話題の感動作「ビリギャル」
大ヒット映画「ビリギャル」の主題歌、サンボマスターの『可能性』。
「ビリギャル」は、学年ビリだった女子高生が慶応大学に現役合格した実話を元にした映画。主演のビリギャルを演じた有村架純の可愛さ、伊藤淳史、吉田羊、田中哲司らのキャストの魅力もあり、さわやかな感動作になっています。
サンボマスターのこの曲もぴったりハマっていて、映画に華をそえています。
しかし、この映画も曲も批判しやすいのも確か。なぜなら訴えているメッセージ自体は単純なものだからです(であるがゆえにまた、共感も呼びやすい)。またこういう映画かよ!また有村架純かよ!またサンボマスターと伊藤敦史かよ!というツッコミをしやすい。
新たな可能性を見出した映画だった!?
しかしこの映画の真の「可能性」はビリギャルが慶応に受かることではありません。
有村架純のギャルメイクが結構似合っていたことです。それは原作本表紙の石川恋が、ギャルでもないのにギャルメイクをしてそれが結構さまになっていたことと似ています。
アイドル全盛、黒髪が人気と思わせて、実は「ギャル風でも似合っていたらみんな好き」という「可能性」を示したのです。
さらに「ギャル風でも慶応に受かるくらい勉強できたらみんな好き」という、相変わらずの学歴大好き日本社会における学歴ネタの新たな「可能性」も示したのでした。
そしてこの曲の「可能性」。それは、「サンボマスターのようなオッサンバンドがずっと同じような曲を歌っていても若者に共感を与えること」そのもの。
それが通用する「可能性」は本来意外と高くはないのです。サンボマスターのように、ずっとこの路線をかたくなに貫いているバンドだからこそ出る「説得力」なのです。
可能性とは、それがない・低いところから生まれることをこの曲は体現しています。
可能性
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ダメじゃないよ 僕たち
終わらせんな 可能性
誰かに笑われたってかまわないんだよ
もっと もっと 強く思ってやる
≪可能性 歌詞より抜粋≫
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サビの歌詞です。「終わらせんな」という命令口調がサンボマスターらしい。「もっと もっと 強く思ってやる」という決意、たたみかける感じもこの映画にハマります。
さらにラストは「可能性を!」「終わらせんなよ!」という熱いメッセージで締めくくられます。
「可能性」という言葉の価値
映画に感動した人はこのラストに勇気づけられるでしょう。
逆にビリギャルにもサンボマスターにものれなかった人は「いやもう終わってくれよ」と辟易することでしょう。
そんなのれなかった人こそ、他の色々な「可能性」を見つけてもらいたいものです。「可能性」とはヒットや流行とは別次元のものに価値を見出す作業であるからです。
流行にのれなかったあなた、あなたこそ映画や音楽や文化を「終わらせんなよ」!
TEXT:改訂木魚(じゃぶけん東京本部)