厭世的な歌詞が多いのに、なぜか親しみやすさもある。そこに彼のカリスマ性が現れているようだ。
SALUは葛藤しながらもこの世を見つめ続け、洗いざらいリリックへと反映する。彼の代表曲の一つでもある「Goodtime」のリリックは、表と裏の両方の視点から書かれている。「彼が音楽を通して表現したいこと」を同曲を通して考察していきたい。
“たまに考える何がやりたい?要らない物に囲まれる時代
近づいたと思ったら遠のく 近くて遠いね また振るダイス
時代は回ってBack to 80’s 車は空を飛べない21世紀
休日郊外の巨大なモール ほら彼らは食べてるあのパンケーキ”
人間はいつだって無い物ねだりをする。モノがない時代にはモノを欲し、モノが溢れる時代には心を欲する。SALUはその満たされない気持ちについて言及する。「こうすれば満たされる」といった答えはなかなか見つからない。
それでも彼は探し続けるのだ。見つかるかわからないという感覚を「また振るダイス」と表現する。近くて遠い満足はどの時代に発見できるものなのだろうか。
過去と現在と未来、全ての時代に思いを馳せリリックを綴る。時代を自由に行き来するそのリリックによって作られた楽曲を聴くと、どこかSFの小説を読んでいるよう気分にさせられる。
「郊外の巨大なモール、彼らは食べてるあのパンケーキ」などの具体的な表現がその雰囲気をより強くさせている。
“目には見えない 金じゃ買えない モノを集めてる君もどうだい?
表は後悔の裏にSo Nice どうせ僕は蟻みたいな存在
好きな人と聴く好きなMUSIC 好きな場所がこの世界の中心
言ったはずだそう人生は映画 主演は君と僕さ”
一見すると恋人への愛のメッセージの歌に思える。しかし、ここでの君と僕は「自分」との対話を表している。
時代に迎合する自分とそこに疑問を感じる自分との会話が繰り広げられている。「表は後悔の裏にSo Nice」とあるように彼は決して時代を悲観的に見ているわけではない。
「後悔さえも悪くない」と時代を捨てているわけではないのだ。
“何かが足りない気がするSunday でも思えばそれが幸せ
朝日と二人を包むブランケット 光を眺める雲の上
例え地球の裏側にいたって たかい服を着て着飾ったって
選り取り緑の楽園だとしても 君が居ないと何か足りなくて”
ここでSALUは裏の疑問を持つ自分を肯定している。どこにいようが、着飾ろうが君が居ないと何かが足りないのだ。
その何かの正体は本人にも自覚ができない。しかし、それは確実に必要なものであるようだ。彼は思考を駆使し、「どの時代に生まれるかは選べない」といった虚無感を時代を生き抜くための充実感へと変えようと前向きな姿勢を貫いているのだ。
SALUには「影があるからこそ光を感じる」といった両面を大切にする心がある。どちらに優劣をつけるわけでもなく、時代に飲まれないように踏ん張って生きている。
そうかと思えば、彼はタイムスリップしてきた未来人のようでもある。民衆に警笛を鳴らし続け、人々を正しい方向へと導いている。その役割は孤独を知るSALUだからできるのだろう。
「SALU」は時代を創るアーティストの代名詞なのである。