さユりは、福岡県出身のシンガーソングライター。人と違う感性・価値観に、優越感と同じくらいのコンプレックスを抱く“酸欠世代”の象徴というコンセプトのもと、「酸欠少女」とも呼ばれている。2017年3月1日には「クズの本懐」のアニメ・ドラマそれぞれのエンディングテーマを担当し注目を集めているアーティストだ。
今回は、さユりが2016年2月24日にリリースした2ndシングル『それは小さな光のような』に収録されている『ちよこれいと』を紹介したい。チョコレートではなく「ちよこれいと」と言い表しているのにはどのような理由があるのだろうか。歌詞を読んでいくとその理由が明らかになってくる。
アナタが「食べられない」「叶えられない」ものを私は「好き、描く、夢見る」という肯定的な表現を用いることで、私とアナタとのすれ違いを表現している。私とアナタはとことん合わない様子だ。2つ目の、「アナタが食べられない物語」の「物語=ものがたり」とその他の歌詞にある「ものばかり」では、頭韻が行われていることによりリズミカルな効果が生まれている。そのため、物語という言葉には違和感なくすんなりと聴くことができる。
実はこのアナタとのすれ違いが後々重要な意味を持ってくるのだ。
歌詞のサビでようやくチョコレートが登場する。「アナタが食べられないチョコレート」にあるようにお菓子のチョコレートの意味。アナタが食べられない具体的なものとしてチョコレートが引き合いに出されていると捉えるのが良いだろう。これだけアナタとは合わないのだから他の恋人を考えるのも当然である。
しかし、さユりの本心は本当にそうなのだろうか。
2番でようやく、タイトルでもある「ちよこれいと」という言葉が登場する。今度はチョコレートではなく、「ちよこれいと」と表現されている。「ちよこれいと」と聞いて思い浮かべるのはグリコという遊びである。グリコはじゃんけんから派生した遊びのひとつ。子供のころ遊んだ人も多いのではないだろうか。階段でじゃんけんを行い、勝った者が出した手に応じて進むことができる。チョキで勝つと「ちよこれいと」と言いながら6歩先に進む。階段の頂点に先に着いたほうが勝利といういたって単純な遊びである。
なぜ「ちよこれいとで此処まで奪いに来てみせてよ」とさユりは言うのだろうか。それには、勝った際に進める歩数が関係している。グーで勝った際には進めるのは「グリコ」の3歩だけに対して、チョキの場合は「ちよこれいと」の6歩とグリコの倍の距離を進むことができ、最も距離を稼げる言葉である。「手遅れになる前に」急いで私のもとに来てほしいという思いが「ちよこれいと」には込められている。
「私はどこかの知らない誰かと恋に落ちていくよ」と言っていたさユりだが、本当は私のいる場所まで来てほしいのだ。こんな歯痒い思いをアナタに対して感じている。
このことが具体的に表れているのが、さユりは「アナタと過ごせた未来」を想い続けていることが分かる。これが本心なのだろう。過ごせ“る”未来ではなく過ごせ“た”と過去形になっているのには、アナタが私との距離を縮めることをしなかったためだ。アナタが近づこうとしないから、私から歩み寄ろうとアナタが食べられないチョコではなく抹茶と餡子に変えたものの、アナタの態度は変わらない。「代わり」ではなく「変わり」になっているのはさユりが「変化」に重きを置いているからであろう。あくまでも「私はいまでも変わってないよ、」なのである。
『ちよこれいと』という曲名をただ食べ物のチョコレートを指すのではなく、「グリコ」という遊びに出てくる「ちよこれいと」と言い表すことによって、「私とアナタの距離」を表していた。酸欠少女のセンスが光る“チョコレート”でない理由は、そんなところに在ったのだ。
TEXT:川崎龍也