなタイトルのこの曲は、このバンドの音楽に対する思いが表れている楽曲です。テレビドラマの主題歌だったこの曲は、プロフェッショナルというドラマのテーマをもとに、音楽のプロであるサカナクションが音楽について歌った曲。
“離ればなれ 鳥は群れの仲間が懐かしくなるのか
高い声で鳴いた 何も言わない
言わない街は静かに それを聴いていたんだ
弱い僕と同じだろうか”
前半は「鳥」に関しての歌詞が続きます。「高い声で鳴いた」ここで「声」という単語が登場。「音楽」を発する音の表現が出てきました。「弱い僕と同じだろうか」というフレーズで鳥と自分を重ねている歌詞であることが分かります。
続いて「街は静かに それを聴いていたんだ」聴き手の表現が登場します。鳥の声が聞こえてくる状況は、なんとなく音を「聞いて」いる字をあててもいいはず。ですが、あえて音楽視聴の「聴いて」の字を使っています。街は人々が集まる空間。鳥の鳴き声が街に響き渡るように自分の歌が街に響いて、それを街の人々が聴いている状況を表現しています。
“痛みや傷や嘘に慣れた僕らの言葉は
疲れた川面 浮かび流れ 君が住む町で
消えた 消えた (カワハナガレル)
消えた (マダミエテナイ マダミエテナイ)”
「僕らの言葉」というフレーズが出てきます。これも「音楽」の言い換え。音楽が川に浮かび流れるように運ばれていき、そして「君が住む町」で「消えた」。言葉が消える思いがあるんですね。鳥には街の字をあて、自分の言葉には町の字をあてています。街路が張り巡らされた大きい街から、もっと地域に根差した小さな町まで音楽が伝わっていくことをこれで表現しているんですね。鳥から自分に視点が移ることで、そして街から町に流れることで、音楽が持つスケール感も表現しているのです。
続いて出てくる「川は流れる」「まだ見えない」はなぜ( )付きのカタカナ表記なのでしょうか。これは、自分の音楽が川の流れのように「流れていく」感覚は分かるものの、音楽の本質はまだ見えない、分からないということの表れ。音楽を深く追求しているからこそ、まだまだ分からないことは多いのです。そして、その感覚は漢字ひらがなを使って分かりやすく表記するよりは( )でカタカナ表記するような、心の中で感じている感覚。言葉にするとカタコトの日本語になってしまいそうな感覚なんですね。
“濡れたままの髪で僕は眠りたい
脱ぎ捨てられた服 昨日のままだった
何も言わない
言わない部屋の壁にそれは寄りかかって
だらしない僕を見ているようだ
痛みや傷や嘘に慣れた僕の独り言
疲れた夜と並び吹く風
君の頬へ”
2番では「濡れたままの髪」「脱ぎ捨てられた服」というフレーズが登場。「だらしない僕を見ているうようだ」というフレーズも出てくることから、ダメでだらしない自分の象徴であることが分かります。
そしてそんなだらしない自分から出てきた言葉は「僕の独り言」として表現されます。「音楽」は、究極的には独り言。もし誰にも聴いてもらえなければ独り言になるしかないのです。しかし、そんな「僕の独り言」が「君の頬へ」「触れた」。言葉が、音楽がかすかに伝わる思いをこう表現しているんですね。「消えた」から「触れた」への変化で、音楽が聴き手に伝わっていく感覚を表現しているのです。
“過ぎ去った季節を待って
思い出せなくて嫌になって
離ればなれから飛び立って
鳥も鳴いてたろ 鳴いてたろ
いつだって僕らを待ってる
疲れた痛みや傷だって
変わらないままの夜だって
歌い続けるよ 続けるよ”
そして、この曲は終盤で怒涛の盛り上がりを見せます。前半から徐々に盛り上げていき、終盤で最高潮になる構成がすごいですね。離れ離れになった鳥も鳴いている。だから自分も歌う。疲れても痛みがあっても傷ついても、だらしないままでも「歌い続けるよ」という宣言で、この曲は終わります。まさに音楽に対する姿勢を歌詞にしているんですね。
山口一郎は、なかなかこの曲の歌詞が書けなかったと言います。それだけ苦労したかいあって、完成したものはサカナクションにしかできない「音楽」になっていますね。
TEXT:改訂木魚(じゃぶけん東京本部)