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『ためらいと勇気は似ている』 OLEDICKFOGGY「月になんて」の真意とは?

ロックを基調としながらもジャンルに縛られないバンド「OLEDICKFOGGY」。


ロックを基調としながらもジャンルに縛られないバンド「OLEDICKFOGGY」。マンドリンやアコーディオンなどを取り入れ独自のサウンドを作っている。
カントリーやフォークミュージックのような懐かしい暖かさを持ちつつ、本質を見抜く鋭く尖った日本語の詩も特徴的だ。

相当な数のライブをこなしながらも、良質なアルバムをたびたび発売している。2014年に公開された映画「クローズEXPLODE」では劇中での演奏でも出演しており、その人気を不動のものにしたバンドだ。

今回はその映画でも演奏した彼らの代表曲「月になんて」をご紹介したい。


“躊躇いと勇気は似てるから 踏み出した足は半歩でも前に
進む時間と 時代は僕の胸に 眠る悪魔を激しく揺する
重い瞼は何時上がるか 暗い暗い夜が更ける前か”



冒頭から「ためらいと勇気は似てるから」と衝撃的な一節を持ってくる。字面を読んだだけでは「ためらいと勇気のどこが似ているのか?」と感じても仕方がない。しかしながら、一度その意味をじっくりと考えて欲しい。

そもそも、葛藤やためらいを乗り越えた先にあるのが勇気なのではなかろうか。ためらいと戦い、その上で行動を起こす。それは何も考えずに無茶をやることとは全く違う。そう考えると、ある意味ためらいと勇気は近く存在するもので、似ているということにも納得ができそうだ。

「踏み出した足は半歩でも前に」という歌詞は何とか前に進もうとする泥臭さが表現されている。半歩でも前に進むことで勇気へと確実に近づこうとしているのだ。

「ためらいと勇気は似ている」その歌詞の意味に気づけば思わずハッとさせられる。

「重い瞼は何時上がるか 暗い暗い夜が更ける前か」この部分もためらいを勇気へと変える葛藤を表している。その葛藤はボーカルの伊藤自身が感じてきたはず。人の心を揺さぶり感動させる魂の込もった伊藤の声を作ったのは間違いなく葛藤なのだ。


“月になんて行かなくていい 同じ過ちを繰り返すなら
星になって照らしてくれる仲間よ 僕は間違ってないはずさ”



月が象徴しているもの、それは欲や権力が蔓延る世界ではなかろうか。欲にまみれ「同じ過ちを繰り返す」、そんな人間世界のドロドロした部分をすくい上げている。

その月(欲や権力)の生活に必死になるぐらいなら「行かなくていい」と彼らは歌う。

星はそれ一つ自体で成り立つもの、自らで光り輝ける存在。彼らはそんな星同士がお互いに照らし合う生き方を選択しているのではないだろうか。

卓抜とした表現で、社会との関わり方を示している考えさせられる歌詞だ。

“世界が終わるその日の事を 考えて生きる辛さと哀しみ
乗り越えて辿り希く 螺旋の終着 映画で観た忘却の記憶
問い詰める赤目の朝に 辛い長い旅が終わるまで”



「螺旋」という言葉から、ぐるぐる目まぐるしく回るといったイメージが湧いてくる。乗り越えた先にあったのが螺旋、つまり一つの葛藤が終わっても次の葛藤が待っているといった表現なのである。

「重い瞼は何時上がるか 暗い暗い夜が更ける前か」という表現が前出していたが、「問い詰める赤目の朝に」で夜が明け朝になったとわかる。重い瞼は上がったのだが、すでにその瞳は涙で濡れてしまっている。

勇気を出し一つの葛藤を乗り越えようとも、また新たな試練がやってくる。透徹した目で世の中を見つめる彼らは、憂いを帯びながらも力強さを決して失わない。

現実の非情さを知る彼らがなぜ力強さを失わないのか。
それは、ためらいを勇気へと変え続けているからだ。

TEXT:笹谷創(http://sasaworks1990.hatenablog.com/

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